「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません。」
最近お気に入りのドラマが、NHKで火曜日放送中の、「テミスの不確かな法廷」です。
主人公の松山ケンイチさんが演じるのは、発達障害と診断された裁判官なのですが、彼がね、言うんですよね。
「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません。」
このセリフが出ると、なんかスッとします。そうそう!と思ってしまう(笑)
当たり前にわかってるはずと思い込んでいる「思い込み」
子育ての難しさとは、自分の勝手な解釈で自己流になりがちだということです。もう少し詳しく言うと、自分の勝手な解釈を、子どもに押し付けてしまいがちだということです。
人は、自分が住む世界を「自分が観たいように観る」生き物です。
全ての人に、いわゆる「思い込み」が存在します。
先入観や、憶測、解釈などの、自分のフィルターから世界を観て、その世界が唯一だと「思い込んで」いますから、この「思い込み」を修正することは意外とむずかしいものです。
私も、たくさんの「思い込み」を抱えて生きてきました。
そして、自分では、それほどたくさんの「思い込み」を抱えていたことさえも、わかっていませんでした。←そもそも、思い込んでいるので、気づかないのが思い込み。
今でも、たくさん残っているなあと、、、、、本当に感じます。
ですが、
まあ、人間ですから「思い込み」があって当たり前。
必要な時に、その「思い込み」に気づくことや、または「私にはまだまだ思い込みがあると言う前提で物事を観る」だけでも、いや、「観る」までできなくても、「思い込みがあると知っている」だけでも、
ちょっとは進歩したかなあ、、、などと思っているのです(←エッヘン笑)
「無知の知」ですよね、、、
「分かっているつもり」にならない事が、このドラマを観ながらも、本当に大切だなと改めて思うのです。
「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません。」
話がずいぶん逸れましたが、
この、「無知の知」の考え方や、自らの中にたくさんの「思い込み」があったことを、自分で思い知るようになれる作業の一つが「子どもを育てる」ということでした。
子どもが体当たりで、私の「思い込み」をぶち壊してくれます(笑)
で、「思い込み」があったと気づいた時に、それを、排除するのか、残しておくのか、どちらを選ぶのか選択すると、自分が選んだ新しい世界で生きる事ができます。
ですが、この作業は「世界観」が変わってしまう可能性があるわけですから、実際にはルンルンの楽しいことばかりではありません。
今まで妄信していた世界が変わるわけですから、その人にとっては、かなり、恐ろしい作業だと言えるかもしれません。
意見や態度、自分まで変わってしまうかもしれない…。
実は、親業訓練で「子どもの話を聞く」ということは、子どもの心を深く理解するために、子どもの世界観の中で話を聞く作業の事を示します。
これね、自分が変わる恐れを冒すことです。なぜなら、相手の世界観の中に入って話を聞く事とは、自分の世界を一旦、出なければならない。
なので、防衛的で自分を守ろうとする人にとっては、辛い事かもしれません。
人が成長するためには、心の揺れを担保できる、深く安心できて、信頼できる人間関係の基盤が必要です。私たちは、人が安心して揺れることができるよう、その揺れを支えられる「特別な聞き方」を学んでいるわけだよね。
つまり、揺れながら話を聞くことをやってるわけだから、親にとって心の耐性や体力をつけるトレーニングになってると思う。しんどいけどね。
今、親や教師に求められているのは、正しさでも、優しさでもなく、不完全な自分を受け入れながらも、一緒に揺れる心の耐性をつくる「人間力」なんだと思います。
親業では、それをトレーニングで鍛えてるってわけだな。
ハードやわ(笑)
楽しいけど(笑)(笑)