いい親になろうとしてハマる盲点
子どもの心のエネルギーが無くなる気配が感じられる時、すなわち「やる気がない」「学校を休みがち」など、子どもの行動が気になってくると、子どもを受容しようと必死になることがあります。
親はなんとか、早く治してあげなくちゃと思って、頑張って「受け入れる(受容)」を頑張る…。
おかん塾でも「毎日子どもを褒めるように」と専門家に言われたと、お母さんが相談に来られます。
もちろん、お母さん自身が心から子どもを「受容」できる場合は、それでいいのです。
でも、親は神様ではありません。
頭では「受容」してるんだけど、 心がついていけない。
これ、思わぬ悪影響があるって知っていましたか?
これは 親業では「偽りの受容」が生じている、と考えます。
子育てには、「子どもを良く育てたい」という思いが「裏目」に出ることがあるのです。
親もツライ・子もツライ「偽りの受容」
私もスッポリとはまり込んでいました。
子育てがシンドイ、イライラが無くならない、ちっともラクにならないのは、ここに気づいていないことが多いです。
でも、親だけでなく、子どももシンドくなっちゃうんですよね〜〜〜〜
「偽りの受容」
子どもは親の態度に対して驚くほど敏感である。
親の本当の感情を察して、気味が悪いほどであるが、それも親が「ことばによらないメッセージ」ー子どもが感じることができるヒントを送るからである。
親は時には意識的に、また、無意識にそれを送っている。
非常に幼い子どもにも、そういうヒントはすぐに伝わる。
子どもは経験から、こういうヒントは母親が本当には自分の事を受容していないという意味だと察しており、自分は受容されていない、母親は自分を好きじゃないという感じをもつ。
矛盾するヒントは、子どもを完全に混乱させてしまう。
子どもは「身動きできなく」なってしまう。 子どもをこのような動きのとれない状態に置くことは、その心理に深刻な影響を与える。
子どもは自分は愛されていない、と思うようになってしまう。
そして、自分は愛されているかいないかをいつも「試そう」としたり、大きな不安感に付き纏われたり、感情の不安定な子どもになったりする。
子どもにとって、一番やりにくい親とは、 やさしい言葉で話し、「自由」にさせ、受容しているかのように行動して、あれこれ要求しないくせに、 本当は受容していないことをかすかに伝える親である。
偽りの受容を続けると、長い目で見ると親子関係にとって最も有害になる事がある。
それは、子どもが「混合メッセージ」を送られて、親の正直さ、誠実さを真面目に疑うようになるかもしれないことである。
何度も同じ経験をすると、母親の口にすることと、心で本当に思っていることとは違うんだという事を、子どもは学習する。
そして、そんな親に不信感を抱く。
親子関係の様に緊密で長く続く関係では、親の本当の感情を子どもから隠すことは、ほとんど無理である。「親業」—子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方(トマスゴードン著:大和書房)より
偽りの受容については、教科書のP26〜29ですよ〜 持ってる人は、もう一回読んでみてね!
エネルギーが無くなって、やる気がなくなっている子どもは、親の一挙手一投足に、とても敏感。コトバにも敏感です。
そして、それは単なる表面的な言葉だけではないのです。コトバの奥にあるもの、ニュアンスから、親の動向・意図しているところを推し量ります。
ウラオモテのない、純粋で正直な親であることは、私たちの想像以上に心のメンタル形成に大きな影響を与えるので、とても大切なのですね。
正直な自分でいるか?
子育ては、24時間、365日の仕事です。
より良い親子関係のヒントは、予想外のところにあるのかもしれませんよ。
①親主導型タイプのママは家族の幸せを一身に背負って疲れ果てる
このタイプのママは、子どもの行動に全責任を負おうとする頑張り屋さん。子どもに正しさを教えようしますが、子どもに上手く伝わらずにイライラさせられます。
子どもの人生に責任を持とうと、理想の母として頑張る努力家。母親として「最善の答え」を追求します。
でも、周り人のさまざまな価値観に触れ、葛藤も強く、精神的な負担感を強く感じます。その割に子どもはなぜか頼りなく、自分の「努力」が報いられずに、とってもうんざりします。
このタイプのママに育てられた子どもは、、、
弱い立場の人は、欲しいものを得るためには強い立場の人に服従しなければならないと感じて生きる恐れがあります。
階級や力に敏感になり、周りの評価が気になる子どもに育ちやすいようです。
②子ども優先型タイプのママはガマンが限界に達して氷の表情になる
このタイプのママは、子どもの自由を制限したくありません。子どもの個性をできるだけ伸ばしてあげたいと、献身的に頑張ります。
このタイプのママは、子どものいうことをなるべく聞いてあげようとします。十分に甘えさせることがこころの成長の基盤になると信じるからです。
なので、イライラしてくると、自分を抑えようとします。子どもにイヤな想いをさせたくないのです。
しかし子どもの際限のない要求に振り回され、実際にはかなり疲れ果ててしまいます。笑顔が固まってしまったり、冷たい素振りをしてしまったり、ワガママな子どもを疎ましく感じたりする場合も少なくありません。
このタイプのママに育てられた子どもは、、
子どもは粘れば自分のワガママが通用すると知っています。でも、他人のためにガマンすることを経験していないので、社会性が育っていない場合が多いようです。
なので、お友達関係、人間関係に苦労したり、学校生活に対応しにくくなります。
また、ママがいつも何となく不機嫌なので、いつも本当に自分が愛されいるか確信が持てずに不安です。
ママの愛情を確かめようと、さらに要求を重ねるようになることもあります。
③親主導も子ども優先もどちらもある動揺・混合型が一番多い
ほとんどの親が混合タイプだと言われています。
このタイプの親は、子どもにできるだけ自由にさせたいと思いますが、そのうち子どもの行動が見ていられなくなり、最終的に叱りつけてあとで自己嫌悪するママです。
ちなみに、わたしもこのタイプのママでした!
理想の親になろうと、育児書を参考に頑張ってはいるけれど、その通りにならず、最終的に子どもに怒鳴ってしまって、その後で、どーーーっと落ち込み、内心かなり自信を無くしています。
どうやったら上手くいくか、情報を集めては一喜一憂し、軸が定まらずに揺れ動きます。
一見子どもを尊重しているようですが、実は何とかしたい〜〜〜っと巧みに子どもを操ろうとしている親もこのタイプです。
このタイプの親に育てられた子どもは、、、
お母さんの曖昧な態度に、常に緊張を強いられることになります。表面的には「いいよ」と言っているのに、親の本心は違っていることを、子どもはウスウス感じるからです。
親の本心が読めないので、このタイプの子どもが最もストレスを抱えやすくなります。
2.目指すのは、二者択一のどちらでもない第三の方法
ほとんどの親が、親が決めて子どもに従わせるか?または、子どもが自己主張して親が従うか?か、どちらかになり勝ちです。
どちらも否定しないマインドで「困ったね〜どうする??」
「もっと遊びたいのね。でもママも急いでるの。帰ってご飯を作らないと、ママの時間が無くなっちゃうからそれはイヤなのよ。さあ、どうしようか?」
困った時こそ、親と子どもが対等な存在として、問題解決をしていこうと呼びかけることができると、親子は信頼関係で包まれます。
家庭の雰囲気や人付き合いがガラッと変わっていきます。
で、これが、思う以上に本当に難しい。
人間関係は、対立時にこそ「真価」が問われます。
多くの親は子どもに一方的に指示しがちです。それでは子どもは反発するか、無視するか、指示待ち族になるだけ。
なので、親子や社会の中で必ず起こる対立や葛藤ですが、なしにして避けようとするのではなく、あるものとして、解決力を育てること。
それが、対等な人間関係の秘訣です。
対立を避けるのではく、対立を解決できる子を育てる
日本人は、お国柄なのか、他人に迷惑をかけないでガマンするのが美徳としていていますよね。私もそんな社会通念を感じながら育った気がします。ですが、自分がガマンしてばかりだと、相手との関係がしんどくなって、結果的に疎遠になってしまいませんか?
対等な関係づくりには、引っ込みすぎないで「対立」を問題解決する機会が大切です。
問題解決のための方法を同じテーブルで話し合える関係を作り、一緒に考えて解決しこうとするプロセスの中で、人間関係は親密になっていき、信頼が増し、深まります。
これは、それぞれの自立を促すことに繋がります。
人を大きく育てるのは「他人との関係性」だから。
以前の私は「対立」は大の苦手でした。親の夫婦喧嘩を見て育ったことが原因だと思います。
自分の意見は反対だと言われるとすぐに引っ込めるタイプで、そのくせ、いつまでも相手を恨んで、クドクド文句を垂れ流していました。
だけど、これからは、他人との対立を当たり前にあるものとして、対立を問題解決していける子どもをスタンダードに育てておくことを、対立が苦手な私だからこそ、やっていきたいと思っていたのです。
母親が子どもとこんな親子関係をつくりながら、これからに必要な対人関係の考え方を教えられるのが、とても画期的。
なにより、「タテの権力主義」で育った私でも「対等な人間関係」へ、家庭をバージョンアップする事ができました。おかげで、子どもは私と違い「対等な人間関係」がスタンダードです。
未来の子どもの為に、これは、やらないと損だとおもったのです。
子育てに「正解」はないから、親は迷う・・
例えば、いじめ問題は、悪者が誰か?で考えないことが大切だと思います。
いじめ問題って、当事者が本当にツラくなるのは、「こどもだったらどちらもなりうる可能性がある」という事だと思います。
私も「一歩間違ってたら、うちの子だって、加担したかもしれない。そう思うと、とても他人事とは思えない!」ってよく思っていました。
なので、とにかく大きな事件にならないように、イジメは予防こそ大事だと思います。
ただ、予防し過ぎて何でもかんでも、子どものちょっとした小競り合いも、先に大人が介入して絶ってしまうと、それはそれで問題が起こります。
なぜなら、子どもの解決する力が育っていないからです。
イジメって、やっぱり身近な存在ですから(人には妬みとか嫉妬心とか、いろいろな感情があるからね)、いじめが起こりそうなふっとしたキッカケは子どもの日常には山のようにあるわけです。
そこを、大きないじめ問題にならないように、ということを考えていかないといけないんじゃないかなって思います。
親が子どものすべての問題を肩代わりして解決してしまうと、かえって子どもの問題を解決できる力を育てられません。
イジメのキッカケに巻き込まれないようにするには
いじめを回避できる子どもにどう育てるか?
そう思う時に、大事なコトは、いじめ問題に巻き込まれないように育てる、ということでした。
そのために、気をつけていた事は、被害者、加害者という視点でなくて、
という気持ちで、いつも子どもに接してきました。
そもそも、「イジメ」と「ケンカ」の違いとはなんでしょうか?
小さい子どもっていつも「ケンカ」しますよね。
ケンカもイジメも、初めのキッカケはごくごく些細な事だったりして、どっちがどうとかの大差はないんじゃないかなと思います。
つまり、ケンカでもイジメでもはじまりのキッカケの問題ではなくて、そこから派生する人間関係の「力関係」の積み重ねで、ある「コミュニケーションのパターン」ができてしまったことが問題なんじゃないかな。
そして、イジメたり、イジメられたりするのは、兄弟や子ども同志の「力関係」によっては、いじめる側といじめられる側が、入れ替わることも多いのです。
イジメられる側が、イジメる側になる
イジメる側が、イジメられる側になる
このイジメる側、イジメられる側、のパターンは、兄弟だったら「役割を交替」しながら、大人同志だったら「役割を順送り」で、継承され繰り返されているものなのでしょうか。
私は、親のになった時に、父親のように子どもをイジメる様な叱り方をする親だけにはなるまいと思っていましたが、いざ親になると、しっかりと受け継いでしまっていましたね〜〜( ノД`)シクシク…
そのことに気づいた時、自分で愕然としました。どちらの気持ちも痛いほどわかるし、いじめる側にも、いじめられる側にも、どちらも傷ついています。
なので、この、「力関係」を多く体験してしまうと、知らない間に引き継ぎやすい要素があるのではないかと思います。
力関係のコミュニケーションパターンから抜け出す
こう考えると、いじめをやめさせるには、この「力関係」すなわち「勝ち負けの人間関係」「いじめのパターン」の罠にすっぽりとハマらないで、そこから抜け出すことが大切なのだと思います。
子どもに大人が「いじめをやめなさい!」なんて言っても効果がありませんよね。かえっていじめが陰湿化することは、既存の事実です。
それよりも、どちらも「心を育てる・強くする」ことが大切だと思います
真に対等で、力関係に巻き込まれない「人間関係力」を育てることです。
効果的な予防としての「親業」
わたしが初めて「親業」を知った時、 子育てが上手くいかなくなる原因やそれまで感じていた人間関係の謎が、全て紐解かれるように、スルスルとほどけていきました。
そして、これは、社会的な活動にしなくちゃいけないっと思いました。なぜなら、誰かをイジメたくなるようなストレスが溜まる理由とか、それを親がどうやってあげたらいいのか?具体的なことがすべてわかったからです。
親や社会が良かれと思ってやっていることは、子どもに伝わっていないどころか「逆効果」になっている場合さえある。この事実に気づいてしまうと、一般の子育て論では表面的な「対処療法」に見えてしまいます。
これって、本当に勿体ないし、このために、多くのエネルギーを消耗してしまうのは本当に見ててつらくなるほどなのです。
多くの親は親としてのあり方を教えてもらえないまま
親だって人間だし、親をしながら、失敗をしながら成長していくもの。そして、すべての人にあう方法なんてないのです。
だけど、それ以前の「親としてどうあるか」というところで、逆効果な考え方を植え付けられたまま修正できないでいるのは、本当に残念です。
子どもには、子どもの成長のエネルギーがあります。
子どもの成長したい方向を壊さないように、親の愛情のエネルギーを添えると、親と子が同じ方向にベクトルが向かうし、本当に効果的に子どもを伸ばすことができるのですが、
その向きがわかってないと、たとえ、子どもを思うゆえのことでも、子どもの成長したい方向とは逆向き、逆効果になっている場合が多いのです。
これは、残念ながら、事実です。そうなると、人生において、おおきな代償を払うことになりかねません。
本当の自立・自己規律を願うのなら
教育現場では、子どもに主体性や責任感を育てようとたくさんの大人たちが試みていますよね。
でも、ちょっとだけ、考えてみて欲しいのです。
それは、ある大人の考え方や親や社会のものさしに巧妙に子どもを誘導することになっていないか?
大人から「自立させられる」のは、「自立」でなく「他立」でなす。
本当の自立とは「自らの力で立ちたい」という、内なるエネルギーから湧き上がる欲求だから、それは、周りでコントロールできるものではありません。
ここのところをしっかりとわかっていないと、いつまでたっても子育て施策は、それほど上手くいかないと思います。
もし、根本的な問題が残っているのなら、問題が先送りされるだけかもしれません。
子どもにとって、表面的には自由に見えるけど、本当はそれほど自由でないものであるのなら、その大人の下心(のようなもの)さえ、子どもたちは敏感に読み取っているからです。
こういう、ちょっとした齟齬が、子どもにはとてもストレスになっているのかなと思います。
規律を自分で守る子どもへ
児童虐待
キレる子ども
いじめ
家庭内暴力
引きこもり
不登校
対人関係のストレス
うつ
認知症
これらは、全て繋がっているように見えます。
そして、目指していくのは、子どもをまったく自由にさせるというのではなく、自分で規律をもつように育っていくことです。
自分がスキな自分になりたい!
自分でちゃんとしたい!
自分で規律をもって、他者にもイイ子として受け入れられたい!
この気持ちは、すべての子どもが持っています。
それは赤ちゃんが、誰にも教えられなくても寝返りをし、ハイハイをし、立ち上がり、歩くように、人間がみんな持っている力。
ここを信じなければ人は育ちません。
そして、自分で自分に満足していれば、他の子をイジメる必要もないし、イジメられても言い返したり、スルーしたりできるし、
友達に過度に依存することなく、堂々と対処していけるのだと思います。
「子どもは間違った行動なんかしていない。」
私は、親業を書いたゴードン博士のこのコトバが好きです。
子どもは本当は間違った行動なんかしていない。
悪い行動というのは、親と教師の用語である。まちがった行動というのは、明らかに親が作った価値判断なのである。
まずは、私たち大人が「イジメっこ」「イジメられっ子」「ダメな子」「問題児」そんな目線で子どもに接するをまずやめて、
ことを訓練してみませんか?
家庭こそ自分の頭で考える最高の訓練の場
子どもの為の訓練は、わざわざお金を出して、誰かに訓練をしてもらはなくてもいいんです。
その機会は日常に溢れています。
子どもが自分の頭で主体的に考えて、自己コントロール力が育つために、最も効果があがる最高の教育環境は家庭だと思います。
親は、毎日たくさんのコトバを子どもに浴びせていて、その一つ一つをこどもはすべて受け取っていますから、親のコトバを変えることの効果は絶大です!
価値観が変わるこれからの時代に、別次元の社会でも対応できるよう子育ても変えていきましょう!
先行きがわからない時代だからこそ、自分の頭で考える力を育てておきたい。
もちろん、私たち自身も自分の頭で考えていきたい。
そのための、共に育ちあう家庭環境づくりと、親の日常の言葉の影響力について提案していきたいです。
あなたのコトバを変えることは、あなたが思う以上に「子ども自身の生きる力」を育てる上でとても効果的なことなのです。
おやつを買ってあげても買ってあげなくても 生まれる「葛藤」
結論から言うと、この場合、おやつを買っても買わなくても、どちらも子どもにとっての悪影響がある可能性があります。
では、どんな悪影響があるのか考えてみます。
買わなかった時
「以前はおやつを買ってあげたのに、今回は買わないと、それじゃ、親が「一貫性」を欠くことになってしまうんじゃないの?買ったり買わなかったりして、それって、子どもにとって、どうなん?子どもに何と言って説明しらたいいの?」
こんな時、親は「買わない新しい理由」を考えようと、あれこれ考えようとするかもしれません。
そして、子どもは買ってもらえない理由が理解できなかった場合は、なぜ、そうなったのか?納得ができないでしょう。
なので、そのうちに「なんでわからないの?」「もう〜」っと、親がイライラしてしまって、最後には高圧的になるかもしれません。子どもにやり込められた感が残ると、子どもは不満に思うかもしれません。
買った時
「一度、子どもの欲求に従って買ってあげると、これから、ずっと買わなくちゃいけなくなるかもしれない・・ 前回は、確かに買ってあげたけど、ずっとそれをされるのもイヤだし、とても困る。。。 ああ、どうしよう????」
今度は、安易におやつを買ったことでの将来の不安が生れてきます。
子どもは、自分の欲求が通ったので、満足していますが、「また、欲しい時にはいつでもおねだりしよう」と思うかもしれません。
そして、いつも自分の欲求どおりに買ってもらえると、ガマンすることを覚えません。
ここで、一番気になる事は、親が何となく不満気でイライラしていることです。こういう親の態度を子どもは決して見逃しません。
自分の要求が通って、おやつを買ってもらってご機嫌なはずなのに、何となく、面白くありません。なぜって、お母さんがどこか不機嫌だからです。
親がプンプンしていると、子どもは面白くなくなります。そして、親の本心がわからない時、子どもはどうしていいのかわからずに、親の愛をわざと試す行動をしたり、身動きが取れずにビクビクしたりする場合があります。
子育ての正解は、その都度かわる
おやつを買う、買わないで生じる悪影響とは、実はそれぞれに親の「罪悪感」や「うしろめたさ」あるいは「負けた感じ」で、不満や葛藤が起こることの悪影響です。
ここで「じゃあどうすればいいの?」と子育ての「正解」を教えて~と思うかもしれませんね。
でも、その方は、子育てを「正しい」「間違ってる」の二極で考える傾向がないか?考えてみて下さい。
例えば、夫と育児についての意見が食い違っている時など、
私の方が正しいか?
夫の方が正しいか?
と、こんな風に考えてしまっていませんか?
これは、どっちが正しくてどっちが間違っている、〇か✖か、というように、「勝ち負けの関係」になっていると言えると思います。
そして、この「白黒」「勝ち負け思考」では、人間関係の問題を解決するためには限界があります。なぜなら、負けた人は不満が残るからです。
まあ、相手が不満に思っている事がわかっていても、だからといって引き下がると今度はこちらが負けてイヤな想いをすることになりますから、それはできない。
世の中は勝つか負けるか。結局はそんなもんだと思うかもしれませんね。
だけど、この考え方はやっぱり古い(笑)
そして、それこそが人間関係が崩れる元凶となるものです。
勝ち負けで考えない方法で、子育てがシンプルになる
どちらが正しい、どちらが正しくない、という方法では、後味の悪さが残ります。
そして、ここで提案したいのは、あきらめないで、もっと違う方向を目指していこうってことです。子どもの年齢を問わず考える力を見くびらずに、しっかりと対等な存在として扱ってあげる方法です。そうすると子育てはもっとシンプルにできます。
それは、親子が困っている時には、お互いに協力しながら一緒に考えていく方法です。
親子の関係性を盤石なものにして、その上で、お互いの成長を支え合っていくのです。「関係性」がしっかりできていれば、子どもの心は健全に育ちます。
この場合も、単に「買ってあげる」 とか「買ってあげない」 でなくて、「その時にあわせた子どもとの関わり方」 で考えることをおすすめします。
「親がどんな風に自分と関わってくれたか?」という経験から、子どもは「他人との心の通わせ方」を、覚えるんですよね。
で、ここで大切にしたいのは、親としてホンモノの人である、という事です。
例えば、おやつを買ってあげたいなあ、と思うなら、買ってあげたらいいですし、今日はイヤだと思うのなら、「イヤ」と言えばいいです。それでも子どもがおやつを要求してきたら、一緒に話し合います。
「今日はお金がないから」など、気になる事があるなら、それを正直に伝えます。そして、親子で今をどうするかを一緒に考えるんです。
本音で話すことで、子どもが考えますし、「じゃあ、明日まで待つ」「半分だけ」など、どちらも納得のいくいいアイデアが生まることもあるんです。
なので、本当の問題は、子どもとの話しの流れ、展開の方法、もっていきかた、即ち、子どもとの対話をどのようにするか?ということですね。
子育ては、親が子どものことをどんな風に思っているか、子どもの事をどう扱っているかがとても顕著に現れます。
子どもが小さいから、親がいい方法を示してあげなくちゃいけないって思っている方がおられますが、私にしてみると、子どもの力をあなどっているのは、大人の方だと思うのです。
子どもを尊重しようとして甘やかしになっていませんか?
最近、子どもの言いなりになる、子どもを「尊重」しているといいながら、「甘やかし子育て」が多いような気がします。
子どもの欲求を全て叶えてあげるのは、子どもに「自分の欲求をかなえるために、他の人の欲求には配慮しなくてもいい」と、子どもに教えていることになります。
これでは、こどもは親や大人にやってもらって当たり前、他人に純粋な思いやりを持つ人には育たないのではないでしょうか????
「子どもを尊重する」を、はき違えていませんか?
私は、「自分が真っ先に優先されるのが、当たり前」と考える子どもを育てたくはありませんでした。
他人へ配慮できて、他人の喜ぶ顔を見るのが幸せで、でも決して自己犠牲ではなく全ての人を対等に感じることができて、そんな自分を自分で誇れる、本当に自立した、強くて優しい大人に育ってほしかったのです。