不登校児のお母さんが親業に出会って学んで変化する日常の軌跡

引きこもりの図

おかん塾には、不登校児を持つお母さんからもよく問い合わせがあります。

 

おかん塾で提供する「親業」は、「不登校児問題専門」ではありません。ですが、子どもの不登校を機に、お母さんが学んで、親子関係を改善していったり、子どもが立ち直るサポートができているのも事実です。

 

以前、親業訓練一般講座(中高生の親向けコース)で学ばれた方から、感想メールを頂いていますので、ご紹介しますね。

 

この方は、私と同じ3人の男の子(当時)12才(中1)、10才(小5)、8才(小2)のお母さん。次男さんが2年前、小3の6月から不登校になり、長男さんも2年前の小5の11月から疲れたと体調不良を訴えだし、自律神経が乱れて、数々の不定愁訴を訴えたそうです。

 

「どうしたらいいのか?」と、改善策を探しまくって、おかん塾のブログに辿り着いて、3時間ぐらいだっけ?かけてはるばる遠方から講座を受講されました。

 

どの方もそうなのですが、すごく真剣に取り組まれていた姿からは、もう、「この子を何とかラクにしてあげたい!」っていう母親の愛情をありありと感じます。

 

それから、「何か方法はあるはずだ」「私がこの子たちをゼッタイに守る!」という母の覚悟も。

 

今回、ご紹介するこのメールからも、この方の「母としての想い」がバンバン伝わってくると思いますよ。

 

だけど、その「熱い」ほどある「母親の愛情のエネルギー」の向きを、どちらに向けるかによって、子どもの状況が変わっちゃうってことは、私にとってはもう、どうしようもない事実なのです。

 

この方も、講座期間中の短期間の間でも、ご自分の「愛情のエネルギー」をかける向きをすご〜〜〜〜く修正されたと感じました。

 

メールをたくさんいただいて、どれもとってもリアルですが、シェアOKと言ってくださっています。

 

同じように悩んでいる誰かの役に立つのなら、ってことです。

 

受講後のメールから、紹介しますね。かなり長文ですよ。これでも一部です(笑)

 

受講後のリアル:親業を学ぶことでどう考えるのか混乱

ほとんど原文のままです。

受講直後のお礼のメールです。受講のキッカケなどが綴られています。

集中講座4回では、お世話になりました。本当にありがとうございました。まだまだほとんど身についていない私ですが、本で読んでいるより、生の声、ロールプレイは理解しやすいです。

 

ちこ先生のブログを読ませていただいて、ブログの内容はもちろんのこと、 

・2才差男子が3人

・最初は褒める育児で頑張っていたこと

・長男が卓球部

・長男がradwinpsが好き 

 

というちょっとした共通点も、ちこ先生を身近に感じた要素でした(*^_^*)

 

私もちこ先生と同じように、子供がもっと小さい時、良い子育てを目指して、育児書ジプシーをしていました。

そして書いていることが違う!私いったいどうしたらいいの?となり、出会ったのが浜文子さんって方の本でした。

 

「あなたのままで母を生きればいい。違う誰かにならなくていい。ありのままのあなたで子供にぶつかればいい。」という内容で、私はホッとして育児書ジプシーが終わったんです。

でも親業のような具体的な道具はないので、育児は大変だけどこんなもんかと思いながら、子育てをしていたら、

 

長男:自律神経の不調、

次男:不登校、

三男:やけくその王様

 

というのっぴきならない感じになりました。

 

そしてある「不登校改善プログラム」を受け、学んだこともあったけど、何か違和感を感じたことは前回メールで書いたとおりです。

 

毎日のバトルにとても疲れていた「三男王様問題」。

 

昨日もお話ししましたが、三男が、とても落ち着いてきました。

 

旦那は「やっぱ学年が上がると成長するんやねー♪」の一言で片付けてしまいましたが、私は密かにこのたどたどしい「能動的な聞き方」と「わたしメッセージ」(親業で学ぶ技法です)が効いているんじゃないかと思っています。

 

三男がワーワー言い出し、手が付けられない感じになるのは、感情をうまく言葉にできなかったからだと思います。

 

そして感情を言っても、たいてい私が「そんなわがままいかん」と怒る。すると何か言うとまた否定されるんじゃないだろうかと思い言えない。

 

私からすると何が言いたいのか分からず、わめきちらす三男にイライラ。それで怒鳴り、力で押さえつける。三男、思いっきり反抗してくる。

 

それか、わめかれるのが嫌で周りが合わせる。するとこちらの感情がないかのように、自分の主張ばかり。周りは不満がたまる。

 

第一法、第二法だらけでした。

 

三男と会話する時は「能動的な聞き方」を頑張ってみました。

 

三男の主張が困る時は、あなたの気持ちは分かったけど、それだと「お母さん困る」とか「お母さんは嫌」とか「わたしメッセージ」で伝えることを、意識しました。

 

全部はできなかったですが、意識しました。

 

ついつい「今○○と思ってる?」「今○○なの?」と捜査一課の刑事!?のように尋問している自分に気付き、「今○○と思ってる?のね」「今○○なの?ね」と言い直したりして、日本語覚え立ての外人みたいなたどたどしさを醸しまくってます。

 

「わたしメッセージ」も行動が批難がましさを意識しすぎたらよく分からなくなったり、影響がうまく言えなかったりしています。なんせぱっと言葉が出てこないです。

 

感情部分も「困る」しか言ってないような・・・。

 

不登校は今朝も子供とやりとりしましたが、親業をどう落とし込むのかがいまいちまだ分かっていません。

 

「能動的な聞き方」ばかりしましたがそれだけでいいのか?

 

子供が学校に行かなくて、将来引きこもりになられると、気苦労が絶えないし、生活もお金の面で困るけど、それを言ってもいまいち子供に影響として伝わらない気がします(一応伝えはしましたが)。

 

子供が学校に行かないと、私の体が痒くなるとかだったら分かりやすいですけど、そんなのはないですし。

 

私が子供に学校に行ってほしいのは「子供を将来引きこもりにしたくない」という欲求と

 

「人は人と関わってしか生きていけない。家に引きこもって、情報をネットから収集して、話し相手は大人だけ。勉強は通信でという選択はおもしろくない。学校で生身の人間に触れて、年の近い子供たちの間でもまれて、いろんな経験をしながら、楽しい思いも苦い思いも味わいながら、生きる力を学んでほしい。」

 

という価値観があるようです。

 

そして子供たちも「行きたくない」のではなく「行けるものなら行きたい。」そうです。だから学校に戻したいです。

 

行動の四角形のどれになるのか、まだいまいち整理ができていません。

 

それと昨日お聞きした、環境改善。

 

親業を習う前、私は「朝ゲームをしたい」と言い出した三男に「朝はゲームはだめ!」と認めず、また「7:20なったらテレビを消します」と言って、消していました。

「もっと見たい!」を言われても、「学校行く準備が出来ていないとダメ!」と認めませんでした。

 

夜も「9:30だから電気消すよ」「いやだ。まだ漫画が読みたい。」「はい。明日ね。スイッチオフ。」としてました。

 

学校に朝から行けていない日、学校の時間に漫画を読んだりゲームをしてるのは許せなかったので、すべて職場に持って行ったりしました。

 

親業を習い始めてから、あれ?これって第一法?子供の意見を撥ね付けている?それに朝ゲームをしても、テレビを見ていても、学校に遅刻しても、私に具体的な影響ってないのかしら?てことは「問題なし領域」と考えないといけない?と思っていました。

 

でも、昨日「私がイライラするから環境改善しました!」とちこ先生がおっしゃっていて、環境改善と私への具体的な影響がよく分からなくなりました。

 

環境改善は具体的な影響がなくても大丈夫?子供がOKしていなかったら第一法ぽくないだろうか?そもそも第三法で決める?

 

頭がごちゃついてます。

 

しつけは価値観の対立で「伝えるのは1回」ということでしたが「ご飯の時、肘をついて食べない」「足を立てて食べない」は気付いた時に何度も言っていくことで身につくもののような気がします。

 

これくらいのことは親業云々考えなくていいのかしら。

 

それとそれと浦入家では、子供が小学生の時は第三法でゲーム時間を決めていたのお話ですが、親の欲求は「子供の目が悪くなってほしくない。心配。」ですが、具体的な影響って?

 

〇〇さんが「お子さんのアトピーが痒そうで見てられない」が影響としては伝わりにくいとお話されてましたが、小学生と高校生でまた変わってくるということでしょうか?

 

小学生だと「お母さんに心配かけるのは影響を与えている」と子供が考えても、高校生だと「心配はありがたいけど、僕の体だから。」とあまり影響を与えていると子供が思ってくれない違いがあるのでしょうか?

 

第三法では3部構成のわたしメッセージを作れなくてもいい?これも混乱しています。

 

親業の基本をすべて教えていただいて、頭の中がこんがらがってきました。


もう少し距離が近ければ、個別相談でお聞きしたいのですが、メールでたくさん質問してすみません。

 

ありがとうございました。


今までとは真逆の考え方で、手ごたえを感じているのだけど、実際にはどのように日常に落とし込んでいけばいいのか?疑問だらけですね。

 

それだけ、「日常に照らし合わせて」いるという事だと思いました。

 

講座を受講しても、すぐには落とし込めない事もたくさんあるかもしれませんが、少しずつ、日常的にやり方を意識することで、「どう考えて、どうしたらいいか?」を、自分のケースで整理していかれます。


この日常生活の中で起きている試行錯誤こそ「親業」そのもの。親が成長していく過程の道のりなのです。

 

目の前に繰り広げられるバトルとは、たいていは「表面的にでてくる問題」です。それらを丁寧に扱っていくと「そもそも解決すべき本質的な問題」が浮かび上がってきます。


そして親と子のお互いが自立するという、根本解決への道が続いていくのも、親業を学んでいく大きな特徴ですよ。


なので、ひとつひとつ問題が解決されると、表面的に出てくる問題は、だんだん少なくなっていくのは、当然なのです~


その後に頂いたメールです。気づきや日常の変化が綴られています。

 

 実践の中でより自分のあり方が見える時

 

 その後のメールです。

おはようございます。
講座修了後から、毎日親業生活続けています。

でもまだぼやーんとしていて、少しは身についているんだか、いないんだか。

私はどうやら「問題所有の原則」がそもそも苦手のようです。

子供が困っていると、自分が解決してあげたくなる。それが普通で、それが優しさと思っているふしがある。子供が困っているのを私が放っておけなくて、私が見ていられなくて解決してしまう。

それが「へたれ」を作ってるんだぁと薄々気付き始めました。

不登校の子供は体験不足。今までも散々言われました。「子供を信じて任せるのです」とも言われました。


その意味もいまいちピンと来ていませんでした。

私は子供が自分で解決する力を持っていると信じていないのです。

子供扱いしてなめているんですね。任せて解決できなかったらこの子は立ち上がれないんじゃないだろうかと思っているようです。

不登校の親は過保護・過干渉とよく言われています。

でも何が過保護になって、何をすることが過干渉なのか未だに分からないのです。

過保護・過干渉という言葉で整理しようとすると、まだよく分からないのですが、

彼らの問題を、頼まれないうちから取り上げて、私が解決しているということはだんだんと分かってきました。

昨日兄弟げんかがありました。

三男が食器運びのお手伝い中にお箸の入ったコップをこぼしたんです。

すると次男が「またお前は!注意が足らん!こぼすなよ。」と言いました。

すると三男「うるさい!」と言い、お箸を拾って、また食器運びをしていたら、またこぼしたんです。

次男が「ちっ。ほんまに。お前は。」と言いました。

すると三男が次男を蹴る。やり返して次男が三男を蹴る。蹴り合い。

よろけた次男が、次男が大事にしていた箱を踏んで潰れてしまい、次男号泣。

しばらくして泣き止んだ次男が三男に「話がある。」と言ったのに、三男はテレビをつける。

次男「話がしたいからテレビを見るな。」三男無視。

次男「テレビつけるな。」と言い、他のリモコンでテレビを消す。

三男、テレビをつける。

繰り返し。不毛の争いが続く。

私はまたざわざわ。放っておけないの血が騒ぐ。思わずリモコンを両者から力付くで取り上げてしまいました。力付く・・・これも得意技のようです。

「聞きたくない気持ちも分かるが、話したいと言ってるんだから、聞いてやれよ。テレビ消せよ。」そんな気持ちでした。

2人が相手の責め合いになっているので、私は通訳を務めました。

 

次男、三男が発した「あなたメッセージ」を「わたしメーセージ」に変えてそれぞれに伝える。それぞれの気持ちは「能動的な聞き方」をつかう。

すると嘘みたいに喧嘩が終結しました。2人とも落ち着いてすっきりした表情をしていました。

親業を習う前なら、うるさいのを我慢して、我慢して、我慢して、ヒートアップに我慢ができなくなって「うるさーい!」と言い、事情を聞き、どちらが悪いかをジャッジ。

たいてい三男が悪いという結論が多く、三男がさらに大暴れ。それにイライライライラ。

そもそも通訳を頼まれたわけでもないのにしゃしゃり出るところが、過干渉なんだろうか?とは思いつつも、「わたしメッセージ」「能動的な聞き方」のすごさを実感しました。

にしても能動的に聞いている最中、私はよく提案したくなります。「こうすれば解決じゃん!」って。それを抑えるのが結構大変です。

提案したって、そうするかどうかは決めるのは相手なんだから、提案くらいいいじゃん!って思ってるな、私です。

 

この頃、親業のやり方が、少しずつ自分の中にジワジワとしみ込んでいく様子が見られると感じました。

 

新しいやり方をすることで生じる「違和感」もあったようです。そんな中で、自分の苦手なところが浮かび上がってくるという、「気づき」が起こります。

 

自分の事って自分ではよくわからないから、これは一人では修正するのができにくい分野ですが、親業のやり方を意識して、メソッド通りに行うと、否が応でも修正されていくのです。


「違和感」を感じているってことは、素直に親業を実行しているからこそですよ。この方法を使ってくださっていることがすぐにわかります(笑)

 

親業には、体系的にまとめられた「方法論」「型」があります。これが本当に役に立つのは、特別な訓練を受けていない「しろうとの親」にとっては、「羅針盤」のような存在になるからです。

 

これほどありがたいものはないって思うほどです。(←助けられた経験者)

 

かといって「型」にたより切るのも、NGなんですよね。

 

どっちやねーんって聞こえそうですが、「型」がありながら、「型」の中に入れるコトバが、あなたの血の通った温かいホンモノのコトバである時が必須です。

 

これができたとき、びっくりするくらいの感動的なことが起こるのです〜♪


子どもへの思い込みがガラリと変わる瞬間

次のメールでは、親業を使ううちに、子どもへの見方そのものが、変化していったことがつづられていますよ。

 

「特性の強い」子どものお母さんにはこの方の感じたリアルな経験は、とても参考になるんじゃないかなと思いシェアします。   

「能動的な聞き方」ですが、長男に使っていた時、ちょっとした気付きがありました。


長男は、人と感覚が少し違うようです。あまりうまく説明できませんが、ガラスのコップを持ってきてと言うと、どれがガラス?と聞くのです。


私は「ガラスなんて中1だから分かるでしょ」と思うけど、「分からない」。で、「ガラスはこれだよ」と説明。ところがつるつるのガラスとざらざらのガラスがあると、彼にとっては全くの別物で、同じガラスというカテゴリーに分類できない。

 

本気で分からないので、細かいこと(と私が感じるようなこと)を理詰め(のように聞こえる)で言ってくるのです。
 

「頭が悪いのかな?」と思ったことがありましたが、脳の構造が一般的でないのかもと思いました(悪い意味でなく)。
 

彼は芸術的なことに優れています。
 

持っているものが違うから、ある分野においては、相手が何を言わんとするのかが分かりにくいのかもしれない。
 

それで相手にとってはどうでもいいことにこだわって話すように聞こえるから、煙たがられる時がある。
 

感受性が強いから、相手の嫌という気持ちはキャッチする。


なんと生きづらいものを持っているのか。
 

「能動的な聞き方」をしていたら、そんなことを感じました。
 

そしてコミュニケーション能力が、彼を助けるかもしれないとも思いました。
 

親業を我が家に浸透させたいと思いました。 

 

 

 

「子どもの内面にあるモノ」をそのまま「理解」した第一歩かもしれませんね。

 

彼との本音を言える会話を繰り返すうちに、自然と「ああ、別の感じ方をする別の人なんだ」ということが、ただそれだけだとシックリと思えるようになっていったように感じました。

 

能動的な聞き方で、しっかりと「聞く」と、相手をよく知り、理解できるようになってきます。

 

「違い」「個性」はコミュニケーションの能力で補うことができるし、この方の言う通り、彼を助けるかもしれません。


そして、本当に助けられるのは、私たち母親だと思います。なぜって彼らの内面にあるものを心から理解して、彼らが育つように助けることができるってことが、どれほど母親として自信をもてることで、気持ちがラクになることでしょう。

 

「違っていい」「個性があっていい」と思えると、それぞれが、自由になりますが、だけど、この視点がないと、「ふつうと違う人」「特異な人」として、片付けられてしまいがちですよね。

 

これは、勿体ないと思うし、親としても「この子は変わってる子」で片づけてしまうのは、複雑な想いがあるのではないでしょうか。

 

実際に、この方も、悩んでいたことを次のメールで知りました。  

 

次男や三男の「分からない」と長男の「分からない」が、なんとなく違うように感じていて、この子は感覚が特異なのかなと思っていました。

 

長男が学校に行きづらいと言った時期に、勧められて、心の専門の小児科に行ったことがありました。

 

発達テストを受け、

 

「この子はアスペルガーの傾向がある。この子は一生疲れます。持って生まれた特性だから、一生このままです。この子は他の子と違う感覚を持っているから、相手の言ってることが、理解できません。

相手の心が全く理解できません。」

 

テストの数値などを見て言われました。

 

それを聞いた時、長男が症例の一つのように感じ、違和感を覚えました。

 

相手の心が全く分からないなんてことないと苛立ちも覚えました。

 

それで今回の「ガラスのこと」があった時に、昔、小児科医に言われたのは、この感覚の違いのことだったんだろうかと、ふと思い出して、私の中で繋げていました。

 

まぁ、そんな特質があろうがなかろうが、単なる違いに過ぎない気がしています。

 

ではでは、この辺で失礼します。

親業のこと、聞いていただきたくなったら、またメールします(笑)

 

 

たくさんのメールをありがとうございました。

 

個性豊かな3人の男の子のお母さんということで、まだまだ、この先もこの方の学びは続いていくでしょう。

 

この方は母親として成長するために大切な「気づき」は、すべて家庭の中での、大切な子どもとの「対話」の中に起こっています。

 

親子って、一緒に学び合っていけるんですね。私はそれがスゴク「尊い」ものだと思うし、それこそが、おかん塾で提案していきたい「母親の姿」なのです。

 

そして、その時に「道具」として使えるのが、親業のメソッドです。もはや、これがないとはじまらない〜です(笑)

 

彼女の学びとメール(ほんの一部ですが)が、誰かの役に立つことを願って、ありがたくシェアさせていただきますね。

 

子育てを団体戦で!

 

主旨に賛同して下さり、とても嬉しいです。

 

幸せを他人任せにしないで、自分で掴み取りたい!そんな、前向きな「愛されおかん」が、また一人育っています。