昭和生まれの私にとって、息子を3人育てることはカンタンではありませんでした(-_-;) 不可解なことも多くて、「男の子ってどうしてこうなの?」と素直に思ったことが何度もあります。
私は河合先生の考え方が好きでよく本を読んでいました。そして、これがいわゆる「思春期」ってものなんだと、おぼろげながらに理解できた気がしたものです。
河合先生の本によると、
今まで、日本の一般的な家庭ではたいてい「親主導」で子育てが行われてきました。そして子どもは、ちょうど10〜15歳ごろに人生の転換期が訪れます。
それまで子どもにとって親とは「神」のような絶対的な存在だった「親」が、実は「フツウの人」だと知るのが、10~15歳ごろです。これは当然の事だと思うかもしれませんが、実はここが彼らにとってはすごい事なのです。なぜなら、自分が小さい頃からいつも正しいと信じていた「神」が、実はそうでなくてただの「おばちゃん」だと知ったからです。
彼らにとって、もう天地がひっくり返るほどの衝撃を受ける事もあるそうなのです。そう言うちょっとした「衝撃」を繰り返しながら、人は大人になっていくらしいです。「自己の確立」というのでしょうか。
親が生まれながらに自分に与えてきた「世界観」に、自分が感じる現実の「世界」とは違うことに驚き、ためらい、そして、受け入れていく。それが彼らの成長。
河合先生の本を読んで、そんな風に思春期男子の成長を解釈しました。
私は、今の子育てに照らし合わせて考えました。
例えば、小学生時代は、「勉強よりもスポーツ優先」だった場合など。中学に進学した後では、親は無意識的に「もう中学生でしょ」「スポーツもいいけど、勉強も大事よ」などと「方向転換」するのは割とあるケースだと思います。
状況が変わるからです。
ですが、子どもの立場になると、親の熱量の変化をどう感じているのでしょうか。
これは、親の言う事を聞くいわゆる「いい子」ほど、振り回されているかもしれません。親が全く逆の事を言い出したように感じて戸惑っていないでしょうか。
「違い」が納得できていない場合や、親の「変貌」に「心がついていかない」ということもあるかもしれません。
そう考えると、子ども達は世間や親の矛盾に振り回されて、葛藤をたくさん経験しているのかもしれないのです。
思春期はココロが不安定な時期
昔から、男の子は身体が弱かったり、育てにくいと母に言われていたことを思い出します。そして、思春期の男の子も、硝子のハートですご〜〜〜〜く繊細だそうです。
実際に、国立大学に在学中に亡くなる学生の、死亡理由の一位は交通事故や病気でなくなんと「自死」。そして男子が多いという新聞記事を目にしたことがあります。それくらい、男子は繊細なのでしょうね。
そして、私は男の子は「プライドの生き物」だと思っています。「プライド」と言う概念は、親業を学んだ時にものすごく腑に落ちた概念です。その人の「尊厳」がどれだけ守られているかです。
そして、思春期はその「尊厳」が傷つきやすいので、自尊心やメンツがとても大事!とにかくガラスのプライドを壊さない事が大事だと思っています。
私は息子たちとの数々のバトルで、彼らの精神的な「孤独感」みたいなものに触れてしまうときがあって、その「繊細さ」「素直さ」「純粋さ」に驚いたことが何度かありました。
これは男の子というより、個人の特性?これはわかりませんけど。
青年期(思春期)は失望と苦悩の時期
ゴードン博士が「思春期」について書いた記述があったので、転記しておきますね。ゴードン博士は「思春期」とはいわず「青年期」と言っていますが、失望と苦悩を味わうって言っていますね。
やっぱりそういう時期なんでしょうね。
親が子どもを受容するという自分の内的感情をことばで表現するすべを身に付ければ、目を見張るような効果を生む道具を手にしたのと同じだ。
子どもが自分自身を受容し、好きになっていく過程、自分の勝ちに目覚める過程に影響を与えられるようになる。
子どもの発達を促し、遺伝的に与えられた可能性の実現を促進できる。
依存から独立と自己管理へ異動するスピードをはやめられる。
人生にどうしても出てくる問題を自分で解決する力、少年期、青年期に味わう失望と苦悩に建設的にのぞむ力を与えることができる。
「親業」トマス・ゴードン(大和書房) より
そう言えば、昔のドラマは今よりも「青春もの」みたいなのがあったような気がします。鬱屈した心理状態などが描かれて、それを観ることで自分を重ね合わせたりしたんじゃないかな。
模擬体験、つまり実際にはやらないけれど、気持ちの上で体験することもできたかもしれません。
大人でもない、子どもでもない、自分が何者か?自分とは?中途半端な自分に気づきながら葛藤の中で自分を確立していくのかな、と思います。それは、大人になるための儀式みたいなもので、必要な時期なんだろうなと思うのです。
今は、そういう「青春期」の捉え方が、昔とは違ってきているかもしれません。
私的には、その繊細で苦悩に満ちた「思春期」「青年期」をしっかりと生きて、社会に積極的に生きる「大人の男子」に育ってほしいな。
2、思春期までに知っておきたい。男子のメンタルを傷つけない母親としての心構え
親子喧嘩こそ試される時!それぞれの違いを尊重しあえる
我が家でも、子どもの私への態度が、今までとは違ってきたと感じた時期はありました。
中学生の頃かな。今までとは精神的に、一歩「距離」をとってきたような、そんな風に感じた時期でした。そして、親子バトルも数々経験しましたよ。
息子に「お母さんとは合わない、合わなすぎる」と言われたことだってあります(笑)。すご〜〜〜〜くショックでした。が、不思議とあまり、後を引かなかったのですね。
今までの親子関係から変わったことに戸惑いを感じていましたが、それよりも、彼らが今、感じている「失望」と「苦悩」を私なりに理解したい、という気持ちが強かったのを覚えています。
「親業」で「心の成長」を根本的に学んでいたことが幸いだったかもしれません。私は彼とバトルをしながらも、自分なりに彼を理解したいと心から思えていました。それは彼とぶつかる事で、自然に沸き起こる感情でした。
以前のわたしなら、きっと自分を擁護するのに精一杯で、もっと息子を追い詰めていたと思うのです。
私も少しは成長したのか、息子の「コトバ」の意味に惑わされず、今の現状を整理することができてとても助かりました。そして彼が訴えてきた「気持ち」にも、焦点を当てることができました。
そして、ここを乗り越えるのは、息子の問題だと思えました。
ムダに繊細で理解不能な男の子のガラスのハート。
でもきっと、彼なら大丈夫。
そして、わたしは「わたしらしく」いたらいいのだと思えました。
息子とぶつかることで、私は自分をふりかえり、そして、やるべきことハッキリと見えてきたのです。その時、ちょっと「親業」サボってかなって思いましたが、そういうのも含めてすべてが私の母親としての成長だと思います。
親子のバトルがあっても、繊細な息子でも、お互いを尊重したいという思いと「対話の力」で乗り切れるものだし、そうできると信じていれば、大丈夫。
反省し過ぎないで、自分の気持ちを整えて軌道修正できたので、ラクちんでした〜
そして、その時期はすんなり過ぎていきました。
子育てに大切な「母親のメンタリティ」
人の心が育つ時、すなわち「子どもから大人へと成長を遂げようとする」ときは、自分の中の「繊細さ」や「傷つきやすさ」「甘えたい気持ちと独立したい気持ちの葛藤」があらわになる時です。
子どもが「今のままの自分の姿」に直面したとき、親が彼らにどう接するかはとても大切だと思います。
そして、大事なのは、お母さん自身の「メンタリティ」(心のあり方)です。
だけど、母親も一人の人間。
育児本には、子どもへの接し方や親の心構えについて触れているものはあるのですが、母親自身が自分のメンタルをどう整えていけばいいのか、方向性や考え方、具体的な方法を詳しく指南してくれるものって、あまりありません。
なので、私としてはとてももどかしいのです。
ですが、これこそ究極の子育てのツボ! 母親のメンタルが整っていれば、子どもって自分でどんどん伸びていっちゃうようですよ〜
特に、男の子って繊細だし、私にはワケがわからなかったから、ここで勘違いが多いのかな。
男の子のナゾに繊細で超壊れやすいガラスのハートですが、歳をとるほどに、だんだんとコツがわかるようになってきたのかなって思います。これも経験ですね。。。
20年前のわたしには、とっても理解できなかったことなのです。
子育ては、親の成長を待ってはくれませんし、思春期・反抗期に臨む母親の心構えって、だれも教えてくれないのは、それだけ奥が深いことだからだと思います。
男の子を大人のカッコいい男子に育てる事は、私のミッションであり、人生をかけた研究テーマそのものでした(笑)
思春期はサナギの時と言われます。動かず、見た目も美しくないから、突っついて生存確認をしたくなりますよね。ですが、それではサナギは死んでしまいます。
サナギから蝶に美しく羽ばたいていけるよう、今、この時期こそ彼ら自身のプライドを傷つけないように接したいものです。
サナギの内部で起こっている、壮大な変貌を想像しながら、「うちの子の中には自分ででっかく育つ力が眠っている」「今は大変な時やねんな」という深い信頼をもって、毎日を過ごしていくことが、彼らの自尊心を傷つけるリスクを減らします。これが、ゆくゆくは、彼らの心からのやる気に繋がっていきます。