これは、内側からの湧き出るような、闘志、優しさ、思いやる心です。
そもそも、勉強は「お母さんや先生の為でなく、自分がそう思うから、勉強しよう」 という、内発的、自発的な強い思いが無いと、成果はあがりません。
逆に言うと、人は、自分の中からスイッチが入ると、圧倒的な馬力で突き進む力を持っていると思うのです。
誰もが、そんな経験を一度は持っているのではないでしょうか。
ニンジンをぶら下げらても人はマジにはなれない
私の経験でも、人生の中で一番勉強に身が入ったのは、先生や親からプレッシャーをかけられた時ではありませんでした。
そういう時は、「やらねば」と思っていても、なかなか集中できず、勉強が億劫になったりしたものです。
私は、「マジで点を取りたい」と思ったことが一度だけありました。それは、中学2年生の2学期の理科のテストが返ってきた時です。当時のクラスメイトの女の子が、わたしのテストの点数を見に来たのです。
わたしの理科の点数を見て、静かに席に返った姿を見て、彼女が密かに私をライバル視していた事を知りました。私は驚きましたが、悪い気はしませんでした。「負けられない」闘志がムクムク沸き立ちました。
その後のテストは自分でも驚くほど集中して勉強して、「教科書も丸ごと覚えちゃおう」これくらいの勢いで、勉強しました。
自分でもビックリするくらいの「やる気」が出て、本当に不思議なくらいでした。もちろん、テストは90点台。でも、残念ながら、この頑張りは、一回だけに終わってしまいました。
ニンジンをぶら下げらての「やる気」は、長続きしないのです。
ただ、勉強嫌いの私が、あの時なぜ、あれほど「本気モード」に入れたのかな、と、自分で検証してみました。すると、友達がわたしの「自尊心」「プライド」を大きく高めてくれたので、とても気持ちが良かったのだと思い至りました。
親や先生が叱咤激励して、わたしのモチベーションをどんなに高めようとしても、あれ程のやる気にならなかっただろうなと、思います。
実際、わたしは先生から褒められたことが、プレッシャーになり、それ以降ポスターが描けなくなったことがありました。
中1の時に描いた、選挙ポスター「評価」されたことで、自分に期待をかけて、ついにはできなくなってしまったのです。
子どもは「評価」されて、「評価」が欲しくなると、身動きが取れなくなると、私は自分の身をもって経験しました。
「評価」は麻薬のようなものだなあと思います。
あまりに快感すぎて、また欲しくなります。すると「評価」されることを求めてしまい、「内的なやる気」がなし崩しになってしまうのです。
私たちは、「評価されないとやらない子ども」を育ててしまっていないか、もう一度考えてみる時だと思います。
本当に親がめざすべきことは
誰でも自分の行動は自分で決めたいと思っています。自分の行動を規制されることは嫌なのです。
自分で決めて、自分がブレずに行動出来ると、とても気持ちがいいし、本当の実力を発揮しやすくなります。
勉強する意欲は、元々すべての子どもが持っています。本人の内にある「やりたい気持ち」に火が付くと、子どもは本当にスゴイ馬力を発揮しますからね。
人が育つ法則はとてもシンプル。
で、問題は、それを子育ての「現場」にどう落とし込むかです。
子どもが自己進化する時の3つのポイント
私の過去のピンチと切り抜けた時の状況を思い起こしてみた結果、次の3つの条件が当てはまっている時、私は自分から動きたいと思いました。あくまでも私の例なのですが、皆さんはどうかな?
① 問題が問題となっている
これは、つまり、
と本気で思っている時。
人はホンキで困った時に動き出す、というものです。が、逆に言うと、本気で困っていないのに、何とかしようという気力は湧き出てくるか?ということです。
親が子どもの問題を肩代わりして解決しない方がいいのは、「自分しかこの状況を何とかする人がいない」という事を子どもがいつまでも自覚できないからです。
②自分の状況を冷静に見つめられる時
私は、自分がイライラしたり困ったりした時は、かなり感情的になり、うろたえてしまいました。そもそもメンヘラな私は、とっさにもう、これ以上傷つきたくないと、自分を守るために、防衛的になるのです。
人は、責められたり非難、否定されると、これ以上自分が傷つかないことや、その為に相手を攻撃する事に必死になり、物事を冷静にみることができません。必死のパッチで余裕がなくなり、どうすれば、身の安全が確保できるか?と、そのことばかりに頭が使わてしまうのは「自然の摂理」のようです。
反対に、私が問題を活かしていこう、前向きになろう!と思えた時とは「傷つけられる可能性がない」と思えた時だと気づきました。
問題を持ったことを、責められない、傷つけられない、絶対に大丈夫だと思えて、あらゆる状況を頭の中でシミュレーションし、自分が責められる可能性が無くなった時、私は、はじめて、安心することを自分に許可できました。
そして、その後、ゆっくりと、状況を冷静に分析していったように思います。
自分の体験を冷静に振り返った時、人は、自分が責められない完全に安心だと感じることはとても大切だと思えました。
③頑張ればなんとかなりそうだと可能性が見いだせる時
子どもの為につくりたい安心の場
私は、自分の子どもには、彼らの人生におけるあらゆる問題をバネにして、成長して言って欲しいと思っていました。そして、自分の経験を元にして、じゃあどうしたら、自分の問題をバネにしてもらえるのか?それを必死で考えて、その為に、親としてどうしたらいいか、どうして欲しかったかを導き出してきたつもりです。
やったことは、
①自分の問題を、問題と認識してもらうために➡彼らの問題を、私が取り上げない
②安心安全で、冷静に自分を振り返ることができるように➡彼らの問題を、私が責めない
ということ。
そして、日常の中でのどうやって行えばいいか?の、子育ての生活に「会話」として落とし込む作業の連続の毎日でした。
それが、実際に100%行えたのか?と言われれば、そんなことはありません。自分でもできていないこともありましたし、感情的に、吠えたりしました。
でも、理論や原理がわかっていると、たとえ「失敗」したり、子どもの関係が悪くなりかけても、なぜ、子どもの機嫌がわるくなっているのか?の理由が具体的にわかったので、それは私にとってはとても助かる事でした。
原理原則を知っているから、軌道修正がすぐにできる
まっ平な地面の中に、チューリップの球根が埋まっている場所が分かっていると、なるべく、踏まないように工夫できます。
また、たとえ踏んでしまっても、後でお手当てもできるのです。
今の子育ての状況は「どこにチューリップの球根が植わっているのかもわからない」そんな状態で、やみくもに行き当たりばったりの対応をしていることはないでしょうか。
私が自分の子育てを振りかえった時も、それは、いつ、破裂するのかもわからない、ロシアンルーレットみたいな、子育てだったと思うのです。
これは「知らない」ということだけなのですが、それがあまりにストレスが多いことでした。
知ることで「踏むといけない場所」が分かっていると、たとえ、球根をフンずけちゃっても、すぐにお手当てができますから、気分がとてもラクになりました。
踏んでいることがわからないまま、なんでこんな風になるのかな????と思い悩んでいる方が、ずっとツライと思うのです。
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夏休みの宿題をいつするか?は、我が家では定番のわたしのモヤモヤの光景でした。
何と言っても、男子3人を育ててきました。宿題は夏休みだけでも、ざっと、33回は経験していることになります!(小学6回・中学3回・高校2回)×3人分
夏休みの宿題や課題をどうするか?は、子育て中、そして特に男の子のお母さんにとっては鉄板&定番の悩みですよね。。。
家庭平和のためにもあなた自身のストレス回避のためにも、こんな子育てもアリ(笑)でいいんじゃないかな〜ってことを書いておきますね!
夏休みの宿題は「やってる」「やってない」の問題にしない
以前、受講生の方が「中学1年生の息子が、夏休みの宿題を全くしないんです!何と言ったらいいですか?」と尋ねられたことがありました。
その時 「全くしないんですか?」と聞く私に、「はい、全然なんです。」という受講生さん。
でもね、話を聞いていくと、どうも違うようなのですよね。全然宿題をやっていないわけじゃあなくて「ちょっとは」やってる場合もあるんですよ〜。
ただ、お母さんの思うようには やっていないのですね。←ここ、わかります?
夏休みの宿題について「親子バトル」が起こる時、意外と多いのがこれです。まず、親子で認識が違っている。
とてもキッチリとした几帳面な方でした。小学生の頃は、夏休みの過ごし方や計画表などは、夏休み前に立てて、夏休みに入ったらその計画表通りに進める、ということを当たり前にされていたようでした。
これがお母さんにとっては「正しい宿題のしかた」なんです。
親と子は、そもそも「宿題の捉え方」が違う
子どもは「宿題やってる」お母さんは「宿題やってない」。
そもそもの認識のズレがわかっていないまま、親子のバトルが始まってしまうと、どちらにも「言い分」を主張するだけで、全く意味がありませんね。
「あんた、全然宿題やってないやん〜」
なんて言っても、ムダですね。だって、子どもさんは宿題を ”やってる” のですから・・。
「やってるで〜」
「やってないやん〜 見せてみい〜」
「ほら」
「・・どこがやってるねん・・ こんなん、やってるうちに入らん!」
「なんでやねん、ええやんか〜」
「あかん、あかん・・・」
・・・なんて、なるのでしょうか????
こんな漫才みたいな関係(笑)は、まだいいんです。だって、話の内容はどうであれ、とりあえず話し合っていますからね。
問題は、親の問いかけに子どもの反応が薄くなって、何も言わなくなることです。
コトバのちょっとした行き違いから親子関係のズレがはじまる
親は、子どもに宿題をやる気になってもらおうとして、声をかけるのですよね。ですが、親がちょっとした声のかけ方をミスるところから、親子のバトルは起こっていくんです。
「やってる」「やってない」親と子のどちらが正しいか?の臨戦態勢に入ってしまうと、言っても言っても、からまわりが起こります。
「もう、わかってんの〜??? あんたのことやねんでえ〜(激怒)」
何も言わず、ポーッとした顔を見ていると、わかってんのか、わかってないのかわからなくて、イライラ・ヤキモキさせられるうちに、どんどん言葉がエスカレートしてくる(-_-;)
「はっきり言ってみ〜」
「全くあんたは、なに考えてんの〜?」
「もう、スマホばっかりやってるからなんとちゃう?」
「お小遣い、やらへんからな〜」
「ゲーム・携帯は禁止よ!」
宿題以外に、普段気になっている生活態度に非難が「飛び火」する・・みたいになっていませんか????
知らないうちに傷つけている子どもの自尊心
私が「ああ、もったいないなあっ」と思うのは、この言い方では、子どもは全くやる気にならないし、かえってやる気を殺いでいることが多いことです。
親は、ただ「宿題が間に合うか心配」なのかもしれません。でも、この言い方では親子ともに感情論となり、言い合いになってしまいます。
その時、親はもれなく、子どもの自尊心を傷つけています!!!!すると、子どもの「防衛装置」が働き始めます。とても冷静な思考ではいられなくなり、傷ついた心を立て直すために、いろいろな手立てが始まります。
やりたくないことを、やるって、エネルギーが要るんです。でもやりたくないわけじゃないんです。ただの、エネルギー不足なのかもしれません。
こんな時に、親の「なんでやらないの?」は、全くの逆効果。そもそも「宿題を心配する」という親の愛情が伝わっていませんし、それどころか「やる気」をそいでしまってるのです。
ますますエネルギーが枯渇して、何もできない状態、”ヘタレ”を強化しています。
お母さんとのやり取りは、子どもにとってかなり消耗します。なので「宿題をやる気モード」にエネルギーをかける事からは、ますます遠ざかってしまっていますね。
一度”悪循環”に陥ってしまうと、子どもは「親のせいでやる気が起こらへん」などといい、責任転嫁の姿勢にしてしまうこともあるのです。
親になにができるんだろう?
じゃあ、どうすればいいの??
放っておいていいの?
私は、ヘタレな男子には育てたくなかったので、ここは、かなり意識して子どもに対処してきました。
やる気が育つ、やる気をへし折らない、言い方は、親業訓練で学んでいたので、とにかくそのメソッド通りに言えるよう、自分の言い方を集中して改善してきましたよ。
8月31日は集中力を訓練する日!とわりきってみる
ここからは、私の例なのですが、
我が家では、始業式の朝ギリギリまで宿題をするのは、恒例行事でした。忘れ物は3人ともに日常的なことでした。
でも、彼らの話を丁寧に聞く中で、子ども達は「宿題が嫌い」なのですが、「はじめっから宿題をやらないで行く」という度胸もなかったことがわかりました。
意外とマジメ(笑) そして、彼らが宿題をやらない時は、ずるずると時間が過ぎていたしかたなく忘れる、とか、宿題の存在自身を忘れていた時でした。
なので、宿題をやる意志はあるし(かろうじて?)、やらないとアカンってことは、実は本人のほうが、ずっとわかっていたようです。
私は彼らの本心を知れて、「なるほど」「じゃあ、問題はいつ宿題をやるのか?だな」と思いました。
これは我慢比べでした。
彼らは彼らなりに、宿題に手をつけるギリギリの日数を計算しているのです。それがまあ、超超超甘いのですが・・!
シャーペンの芯が途中でなくなるとか、ノートがキレるとか、「想定外のことが起こり予定は狂う」ということは考えてません。書初めの画仙紙はいつも家に常備していると思っていました(多分)。なので、夜中に「あれ?ないの?」なんて慌てることも、茶飯事でしたね。
私は、宿題は「子どもが自分の責任でできるようになる」を目標として扱っていましたので、ここはハッキリと「問題の所在者」を明確にして「彼らをサポートすること」を徹しておきたいと考えていました。
夏休み後半の彼らの姿を見て、イライラする日々を過ごしていた時期もあったのですが、そのうち私は、あまりにも集中して宿題をする姿を見て、「ああこれは、わざと溜めてギリギリに宿題をしているのだ」と思うようになりました。
溜めて溜めて溜めて、自分を追い込む。
そうでもしなければ、気分がのらないんだろうな〜
宿題をするって、ムツカシイんだろうな〜
自分が宿題をサボり倒した経験を思い起こしながら(前述のお母さんとは違うタイプだわ)そんな風に考えて。
なので、夏休み後半は、集中力を強化する日だと考えるようになったんです。
そして、毎年同じ風景が繰り返される、、、ってことは、うちの子は、ほとんど「学習」しなかったのですね。
「え?親が思うほど、子どもは困っていないのかも????」←そう思えた時、彼らはこの状況を受け入れていたのだと思いました。←親も鍛えられる(笑)
この状態を続けていくと、夏休みの最終日がちょっとした「イベントデー」みたいになります(笑)
高校生くらいになると、課題の量が莫大ですから、彼らもかなり追い詰められていました。お尻の火がボウボウと燃えて、真っ赤っか。
もう、強制的に宿題モードに入らざるを得ません。
息子は「3日間徹夜で宿題を仕上げて、オレは寝てないんやで~」と、謎の自慢話をしてました。けど、私は「そんな集中力があるんや〜、その集中力はこれからの勉強のに立つだろう」と、とそんな風に考えることにしました。
私は、勉強はとにかく 集中力 が大切だと思っているので、”ギア” が ”トップモード” に入っている図は面白いです。
眼の色が変わって、必死な姿でした!
経験こそ宝になるから、しっかりと困ってもらう
子育ては、「経験こそ宝」だなあと、つくづく思います。
たいていの親は「大変なことにならないように」と、「予防」に躍起になりますよね。ですが、「災害を想像して、未然に防ごう」なんてことは、子どもには、結構高度なことなんだなあと、これも子育てを通して知ったことです。
ま、大人だって同じかもしれません。病気になって初めて健康の有難さがわかるもんです。
痛い目に遭って、「ああ〜やっぱりあの時、○○しておけば良かった〜」と、初めてわかることがあります。
でも、子どもは理解できないでしょう。だって子どもには「困る経験」がないのですからそもそも想像もできないのです。
親は人生の中で、災害に実際にあって、痛い目に遭ったんでしょうね。だから、子どもに伝えたくなるんですね。そして、どんなに嫌われても言ってしまうわけですよね。子どもの為に。
でも、どれほど親が「力説」しても、子どもには届かないこともあるのです。住んでいる世代も環境も経験も全く違いますから、ピンとこないんだと思うのです。
結局、一番望ましいのは、痛い目に遭うのを防ぐには、子どもがちょっとした痛い目に実際に遭い、その”痛さ”を実感すること!だと思います。
”痛さ”を知らないと、「あれは、もうゴメンや〜」「もう、コリゴリ〜」と思いません。
なので、”防ごう”という”気”も、起こりようもないのです。
我が家の場合も、
「一日でやるのは、大変だから、来年はもっと早くから取り掛かろう」と思って欲しいと思っていても、
「なんやかんや言っても、一日でできたなあ〜」と思っていたのかも知れません。
それもね、紛れもない事実。どう思うか、どう感じるかも、この子次第でありそれも成長のうちだと思っていました。何と言っても私の宿題ではないのですから〜
そして、親が「放任」(←親が解決しない)を決めたら、子どもも案外頑張るものです。
自分しか「やる人」がいないと気づきます。
「あれは、もうゴメンや〜」
「もう、コリゴリ〜」
自分で気づくためにも「経験こそ宝」です。
ちなみに、我が息子たちが、夏休みの宿題を夏休み中に仕上げたのは、二男が一度だけ。
それほど、宿題の存在に抵抗していたのでしょうが、ここも彼らが「イヤな宿題にどう折り合いをつけていくか」という彼らが乗り越えるべきことです。
子どもの問題を取らないことが実は一番むつかしい
子どもを見守り、口を出さないことは本当にとても忍耐のいることです。
シンドイ時もありましたが、でも、今では大正解だったと、そう思います〜
勉強や、習い事、部活など、親はノータッチ、ノーチェックでも、子育ては問題ありませんでした!
むしろ、本当に痛い目に遭わせたくないなら、子どもが小さいうちに、火が小さいうちに経験するのがおススメです。
火傷するかもしれませんが、大丈夫。だって、そのために親がすぐ近くにいるんですもんね。
火傷しなければ、火傷の怖さは気づけません。
子どもが成長してからは、問題も火も大きくなります。
一番怖いのは、大火傷を負っているのに、親が何も助けてあげられないことですね。
そして、この火傷の”痛さ”は、問題の種類や内容は変わっても、誰もが、人生のどこかのタイミングで味わうようになっている気がします。
夏休みの宿題の問題は、子どもにとっても困難に対処する方法を身に付けるチャンス!
今の子どもたちは、困難を経験する機会が少ないような気がします。
子育てに困っているお母さんのほとんどは、「子どもはのん気でフラフラしてて、まったく困っていない」と悩んでいるのです。
だけど、それは、子どもが困っている時の問題を親が今まで肩代わりしすぎてきた結果ではないかな、と思えるのです。
子どもの、困ったり悩んだりする現場を見ると、親はつい、手を差しのべたくなりますが、それが本当に本人が望んでいるのか?よく考えて下さい。
機会を奪わないでいると、彼らは、何か解決策を考え出します。
自分の問題に折り合いをつけることで、人は成長します。
夏休みの宿題は、子どもが問題を抱えるチャンス!
あなたがイライラして問題を先取りすると、子どもはいつまでも依存的なままではないですか?
是非、新しいやり方を身につけて、あなたが子どもや宿題の見方を変えていきましょう!
見える景色が変わるかもしれません。
【参考記事】勉強しない高校生に親だからできる「やる気」をうながす関わり方とは
【参考記事】勉強しないヘタレ中高生息子を変える「やる気スイッチ」ってあるの?親に何ができるか?
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そうなる前に、イライラについても考えておきたいところです。
イライラする時には理由があります。それは、子どもがあなたの思う通りにならない時に起こります。
親の立場になると、ホントはあんまりうるさく言いたくないんだけど、言わないと大変な事になっちゃうから、言わざるをえない。で、ありとあらゆる言い方をするわけです。
など-----------でも、効果なし
で、ブチ切れ
「あんたら〜 いい加減にし〜よ〜」➡結果、強制連行に
仕方ない結末とは言え、強制連行する側としても心が痛みますよね。だからまた、イライラする…(結局無限ループへ)
「子どもは悪くない」と思うと、やっぱり「自分が悪い」となるのは「親と子のどちらかが悪い?」と悪者探しをしてしまうから。それこそ悪循環で負のスパイラルに陥る元凶なのです。
思春期以降に試されるの、それまでの親子関係
じゃあ、もう親は何もできないの?
本人がやる気になるまで、放ったらかしておくしか仕方ないのか?
彼らの機嫌を損ねるようなイヤなことは言わない方がいい?
と言うと、決してそんなこともないんですね。
そして、親がとても気になっているのに、「本人の問題だから・・・」と、気になっていない素振りをしつつ、イライラやもどかしさをかみ殺しているのも、決してお勧めな方法ではありません。
なぜなら、言いたいことを言わずに冷戦状態が続くのなら、家の中がピリピリして、とても居心地が悪いですよね。実はこのピリピリ感が、家庭内の雰囲気を決めています!子どもの立場になると、想像以上の見えない圧力になっていることが少なくないんですよ!
イライラと不機嫌なのは、言いたいことを伝えきれていない
親業訓練で、親子のコミュニケーションをリアルに体験しながら、少しずつ分かってきたことがあります。それは、親の「イライラ」の原因の一つに、”お母さんが本当は伝えたいこと” が、伝えられていないか、伝え切れていないことです。
子どもを怒る時には、親には必ず理由があり、本当は「伝えたいこと」が、あったはずなのです。ですが、言い方が中途半端です!なので、伝えたいことを伝えきれていない、または、伝わったという確信が持てないことで、モヤモヤする気持ちが収まっていないのではないでしょうか。
子育ては、その場だけを表面的に取り繕っていても、不満な気持ちは解消されていないんですよね。すると、イライラが残っているのです。
私の経験では、イライラは心の中に残すと、とても厄介〜
イライラ=例えると、ココロの生ゴミみたいなものだと思っていました(汗)。単なる”ゴミ”でなくて”生ゴミ”なんですよね〜 腐敗して、”不機嫌ガス”がどんどん発生するのです。
爆発もするんですね〜それも、いきなりです。
子どもを持つ前の私は、自分のホンネをあまり言わないで、ため込んでガマンすることが多かったです。すると、ふっと感情がコントロールできなくなる瞬間がありました。急にガミガミしつこく叱ってしまうのです。
あ、コレ、今もそうだわ(笑)治ってないなあ~
伝えきるためには、感情を率直に表現する事
親も一人の人間ですから、感情がありますよね。それを率直に伝える事です。
自分のこころのモヤモヤに焦点を当てて、その奥の奥にある一番核となる気持ちを、そのまんまが伝わるコトバで伝える事をおすすめしています。
これ、親業のわたしメッセージだとすごく効果的です。
子どもを責めない言い方で、正直に本音を語ります。「こんな言い方でいいんですか?」と聞かれることがあるほど、ちょっと意外な言い方です。初心者の人には難しいかもしれませんので、よかったら、ぜひ講座の中で実際に体験してみてくださいね。
この言い方を知っていると、なぜ良いか?
それは余計なことを言って無意識的に使っている言葉の中で子どもをやっつけるメッセージが入ってしまい、子どもを不要に傷つけなくて済むからです。そして、お母さんも自分のイライラを吐き出せるからスッキリします!
イライラをまっすぐに伝える事から始まる、愛情の循環作用
親業訓練の「わたしメッセージ」が、母親の技能を上げるためにおすすめなのは、自分の中の「イライラした感情」と向き合う事を余儀なくされるからです。
私は幼少期から親に本音を言えない家庭で育ちました。父親絶対の家だったのです。なので、自分の心の中にいろんな感情をため込んで、自分のホンネを伝えるなんて、ものすごく怖いことでした。
そんな私が、初めて自己表現した時のことを紹介しますね。
それは、9月のある日曜日。子どもの為に電車を乗り継ぎ一日イベントに参加した時の事でした。
幼い男の子を3人連れて、イベントから返ってくると、もうヘロヘロです~
ですが、家に辿り着いた時、子どもたちは疲れた様子で一斉に本を読みだしました。私は、彼らが家の中で一息つく姿を見て、妙に腹が立ってきたんですよね。
これから夕食を作らなきゃ。
洗濯物もそのまま。
リビングは散らかっている。
3人の息子を連れて行き、わたしもクタクタ。
せっかく連れて行ってあげたのに~!!なんだか一気に疲れ果てて、
え?どーゆーこと???
「もう!片付けてくれたらどう?せっかくイベントに連れて行ってあげたのに!!」
とっさに口を尽いて出てきそうになったのが、このセリフ。ですが、ちょっと待って(-_-;)、イベントに連れて行ってあげたのは私。親である私がガマンすべき。。。。
「帰って来て、あなたたちが本を読んでいると、お母さんは洗濯物たたみと、片付けと晩ご飯の支度を一人でしないといけないんだなと思って、イヤになる。お母さんも休みたい!!」
すると、言い終わるや否や、3人がパっと分かれて洗濯物を取り込んだり、片付けをしてくれたのです。ビックリしました。
子どもをイベントに連れて行ったのは私だし、家事は母親なら同然やるべきこと。恩着せがましく子どもたちにやらせてしまった不甲斐ない母親だと、勝手に負い目を感じていた私を、彼らは一切責めることなく、本当に機敏に、しかも楽し気に行動をし始めたのです。
子どもたちに大切に思われているんだ。そう思うと、涙が出るくらい嬉しかった。そして、気持ちよく夕食を作ることができました。
わたしのそんな姿を見て、子どもたちも本当に嬉しそうでした。
そして、気づいたのです。自分にダメ出しして、自分に優しくしていなかったのは私だと。
親が正直に本音を語ることで、子どもの中に”疲れているお母さん”を否定せずに、自ら協力して手伝おうとする力がムクムクと湧き上がったのだと思います。
この事がストンと腑に落ちたのも、私が言い方を変えたことで、彼らの行動がガラリと変わる事を目の当たりにしたからです。
もしも、私が旧来の言い方をしていたら、どうなっていたでしょうか?
”イライラした時は相手の行動を責めるもの”そんな事を子どもに身をもって教えてしまったかもしれません。
相手に正直に伝えるって、本当に大切だなあと、改めて実感します。相手を責めずに、正直に伝えると、相手は助けてくれますし、本当に嬉しかったです。
すると、相手が困った時に今度は助けてあげたくなりますから、思いやる気持ちが自然と交換され、循環していくのですね。
私も、子ども達の話を毎日たくさん聞けるようになり、彼らを理解していくと、だんだんと肩の力が抜けていきました。
一人で頑張らなくていいんだ。自然に子どもを信頼できるようになりました。自分に自信がつきました。
イライラする自分を変えて、ピンチをチャンスにしよう!
あなたがイライラするのは、今までの私の様に、自分の不満を上手く言える習慣がなかったからだと思います。
どんな子どもでも、困っている人を助けたい気持ちはあります。大好きなお母さんなら、尚更です。なので、もしあなたが、イライラして嫌な気持ちを抱えているのなら、そのことを正直に伝える練習をすることをおススメします。
大丈夫です。“伝える力”はスキルです。学べば必ず相手の反応が変わります。
子どもを侮ってはいけません。
伝えられていないだけですよ。
そして、自分のイヤな感情を率直に言い合える、真に風通しの良い温かな親子関係をつくっていきましょう。
ピンチはチャンスになります。
その為にも、ぜひ、伝え方の極意を身につけてくださいね。
なのですが、、、、
私たち親は、機械を相手にしているのでなく、生身の人間を相手にしています。なので、当然のことですが、すぐに学んだ効果を実感される方ばかりではありません。
むしろ、受講したことで「しんどさ」を味わう人もいるのです。あ、私もその一人でしたが(笑)
今回は、そんな方私からの応援(?←激辛)メッセージです(笑)
1.親業を習うと「即OK」!と言うほど、子育ての問題は単純ではない
親業インストラクターとして、講座を提供している時に、よく、「できません〜」「上手くいきません〜」と訴えてガッカリされている受講生の方がおられます。
一生懸命に毎日の「口ぐせ」を変えようとしているのですが、思うような成果が得られずに、ガッカリするのですね(-_-;)
「うわああ、口が勝手に動く〜〜」
「頭をつかうわっ」
「むつかしい」
「言いなれなくて、元につい、もどりそう。。」
これも、あるある(笑)
出口が見えない闇の中でグルグル思考に落ち込む
今までの思考のクセに焦点が当たる苦しさ
親業は、単なる言い方のテクニックではありません。
で、
ここがね、予想以上に苦しくなる時があるんですよね。。
などなど、自分の無意識での「思考のクセ」、なかなか変われない「思考のクセ」を自覚せざるを得なくなります。
恐るべし「思考のクセ」
でもね、
これは、自分が今まで生きてきた世界での、当たり前のコミュニケーションパターンへの「見方」は変わってきている証拠でもあるのです。
だって、今まで考えてもみなかった「当たり前」でやってきたことが、すでに「違う」と考えているのですから、その時点ですでに過去のあなたとは違いますよね。
思考のクセ VS 新しい見方(←ここの混乱が起こってる?)
そして、今の気持ちは、自分がこれまでやってきた「逆効果のコトバ」を見直して、以前の親子関係を取り戻したい!もっと気持ちを通わせるようになりたい!名誉挽回したい!という気持ちの裏返しですよね。
そうなんです。
「うまくいかないなあ」と思っている時とは、"自分の内側の変化"がすでに始まっている証拠だと思うのです。
ピンチをチャンスへ!
なので、この「落ち込んだ気持ち」をそのまま「学びへのモチベーション」として転換!するのをおすすめします♪♪
今の状況がダメだという焦りと否定
葛藤を越えた先に変化が始まる
そもそも「うまくいかない」ってどゆこと?
そもそも「上手くいかない」っていうとは「思うようにならない」「出来てない〜ダメじゃん〜〜〜」ってことですか?
それは子どもを「上手くやりたい」「思うように動かしたい(コントロールしたい)」と言う下心があるってこととイコールかもしれません。
そして、そんな自分を「評価」しちゃってるってことも根深い問題だったりします(笑)
この「コントロールしたい」と「良い・悪い(評価)」の概念って、私が思ったよりも根深く自分の中にありました。
思ったように結果が出ない・・とか
結果が出せない自分はダメだ・・とか
思ったように実践できない自分をダメだと思うとき、自分に落ち込むのではなく、子どものことに想いを馳せてみるのはどうでしょう。
人は「思っていることがすぐに行動できるのではない」と思います。
2.なかなか変われないお母さんの特徴
親業を学び始めの「ジレンマ」を無事脱出しても、次なる難関が待ち受けています。
どうしても、親業のやり方を使ってみる気になれない。とにかく、しんどい。
私自身が学び始めのしんどかった時の状態を振り返って書いてみますね。ほとんど、私の個人的なことですが(笑)
「世界一不幸な母親」親である自分が傷つきすぎていて、心が回復していない
これは、いわゆる「トラウマ返し」と言われるような、思春期になって急に子どもが反抗・反発したり、完全に引きこもったりして、お母さんとしては思ってもいなかったような問題が出るケースに多いと思います。
突然の子どもの「反発」に、お母さんの方がとにかくビックリしてしまい、相当にショックを受けます。その時、今までの自分の子育てや、子育てだけでなく人格も人生もすべてが最愛の子どもに全否定されたように感じて、コッパみじんになっちゃって、かなりボロボロ状態になってしまわれるのです。
そして、自分も傷ついてドバドバと血が噴き出しているようなときだけど、子どもだって、かなり苦しんでいるようだからと、とりあえずは子どもの手当てに集中する。。
愛する子どもの危機だから、それは自分の状態がどうであっても、子どもを助けなくっちゃ!と「親業」を学ぶけど、なかなか、やっぱり親だって苦しいから、そういう場合は本当にしんどいですよね。
ものすごくいい子だったほど「従わせたい気持ち」を捨てるのに時間がかかる
なんで私がこんな目に遭うんだろう?
幼い頃から子どもの為に、どれだけ時間を費やしてきたと思ってんの?
親としてのプライドを傷つけられてやり場のない「怒り」のようなものが「消化」できていない場合や、状況に不満を感じている場合、悪者探し、原因探しをやめられなかったり、「〇〇が悪い!」という想いを拭いきれずにいる場合も、お母さん的には相当にツラいです。
お母さん自身の心が「今の状況」に追い付いていない、気持ちが消化できずに納得ができていないと、お母さんは「世界一不幸な母親」となりますから、頭ではわかっていても、子どもを責める気持ちが顔を出してしまいがちなのかなと思います。
こういう混乱は、それまでは親子の関係が良好だったんだろうな、と思います。私も「この子はわたしの思い通りにはならないのだ」と本当に腹落ちするまで、多くの時間がかかりました。
まずはお母さん自身が気持ちの整理が必要かもしれません。自分の辛さを吐き出さなければ、人の気持ちは回復されないからです。
親業的に考えても「子どもを許せない自分」を自分で受容し、そこから出発しないと、いつまで経ってもラクにならないかもしれません。
そもそも練習量が足りていない
これはちょっと辛口になるかもしれませんが、「できません」「上手くいきません」と言う方は、ズバリ、行動量・練習量が足りていません。
そもそも親業は「関わり方の実技」を身に付けるものであるから、「車の運転」など世の中の他の技能と同様に「習うだけですぐにバッチリできる!」っていうものではありません。
中には、育った環境などから元々コミュニケーション力が高い親もいると思います。そんな方は、スルスルと習得されるかもしれませんね。
ですが、私のように、親の「勝ち負けのコミュニケーションパターン」が刷り込まれている人は、新しいコミュニケーションを身につけるのには、指導と練習と努力が必要です。
野球で言うと「ホームランはこうやって打つのよ」と教わった後、「ホームランが打てない!」と悩んでいるのと同じ。上達したいなら、練習あるのみです!技能だから、それまでの「経験」や「体力(心の)」などで、個人差はつきものですが、練習は裏切りません。
「わたしメッセージ」を言っているつもりが、「あなたメッセージ」になっている場合も多いです。自分では気づかないかもしれませんが、その違いは歴然です。
子どもへの「理想・期待・要求・欲」が捨てきれない
いわゆる「時間」が迫っている場合も、要注意ですね。あとちょっとで高校留年とか、退学間際とか、転校必須とか、切羽詰まっている方で、「最悪の事態」を阻止したい!
このケースも、結果的に親子の関係がいつまでもしっくりこないという事があります。
親としてもギリギリ譲歩しているんだから、これくらいのんでくれてもいいじゃないの?
あなたも、イヤでしょ?「最悪の事態」は免れようよ〜
みたいに言いたくなる時は、子どもの心よりも時計を見ていると言えませんか?
その姿勢が子どもに伝わってしまうんですよね。そして、結果的には、反発や力比べ、駆け引きなどの勝ち負けの親子関係が続いてしまいます。
3.思春期の反発は子どもからお母さんへの自分の人生をかけた要望書!
私は、子どもからの反逆・反抗は、子どもからのメッセージだと思います。
親の姿を見て言いたいことがあっても、メッセージを出さない子どももいます。出せない子もいます。だから、メッセージを出すということは「出せる関係」だと言えると思います。
メッセージは、その表現の方法や形はさまざまですが、すべては大好きなお母さんと本当に仲良くしたいんだけど、今のお母さんのままだと「それはもう、ちょっとイヤだな」と、辛くなってきたからそのことを言いたいこと。
つまり「お母さんのココ、ムッチャ気になってきたから直してよ〜!」って、訴えていると思います。
なので、ここはすぐに結果が出ないとあきらめてしまわないで、次のステージへ進んでいきましょう!
子どもがせっかく示してくれた「メッセージ」をムダにしないで欲しいです。
子どもはいつも、親が変わるのを待っています。
不器用でも、人はいつからでも変われると、その姿をしっかりと見せていきましょう。
私がこの親業訓練と言う子育ての方法論を、一人でも多くのお母さんに学んで実践して欲しいと思う理由の一つは、母親が「こどもと対等な存在」であることの大切さを知ってほしいと思うからです。
母親の中には、自分の生まれ育った境遇などから、自分に自信がなくて、
と、何となくずっと感じている方がいるかと思います。
実は私も、そう感じていた一人でした。
いつも自分自身に自信がなくて、その自信のなさを払しょくするかのように、子育てに燃えていました。「自分みたいな子どもに育てたくない」と強く思っていました。その一心で、子どもの為に何とか「いい母親」になりたいと、私にできる事はすべてやってあげたいと思っていました。
それって、子どもの為でなくて自分の為やん~
っていう人がいるかもしれないけれど、そうじゃないと思います。それもは、紛れもなく「子どもへの想い」だと思います。そして、その気持ちがもし問題があるとすると、それは、 子どもと自分の境界線が曖昧になっていたと言うことかもしれません。
子どもの為に「自分みたいな子ども」に育てたくないから、一生懸命に、ただ一生懸命に、良かれと思う事をただただ祈る思いで、母親として妥協せずにしたかった。
妥協してしまった自分を「ああ、こんな自分は子どもを傷つけてしまったのではないか?」「やっぱり、自分には母親の資格はないのではないか?」と思う。。
そのくり返しが起こってました。
で、今の私にはわかりますが、それは、子どもの力をみくびっていたんですよね。
あなたの大切な人が、とても自分に自信が無くて、常に「懺悔の気持ち」みたいなものを持ちながら生きているとしたら、
「自分の望みを言うなんて、そんなワガママは言ってはいけない」
「自分は喜んではダメなんだ」
「幸せになってはダメなんだ」と、
「生産的なコトをしたらその代償としてちょっとの息抜きは許されるけれど、そうでなければ、自分には生きる価値が無い」
と信じているように、生きているのだとしたら、なんだかとても寂しい気持ちになりませんか?
あなたの「贈り物」を「自分には分不相応だ」と受け取ってもらえていない可能性があるのです。
大切な人に、卑下されるのは、とっても辛いことなんじゃないかと思うんです。
「上にも下にもしない人間関係」
自分を「下」にしてしまうと、子どもは「上」になります。
それは、真に対等な人間関係を体験するチャンスが減ることだと思うのです。
そして、人間関係には常に「上下」「力の差」「勝ち負け」があって当たり前だと、教えてしまうことになるでしょう。
じゃあ、対等な人間関係ってどんなものでしょうか?
対等な人間関係とは、実際に体験した経験がないと、その気持ち良さは味わえないかもしれません。
ただ、本当に対等な人間関係を築くためには、あなた自身が誰かの陰に隠れているわけにはいかなくなります。
あなた自身が「表に立つ」とこと。これは、自分自身がどんなことを考え何を感じているか?「一人の人として」という部分がとても大切になってきます。
自分がホンモノ
これができて、対等な人間関係が成立するのかなと思います。
そして、これが案外むつかしいのです。
自分が何を感じているか?何が好きで、何をしたいのか?
どんなものに価値を見出しているのか?
あなた自身の中から生まれるものを感じ、それを感じる一人の人として、自分を許しているか?
この問いかけを自分にした時に、全く答えられない自分がいました。
だけど、自分自身を一人の独立した人格のある人として、認めていない時、
子どもと1対1という「違う人格をもつ一人の人同士として対等な人間関係を築く」って、とても難しいと思うのです。
「わたしなんて、、、」母親の罪悪感が子どもを王様にしてしまう
そもそも、自分に対する自己評価が低い人は、自分のことを子どもより優先することにすごく罪悪感があります。
表だって何か言いたくない。
引っ込んでいるほうが楽なのです。
ただ、このやりかたでは、子どもはいつも優先され、庇護される存在となり、対等な人間関係を築く経験ができません。
子どもに、世の中の人は自分とは違う考えを持つ人がいることや、自分と違う人にも、人としての欲求を持っていることを教えなくてもいいのでしょうか。
ゴードン博士の言葉は胸に刺さりました。
お互いに別の欲求があるから、当然、衝突の場面がある
人間関係に対立があるのは当たり前
対立の解決法こそ、どの後の親子や人間関係を左右するもの
自分に自信のない人は、衝突や対立が超苦手ですよね。それは、過去に傷ついた経験があるからだと思います。
人間関係の衝突や対立は、できれば避けたいと、あらゆる策を講じて全力で阻止しようとしますが、
じつはこの時に、それを解決していく過程で子どもは、相手の立場が自分の立場と違うことを、初めて知るのだと思います。
「なぜ?対立が起こっているのか?」
「どうすれば解決できるのか?」
自分の立場が理解され、相手の立場を理解した時、見識や思考を深めることで、他者とどうやったら平和に生きていけるか?真剣に考え始めます。
他者と生きるための共生の知恵は、わざわざこのために教えなくても、対等な家族として暮らしていると、子どもの内面から自然に生まれます。
心の折り合いをつけながら、自分の心地よい生き方も考えるようになるのだと思うのです。
これは、健全な精神の成長です。
親業は、この世界平和に欠かせない「他者と生きる知恵」を自然に育まれさせるメソッドです。
そのためには、大前提にあるのは、お母さん自身が自分が大切にされるべき存在だと、思っているということ。それも結構大事なのです。
子どもに烈火のごとく愛されていると知っているか?
「自分が愛されている」
ということはあまりわかりにくく、信じがたいことかもしれませんし、これこそが最も難しいことなのかもしれません。
じゃあ、自分を大切にするってどういうこと?
となると思うのですが、それは、「自分にウソをつくのをやめる」ということから始まるのかなって思います。
自分自身を説得して、
感情に蓋をして、
なかったことにして、
何も言わずに
あたかの理解しているいい人風を装い、
だましだまし生きている
これだと、いつか感情が爆発しますよね。
それは、相手にわかってほしいと思う怒りの感情であると同時に、あなた自身が自分を偽り大切にすることができていない苛立ちの感情だと思うのです。
エラそうに書いていますが、これ、本当に私がそうだったから。
ありのままの自分にOKを出すということ
自分のどんな感情にもOKを出す。
これは、「自己受容」というコトバであらわされますが、親業訓練一般講座のテーマです。
そして、自分にウソはつかないで、率直に発言する具体的な方法は、「自己表現」がテーマの自己実現のための人間関係講座で学びます。
引っ込まない、攻撃しない、相手も自分も大切にしていることが伝わる言い方は、「言いにくい時」ほど味方になってくれます。
対等な人間関係を築くには、お母さん自身が自分に大切に向き合うこと、自分の発言に責任を持ったり、評価されることを期待しない心の体力をつけることを強いられます。
これは、まずは、子どものために学んでほしいのです。
子どもの為に。
自分の為は苦手でも、子どもの為にだったら、できるでしょ?(笑)
母と子が常に個別の人としていることは、本当に目指したい「新しい時代をいきる対等な人間関係」の基盤となると確信しています
自分の「人としての権利」を棄権しない事です(笑)
真に対等で尊重し合える人間関係は、暖かく思いやりに溢れています。
思いやりを溢れる子どもに育てるためには、思いやりを受け取れるお母さんであることが必須なのです。
お母さんだから、出来るはず。
私はそう思っています。
高校生の息子がものすごく繊細なのです。
上のお兄ちゃんはあっけらかんとしたタイプで、何を言ってもまったく平気なのですが、同じことを彼に言うと、「睨む」「屁理屈を言う」など、とても暗い。なので家族全員が彼に気を遣っているのです。「まったく勉強する意味がわからない」「なんで生まれてきたんだろう」「この先いい事なんて、あるのか」私から見ると、目の前のことから逃げているとしか思えません。
全く何を考えているのかわかりません。そして、私も、とても疲れます。もう、腫れ物に触るように接しているのですが、放っておいても大丈夫なのでしょうか?
1、男の子ってどうしてこうなの?
女子から見ると「ありえない」ことを平気でやる
例えば、「なんで生まれてきたんだろう」「この先いい事なんて、あるのかな」「死んでしまいたい」などシレッという…。そんな時、女子としては「は??何言ってんの?」と、言いたくなるようです。
「この子はこういう子」「こういうタイプだから仕方ない」と気質や性格の問題だと割り切ろうとしても、なかなか思うようにいかないのも苦しいところ。でも、ここで放っておくと、いらぬ「こじつけ」や、妄想も膨らんでしまいがちですよね。
ここは、自分勝手な「妄想」で頭がいっぱいになる前に(←こうなると、結構ツライから)、彼らへの理解を深めたいところです。
子どもから大人へ。思春期の特性とは
親が、欠点のある一人の人間だと気づき、社会のあらゆる矛盾点に嫌悪し、理想を追い求め、孤独感にどっぷりと浸かりきる・・
思春期はココロが不安定な時期
青年期(思春期)は失望と苦悩の時期
親が子どもを受容するという自分の内的感情をことばで表現するすべを身に付ければ、目を見張るような効果を生む道具を手にしたのと同じだ。
子どもが自分自身を受容し、好きになっていく過程、自分の勝ちに目覚める過程に影響を与えられるようになる。
子どもの発達を促し、遺伝的に与えられた可能性の実現を促進できる。
依存から独立と自己管理へ異動するスピードをはやめられる。
人生にどうしても出てくる問題を自分で解決する力、少年期、青年期に味わう失望と苦悩に建設的にのぞむ力を与えることができる。
「親業」トマス・ゴードン(大和書房) より2、思春期までに知っておきたい。男子のメンタルを傷つけない母親としての心構え
親子喧嘩こそ試される時!それぞれの違いを尊重しあえる
子育てに大切な「母親のメンタリティ」
3、まとめ
心と身体が大きく育つ微妙な時期だからこそ、親としてのあり方や立ち位置も注意したいところ。もう、小学生ではないのだから親の過干渉はダメだと思うし、勉強や部活、友達づき合いも、親に頼りっぱなしにならないように注意深く見守りたい。
もう、母親の出番はないのかな???
いえいえ、まったくそんなことはありません。むしろ、逆!
おかん力、、、スゴイんですよ~
1、子どもに何が起こったのか?わからないから悩む
なぜ、この子は変わってしまったの?
不登校問題は、とても他人事ではありませんでした。
子どもが高校生になると、子どもが急に動かなくなってしまうケースが増えています。子どもはエネルギーが枯渇したようにバタンと動かなくなってしまうようです。
ただ、学校に行かないだけでなく、まるで人格まで変わってしまったような変貌ぶりですから、親は気が気ではありませんよね。
当然、親子関係にも変化が起こります。
今、無気力になり、学校へも行けなくなる子どもは増え続けています。
幸い息子たちは3人共に、「学校を休む選択肢」はなかったようなのですが、それでもかなり身近な問題でしたよ。
特に、息子の小学校時代の友人が「高校を留年して退学した」と聞いた時は心が痛みました。なぜなら彼は、小学生時代は「ムチャクチャいい子でマジメで勉強好き」だったからです。
息子にとってはとても誇らしい友達だった彼。その彼が、中学3年生頃から徐々に何事にもやる気がなくなっていたそうです。でも、それまでの「学力の貯金」があったため地域内の進学校に入学しました。ですが、圧倒的な勉強量についていく気が起きず、ある時「学校に行きたくない」 と親に言ってみたそうです。
子どもが落ち着かなくて困ります。習い事をしていても、ふざけていたり 先生の言うことをきかなかったり、怒られてばかり。私は、他の方に迷惑がかかるのではないかと、気が気ではありません。親としてどうすればいいのでしょうか?
「まだ子供だし、ある程度は仕方がないのかな」とは思いつつも、周りの人に配慮できるような「思いやりの心」も育ってほしいものですね。
本当に望ましいのは、子どもが自分から行動を変えられる人に育ってほしい!ということ
つまり、
(親が)やめさせる
↓
(自分から)やめる
これこれ~
こっちにシフトしていきたい!
1.「やりにくい子ども」にしたくないから
私が親業を知ったのは、息子たちが5歳、3歳、1歳の時です。男の子を3人育てるのは「猛獣遣い」のよう。幼少期の男の子はほぼ野生児(笑)だと感じました。
主導権争いにしない
2.子どもが考えて行動を変えるため、親は何をするといいの?
まずは先入観のないピカピカのメガネで受け止める
わざとふざけている時は、きっと、ちょっと注意したくらいではふざけることを止めないですよね。だって、わざとしてるから。
これだと、私がやめさせても、その場しのぎにしかならないし、しばらくすると、また同じことを始めるかもしれません。
親も周りも困っていると、子どもにどう教えるか?
親が困る時、子どもにどう伝えていくと良いでしょうか。
親も一人の人間。余裕がない時や、イライラする時、感情的になる時もあるのがフツーです。ここはしっかりと向き合っていきたいところです。
で、ここが踏ん張り時でした (←言い方がとにかく下手だったから)
人間関係は、お互いが困っているピンチの時こそ「素」がでてきますからね。この時のかかわり方こそが、その後の親子関係に響いてきます。
もっとも大事なのは、どんな立ち位置で向き合っていくか?なのですが、子どもに誤解されないような「コトバの選び方」もとても重要です。
心を強く育てたいなら、子育ても戦略的に
発達の特性の問題はどうする?
さて、もしお子さんが、じっとしていたくても、できない場合、すなわち、発達に特性がある場合はどうしたらいいのでしょうか?
まとめ:親もツールを使って賢くかかわっていこう
我が家では、「わざとふざけて困る」みたいな「確信犯」みたいなことはありませんでしたし、三男にいたってはイヤイヤ期もありませんでした。
もはや生活の一部になったスマホ。
今や社会的な問題になっている、スマホ依存問題。親業講座をしていても、必ず出てくるのが「スマホ」の扱いに対する親子の対立です。
「約束を破った!」と言って規制や制限をすると、彼らは命を懸けて奪い返してきます。それほどまでに夢中になっている姿を見ると、かえって恐ろしくなるほど…。