宿題や忘れ物より大切にしたい子どもの「主体性」と「内的動機づけ」が育つ親の関わり方

宿題や忘れ物より大切にしたい子どもの「主体性」と「内的動機づけ」が育つ親の関わり方
親なら誰もが気になるのが子どもの「宿題」「課題」「忘れ物」問題。

我が家の3人の息子たちは、他人の嫌がる事は絶対にしないし、先生に反発・反抗などもしませんでした。ですが、自分の課題は出さず、忘れ物も多かったのです。

そんな中で、私が子どもの宿題や勉強に口出しをしないのは「ある理由」がありました。 

 私は、忘れ物や勉強・宿題について、彼らにクドクド言いませんでしたが、どうでもいいと思っていたわけではありません。

それどころか、すご〜〜〜〜〜〜く気になる人でした!

 

だからこそ、とてもこだわっていました。ここは慎重に「一番大切なコトである主体性が損なわれないように」と、彼らに対して接していたんですね。
私が、忘れ物や勉強については、あまり口出ししなかった理由とは、忘れ物や勉強などを、彼らが自分で対処できる力をつけて欲しかったからです。

自分で自分の問題を解決できるように!

そのためには、他人からドーノコーノ言われて、イヤイヤやるものではなくて「忘れ物をしたくないなあとか、勉強しなあかんな」と、自分から強く思う気持ちが必須。

つまり、動機づけが大事。自分の内面から「動機づけられる」ということです。これこそ、主体的にとりくむ姿勢のタネですよね。

ここをずっと願っておりました〜

さて、どうすれば、この動機づけの気持ちが芽生えるのでしょうか?

それは、ズバリ
忘れ物をしたくない!もう、懲り懲りや〜
  
と、本人が強く思うこと。
 
将来、自分から物事に対処できる子どもを育てるためには、この動機づけがとても大事だと思いました。なので、そこを見据えて、自己のコントロールができて、自分の行動に責任もとれる子を目指してました。

 

動機付けが内側か?外側か?で子どもの燃え方は違ってくる

動機づけとは「〜したいように」または「〜したくないように」という、行動の元になるキッカケの気持ちです。

私が大切に育てたいと考えたのは「動機づけ」を、彼ら自身の内面からのもの、すなわち「内的な動機づけ」にすることでした。

これに対し、実際によく親がやっているのは、「忘れ物をすると困るよ」「勉強したら遊んでも良いよ」など、自分の他の人からの動機づけをうながされることを「外的な動機づけ」と言われます。

アメやムチで上手に動かされることも、外的動機づけになります。

実は私は、親業を学ぶ前はよく息子を動かそうと「天才だね~」「すごいやん!」とほめちぎっていました。
 
ですが、これは親の外的動機づけだったんですね。知らずにやっていたとはいえ、かなりビックリしました。

それは、この「外的動機づけ」だと、思わぬ落とし穴があるのです。


落とし穴① アメとムチの効果があるのは、低学年のうちだけ

「アメ」がそれほど欲しいものでなくて、「ムチ」がそれほど怖いものでなければ、当然ながらそれは機能しません。なので、この一般的な動機づけの方法は、中高生になるほど、効果がなくなっていくのも当然の話です。

低学年のうちはよく親の言う事を聞いていたのに、高校生にもなると一向に聞かなくなるのは、彼らを満足させる「アメ」も、彼らを怖がらせる「ムチ」も、もはや、親が持っていないから。

でも、もっと大きな落とし穴は、そもそも、親が「アメとムチ」を使う行為そのもの罪悪感を感じて、耐えられなくなることかもしれません。


落とし穴② 「親は結局は自分の思い通りに動かしたいんだろうな」と子どもが誤解する

親や先生、大人たちが「アメとムチ」を使って、自分の行動を制御しようとすることは、子どもにとってはとても作為的な行為に感じるかもしれません。
  • 手ぐすねを引かれている、
  • 操作的、
  • 魂胆ミエミエ
  • 〜させたい下心が丸見え
こういう「親のコントロール」を感じる時、子どもは「ありのままの自分で受け入れられている」とは感じません。「上手いこと言っても、結局は自分の思い通りにしたいんやろ」と、「親のレール」を感じる時、逆に「やる気がなくなる」ことが多いのです。

人は、自分の行動を決めるのは、いつも自分でいたいのです。

落とし穴③ 子どもの主体性をつぶして依存性を高めている

親や先生から「アメやムチ」を交換条件のようにしながら動いていると、それが当たり前になります。つまり「アメ=対価や代償」がなければ、動けなくなるのは当然だと思いませんか。
  • 褒めてもらえないと、しない。
  • いい点がとれないから、やる気がおこらない。
  • どうせ、むだ。
  • 誰も見ていないから、放っておく。
  • ムダだから、やらない。
私が息子のために良かれと思って「褒めて」育てていた時、いつの間にか子どもが私の視線をいつも気にしていたことに気づき、とてもショックでした。

アメやムチでしつけをされてきた子どもは、対価や代償が得られないことは、わざわざ行動しようと思わなくなります。内的なやる気も損なわれてしまいます。

あー
当てはまる事ばかり。

私は、早く気づけて、本当に良かった。


大切なのは、本人の行動を自分で決めて、行動の責任を負うこと。

おかん塾で大切にしたい子育ては「内的な動機づけ」で行動できる子どもへ育てるです。

自分の中から「〜したい」「〜しよう」という気持ちが湧いてくること。そして「やりたくないなあ〜」「何だか、気が進まないなあ〜」「でも、、、、やる!」

これ、狙ってます!

自分で決めて動くからこそ、自分の行動に責任を負おうとします。

褒められなくても、誰も見ていなくても、そんな事は、関係なくて、そんな事で振り回されなくて、自分で判断し、自分で行動する。そんな自分に責任を負う。自分の人生だから、自分で決めて歩んで当然。

そんな、主体的に生きる力の原動力と、自分の運命をコントロールできる感を養っていきたい!

心からそう思いました。


他人の評価に「依存しない」で主体で動けることが最大の武器になる

今、社会は多様化しています。

今までのような、共通の常識が崩壊して、色々な価値観が混在しています。親や先生は、様々な対応に追われていて、一人一人の子どものメンタルまで細かく対応できないかもしれません。
・「自己責任」をどう教えるのか?
・様々なモラルの中で、自分はどうするのか?
・世論や情報に依存せずに、どう生きるのか?

ホンモノの「主体性」を育てる事が問われているのに、現場では、みな、表面に出てくる問題を扱うのに精いっぱいのような気がします。

でもそれは、単にやり方を知らないだけなのかもしれません。

私が、自分の子どもが、たとえ宿題を忘れて困っていても、そのことを黙ってみていられたのは(←ちょっと怪しい時もあったけど^^)このホンモノの主体性に通じる内的な動機づけを育てたい、という考えがあったから。

そして、それを叶えるための、私にもできる具体的な方法を知っていたからだと思います。

「内的な動機づけ」を潰さないでいると(←動機づけは「育てる」のではなく「潰さない」が正解)、自分の中のスイッチが入った時に、一気に行動は加速します。

それは、内的な動機づけとは、自分の真の欲求とつながっているから。

喉から手が出るほど欲しい「内的な動機づけ」からの行動は、「外的な動機づけ」とは違う、本気モードに入ります。

子どもの爆発的なエネルギーとなるので、ビックリするほどの力を発揮します。そんな姿を何度も見てきました。

「育てる」には、年月はかかりますから、10年先の未来を想定して考えていく必要があると思います。