状況:ポンカンが食べたいが、1つ向いて小袋に分け、1つの大きな皿に並べて「分けて食べて」と出したところ、弟が独り占めして姉に渡さないと言い出した会話弟:ひろきの!ねえねにあげへん!姉:(泣き始める)親:あげたくないの。大好きなんやね。弟:(うなずいて)なくなる!親:ねえねにあげたら、自分のがなくなると思ってるんやね弟:(うなずいて)ねえね、あっちいけ!親:・・・全部食べたいんやね。すっぱいの好きなんやなあ姉:ひろきだけ、ずるい~~親:ねえねもたべたいなあ姉:分けるって言ったのに親:そうやなあ~ ママそう言ってたなあ。うーん、どうしようか~~~(子と目が合う)弟:あれがある(→仏壇に供えていたポンカンを指さす)親:あーあれあるな。ほんまや。一人一個あるわ。(→二人とも納得して食べ始める)感想:最初から1つずつにしておけばよかった、、、というのは置いておいて。弟3歳が解決策(場合によってはわがままかもしれないけれど、この場合は親が気が付いてなかった案を提示してきた)を示してきたのが、面白かった。問題が出てきたときに「じゃあ、こうしたら?」と自分から考える一歩に思われたのが嬉しかったです。
状況:お風呂上りに着替えるのがイヤでごね始めた息子(3歳)は、泣きながら、親に悪態をつきはじめる子 :ママ、バカ!死んでしまえ!
親 :ママに怒ってるんやね
子 :バカ!じじい!死んでしまえ!
親 :そうかーー。そんなん言うくらい怒ってるんやなあ
子 :死んでしまえ!バカ!
親 :ママにどっかに行って欲しいと思ってるんかな?
子 :ちがう!
親 :あ、ちがうんや。怒ってるだけ?
子 :(泣きながら、うなずく)
親 :そうかー。ママおっていいんやね。だっこは?
子 :(うなずいて手をのばしてくる)
親 :よし、だっこしよなー。
(感想)
最近ずっと「バカ」「じじい(おばあちゃんにも言うので意味はわかっていない」「死んでしまえ!」が怒った時の決まり文句になっている息子。困ったな、、と思っていたのですが、このやりとりで意味がわかっていないことがよくわかりました。
この子のメッセージは、自分の怒りを伝えるためのこの子独特の記号にすぎないととても納得することができました。
状況:保育園に迎えに行ったとき、もう閉園ギリギリの時間なのに、園庭で三輪車を見つけて遊び始めてしまった子:まだ遊びたいの!親:・・・もっと三輪車に乗りたいんやね子:あそぶの!、まだ帰らないの!親:そっかー。。もっと遊びたいんやなー子:(うなずいて泣く)親:この三輪車、好きなんやな子:うん親:そやなあ。でもひろきが今三輪車に乗ったらな、だんだん暗くなってくるしな、ママ、おうちに帰ってご飯の用意できないと、イライラするねん!子:いやや!帰らないの!親:帰りたくないんやな。でも、帰らへんと、ひろきとねえねのごはん作られへんしな、そしたらママ、イライラするねん。子:(少し考えて)あっち!(向こうのほうに置いてあった別の三輪車を指さす)親:あれ?あれも片付けな、あかんな。子:(うなずく)親:ほな、一緒にかたづけよか子:(うなずく)感想講座から戻ったその足で迎えに行った時の出来事です。これまでなら、「帰るよ!もう、置いてしね。バイバイ」と脅迫するところでしたが、練習だ!と思い、必死で教えていただいたことを思い出しながら、わたしメッセージらしきものを伝えてみました。案の定、はじめは興奮してイヤイヤ状態でしたが、「能動的な聞き方とわたしメッセージの繰り返し!」と自分に言い聞かせながら、付き合っていると、驚いたことに、自分で気持ちを切り替えて、「片づける」という提案をしてきました。初めて実践できた、感動の瞬間でした
この後、「それまで気になっていた乱暴な言葉遣いが、今週はあまり気にならなくなったことに気が付きました。もしかして「思うようにならなかったら無理やりさせる」のは、親の行動の裏がえしでもあったのかと、ドキッとしました。」と言われていました。
浦入先生
親業訓練講座ではお世話になりました。ありがとうございます。
感想を兼ねて、親業の講座に通う前後で「子どもへの想い」について、自分の中で変化があっとことを整理しておきたいと思います。
少しずつ自分が「親としてこうしなければいけない」といった思いから解放され、自分も子どもも一人の人間として認められることで、以前より楽に向き合えるようになったと思います。
そうすることで子どもを「指示し管理しなくてはいけない責任の対象」ではなく、「個性を持った(面白い)人格」として認められるようになってきたかも、と言う気がします。
「こうしな、あかんやろ!」ではなく、「あんた、そんなことするの?おもろいなあ」が増えてきたかも。これからももっとそういう関わりを続けたいです。
正直にわたしもこれまで、学校はここがいいかな、習い事は・・・といろいろ頭の中で先走って考える親の一人でした。でも、講座で教えて頂いたことに加え、テキストの中の文章が目に焼き付きました。
「子どもがある特定のものになるよう望んではいけません。ただ、彼自身になることだけを望みなさい」
「子供は自分が「なれる能力のあるものになる」権利をもっている。これは、「彼の絶対的権利」であり誰も取り上げることはできない。」
親は子供に幸せになって欲しいと思っています。でも、子供は幸せになる方法を知らないと思っている人が多い。私もそうでした。
でも、「幸せになる方法を自分で探し、決めていく」ことこそが、本当に幸せになることなんじゃないかと思います(今は)
親として望むとすれば「自分の人生を楽しめる」人になって欲しいと思います。