勉強させるよりもコレが大事!大切にしたい内的動機づけと「落とし穴」について

勉強させるよりもコレが大事!大切にしたい内的動機づけと「落とし穴」について
週末や大型連休、夏休みと言えば、気になるのが子どもの「宿題」ですね。

我が家は男の子が3人。彼らが小学生〜中学時代には「夏休みの宿題」との格闘は、毎年恒例の「風物詩」みたいになっていました(-_-;)。 

私は、彼ら小学生時代には宿題に付き合うことがありましたが、中学生からは、勉強や成績に対しては基本FREEのノーチェック派でした。なので、夜中にゴソゴソと作業(ゴキブリみたい・笑)してても、基本はしらないし、朝起きると書道の道具をしまった形跡があった、、、みたいな事が何度もありました。
 
 私は、基本的には「自分の宿題は自分でできる」と考えています。もちろん親がノーチェックだと、とんでもないこと!も勃発しましたけどね…。(彼らの名誉の為に、詳細は差し控えさせていただきますが。。。)

そんな事件があった後でも、私があまり子どもの宿題や勉強に口出しをしないのは「ある理由」がありました。 
 
我が家の息子たちは、他人が嫌がることは絶対にしませんが、自分の勉強や忘れ物のこととなると、なかなか、モチベーションがあがりませんでした。だからこそ、ここは慎重に「一番大切なコトを見失わない様に」と、彼らに対して接していたんですね。 

忘れ物をしないように注意しよう!と自分で思う子に育てたい

 私は、忘れ物や勉強・宿題について、彼らにクドクド言いませんでしたが、どうでもいいと思っていたわけではありません。 

それどころか、すご〜〜〜〜〜〜く気になる人でした!
 
だからこそ、とてもこだわっていました。それは、忘れ物や勉強については、他人からドーノコーノ言われて、イヤイヤやるものではなくて「忘れ物をしたくないなあとか、勉強しなあかんな、勉強したいなあ」と、自分から強く思う気持ちを身につけて欲しいということです。

ここをずっと願っておりました〜

さて、どうすれば、この気持ちが芽生えるのでしょうか?

それは、ズバリ
忘れ物をしたくない!もう、懲り懲りや〜
  
と、本人が強く思うことです。これは、忘れ物をしないようにしたい、と強く動機づけること。
 
本人のココロの中からの動機づけがとても大事だと考え、常に、内的なところからの自己のコントロールができる子を目指してました。


 

動機付けが内側か?外側か?で子どもの燃え方は違ってくる

動機づけとは「〜したいように」または「〜したくないように」という、行動の元になる気持ちです。私が狙っていたのは、この動機づけを彼ら自身の「内的なモノ」にすることでした。

これに対し、実際によく親がやっているのは、「忘れ物をするとこずかいを減らすよ」「忘れ物をしたら、ゲームは禁止ね」など、いわゆる「罰」「規制」を与えることです。つまり「罰がイヤだから、そろそろやらなくっちゃな」と思わせる方法です。

または「忘れ物をしないイイ子だね」「評価が上がるとお小遣いアップだよ」とかいわゆる「賞」「ご褒美」なんかを与えることで、「お小遣いが欲しいからがんばろ!」ってこともあるかもしれません。
 
私も、親業を学ぶ前はよく「天才だね~」「すごいやん!」とほめちぎっていました。
 
ですが、これは親がアメ&ムチで、子どもの行動を変えようとする方法と同じ行為だったんですよね。そしてね、よーく考えて下さい。これには、数々の落とし穴があったのです。


落とし穴① アメとムチの効果があるのは、低学年のうちだけ

「アメ」がそれほど欲しいものでなくて、「ムチ」がそれほど怖いものでなければ、当然ながら賞・罰は機能しません。なので、この一般的な動機づけの方法は、中高生になるほど、効果がなくなっていくのも当然の話です。

低学年のうちはよく親の言う事を聞いていたのに、高校生にもなると一向に聞かなくなるのは、彼らを満足させる「アメ」も、彼らを怖がらせる「ムチ」も、もはや、親が持っていないから。

でも、もっと大きな落とし穴は、そもそも、親が「アメとムチ」を使う行為そのもの罪悪感を感じて、耐えられなくなることかもしれません。


落とし穴② 「親は結局は自分の思い通りに動かしたいんだろうな」と子どもが誤解する

親や先生、大人たちが「アメとムチ」を使って、自分の行動を制御しようとすることは、子どもにとってはとても作為的な行為に感じるかもしれません。
  • 手ぐすねを引かれている、
  • 操作的、
  • 魂胆ミエミエ
  • 〜させたい下心が丸見え
こういう「親のコントロール」を感じる時、子どもは「ありのままの自分で受け入れられている」とは感じません。「上手いこと言っても、結局は自分の思い通りにしたいんやろ」と、「親のレール」を感じる時、逆に「やる気がなくなる」ことが多いのです。

人は、自分の行動を決めるのは、いつも自分でいたいのです。

落とし穴③ 子どもの主体性をつぶして依存性を高めている

親や先生から「アメやムチ」を交換条件のようにしながら動いていると、それが当たり前になります。つまり「アメ=対価や代償」がなければ、動けなくなるのは当然だと思いませんか。
  • 褒めてもらえないと、しない。
  • いい点がとれないから、やる気がおこらない。
  • どうせ、むだ。
  • 誰も見ていないから、放っておく。
  • ムダだから、やらない。
私が息子のために良かれと思って「褒めて」育てていた時、いつの間にか子どもが私の視線をいつも気にしていたことに気づき、とてもショックでした。いつの間にか、親の評価が欲しいことが、彼の行動の動機づけになっていたんですよね。

アメやムチでしつけをされてきた子どもは、対価や代償が得られないことは、わざわざ行動しようと思わなくなります。内的なやる気も損なわれてしまいます。

動機づけを賞罰という「外的」なものに頼ることは「依存心」を育てていることになります。

私は、早く気づけて、本当に良かった。


大切なのは、本人の内側からの規律・自己コントロール力

おかん塾で大切にしたい子育ては「内的」な動機づけで行動できる子どもへ育てるです。自分の中から「〜したい」「〜しよう」という気持ちが湧いてくること。そして「やりたくないなあ〜」「何だか、気が進まないなあ〜」「でも、、、、やる!」

これ、狙ってます!

自分で自分をコントロールする、自己コントロール、自分で自分を律する、自己規律心です。

やりたくないけど、やる!自分で選んで、やる!自分の意志で、責任で、やる!

褒められなくても、誰も見ていなくても、そんな事は、関係なくて、そんな事で振り回されなくて、自分で判断し、自分で行動する。自分で自分は価値があると知っている。自分の人生だから、自分で歩む。

そんな、主体的に生きる力の原動力となるような、子どもの心の体力を養っていきたいのです。


他人の評価に「依存しない」で動けることが最大の武器になる

今、社会は多様化しています。

今までのような、共通の常識が崩壊して、色々な価値観が混在しています。親や先生は、様々な対応に追われていて、一人一人の子どものメンタルまで細かく対応できないかもしれません。
・「自己責任」をどう教えるのか?
・様々なモラルの中で、自分はどうするのか?
・世論や情報に依存せずに、どう生きるのか?

ホンモノの「主体性」を育てる事が問われているのに、現場では、みな、表面に出てくる問題を扱うのに精いっぱいな気がするのは、やり方を知らないだけなのではないかと思います。

私が、自分の子どもが、たとえ宿題を忘れて困っていても、そのことを黙ってみていられたのは(←ちょっと怪しい時もあったけど^^)このホンモノの主体性に通じる内的な動機づけを育てたい、という考えと、親としては初心者だった私にもできる具体的な方法を知っていたからだと思います。

「内的な動機づけ」を潰さないでいると(←動機づけは「育てる」のではなく「潰さない」が正解)、自分の中のスイッチが入った時に、一気に行動は加速します。

それは、外的な動機づけで行う時とは次元のエネルギーとなるようです。

自己規律力があると、自分の運命を他人におもねることなく自分でコントロールしていけますね。

多様な社会で、さまざまな情報の中で、媚びずにおごらずに自分らしく選び取れる幸せな子になって欲しいと考えた時、私が自分の子どもたちに育つよう願ってきたのは、この自己コントロール力。
 
他人の評価に「依存しない」で動けることが、彼らにとって最大の武器になります。
 
私が母親としていつも意識していたのは、自己コントロール力が育つ基盤をつくる、親子の人としての信頼感を育てることでした。

人としての信頼感を育てるのは地道で成果が見えにくい作業ですが、でも、ゼッタイに妥協したくなかったから、私は親業を選んだのです。

「育てる」には、年月はかかりますから、10年先の未来を想定して考えていく必要があると思います。