思春期になると、子どもとの親子関係は見直しを迫られます。
などなど。時には、ケンカ、暴力、罵り合い、部屋にひきこもり、など、親の言うことを聞かなくなり、修羅場を迎えるケースもあります。こんな時、親としてはどうしたらいいか途方に暮れることもあるかもしれませんね。
何が起こっているのでしょうか?
親業では、親と子の意見が分かれてどちらかあるいはどちらもが嫌な思いをしている時「衝突」「対立」が起こっていると考えます。
対立と葛藤の不安定さを味わう
この時の心の葛藤たるや、モヤモヤがさく裂して、ホントに試練を感じますよね(泣)
私ももちろん、この葛藤は味わいました。私は自分の親との関係でも味わいました。
子どもの事を気遣う優しく繊細なお母さん、また、優しくて繊細な子どもほど、相手の気持ちまで汲み取り過ぎてしまいますよね。そして、苦しくなってしまうのです。
子どもを見ててモヤモヤする。〇〇すべきじゃない?〇〇をやってほしい。その方が安心。けど、それをする子どもの身にもなるとイヤな気持ちを味わうだろうし傷つくかも。それはしたくない。なので、強制はできない。でも、強制しないと、行動はそのまま変わらない。つまり私のモヤモヤが残っている。それもツライ。。。。
ぐるぐるぐるぐる(←無限ループのグルグル思考へ)
だけど、やっぱり、それでも、〇〇すべきじゃない?なんて思ってしまうのは、それもきっと、子どもの将来を案じての「母としての正義」なんだろうなって思います。。
子育ての葛藤は 、どっちも間違っていないからツライんですね。
そして、そこをもう少し考えてみると、親子の葛藤のツラサとは、結局は、自分のいいと思う事を相手にも同じように感じて欲しいと求めるから、ツラくなるんじゃないかなと思うんです。
ここね、「価値観の違い」なんですよね。
対立は起こるのがフツウだという意識をもとう
人が二人以上いると、違う人なので、別の考え、別の欲求、別の価値観があって当たり前だと考えます。ですが、これが親子となると少し毛色が変わってきてしまいます。
「こんないいモノ、あなたにも知って欲しいのに、なぜわからないの?」
「どうして、この良さがわからないの?」
など、他人との間では当たり前にある「違い」も、親子の間では「対立」となってしまうのは、なぜなのでしょうか?
自分の肉体を経てきた息子が、自分とは全く違う思考をもち、真逆の価値観をもつことを、どこまで、許せるか?
結局、母親としての試練や成長って、ここにあるんじゃないかと思っています。「切羽詰まった問題」が出てくる時こそ、どうしても自分の思い通りにしたくなるって事があるから。(←経験済み)
ですが、そのガッカリ感を感じる事こそが、私にとって試練の時であり、リアルな訓練だったのですね。今では、母としての器を広げて成長できた貴重な経験だったと思っています。
子どもが違う時代を生きている、違う感じ方をする、違う人だということが、どこまで、腑に落ちているか?はとても大切ですが、結局は日々の対立のバトルを通して「リアルな訓練」を積み重ねていくしかないのかもしれませんね。
対立を乗り越える時に、母親としての成長がある
親子の対立は、その後の親子関係を左右するほどの大きな問題です。ここで大切な事は、対立を「起こさない事」ではなく、対立が起こった時に「どのように解決をしていくか」です。つまり、対立を無かったことにしないことです。
対立は苦手だから避けたいところですが、子育ての問題を完全に予防する事なんてほぼ不可能です。
そして、親子が「違う人」だというお互いに認識ができていると、対立するのが怖くなくなり、対立があって当たり前の状態になります。
繰り返しますが、親子関係の問題は対立が出てきた時にこそ試されます。対立したその場でのやりとりこそ大事!
対立は体験してみないとどうにもなりません。
だから、対立を避けるのではなく「対立と向き合えるような自分にしておく」ということが大事だと思っています。
このための、心構えを持っておきたいです。
親子の対立が起こった時に「なんで起こったの?」「どこで間違えたの?」「どうしたら、穏便に解決できる?」などなど、気持ちを引いたり、避けたりしないで、
「ああ、いよいよ私にも来たな〜」
「これが修羅場だな」
と、しっかりと向き合うためにも、肚をくくるココロの準備をしておくことがおすすめです。
子どもとの対立を避けることは、問題を先送りするだけです。
受け止めたり、しっかり向き合うためにも、自分が何を伝えたいのか?親としてどうありたいのか?ということも、しっかりと確認しておきたいものです。
ケンカや対立しないのはいいことか?
子どもの反発や親子の対立は避けたいものだと考えがちです。ですが、逆に、反抗など全くしない子どもを私たちは望んでいるのでしょうか?
聞き分けの良すぎる子どもを持つお母さんは、他のお母さんにとってはうらやましいと思うかもしれませんね。ですが、それはそれで悩みを抱えている方も多いのです。
聞き分けが良すぎると、「本当に大丈夫なのかな?」「ムリしてない」と心配になってきます。
もちろん、親が気になっていても、子どもがまったく気になっていないって時もありますが(笑)
ここも、個人差があるので状況の見極めがいると思います。「対立がない」と表面的には装われていても、もし子どもが不満を抱え込んでいると、その後何かのはずみで表面化してくるかもしれませんね。
真に対等な人間同士では「対立」があるのがフツーと考える方が健全ではないでしょうか。
人が、対立を恐れるのは「攻め合い」になりやすいからです。
本当の問題は、親子の「対立」をどう考えて、どう解いていくか?お互いが親密になれるやり方を知らないことだと思います。なので、問題が解決しないまま、不満が積み重なり、次第にこじれていくことだと思います。
そうすると、感情がからまってお互いが「意固地」になっていくから、問題がどんどん飛び火してふくらんでいき、どちらも「顔も見たくない」なんて言い出す恐れがあるのです。
そして、対立は「親が正しいか?子どもに従うしかないか?」の二者択一の問題にしないで、全く違う方法で、建設的に解決することができます!
これを実現するためには、相手の想いを正確に聞くスキルと、自分の想いを正確に伝えるスキルが必須ですよ。
私は、訓練でこの対話の技能スキルを練習しましたが、まだまだ苦手です。
でも、そもそも、対等で健全な人間関係をしている人は、この技能スキルを自然に身につけているんですよね。きっと、家庭環境や、養育環境の中で自然に身についていったのだと思います。
親子の対立や葛藤にしっかりと向き合うことで、そこから親子の“育ち合い”が始まっていくのです