「一緒に探してあげようか?」
その一言で、子どもが黙り込んだことはありませんか。
子どもが何かを失くして困っているとき、つい口にしてしまう一言ですよね。
親子関係が安定している時なら、この言い方が大きな問題になることは、あまりありません。
けれど――
もし、子どもが親と距離を取っていたり、関係がピリピリしている時だったら?
この一言だけで、子どもが黙り込むことがあります。
なぜ、無言になるのか?
理由はシンプルです。
子どもがそこに「上から目線」を感じ取っているからです。
「探してあげようか?」
この「あげようか」に、どこか恩着せがましさや、立場の違いを見せつけられる感覚を覚える子がいます。
「借りを作らされた感じがする」
「対等じゃない気がする」
そんな、言葉にしにくい違和感です。
問題は“気持ち”ではなく“言葉の選び方”
親は善意100%。
ただ、助けたいだけですよね。
でもここは、気持ちの問題ではなく、言葉選びの問題かもしれません。
もっと言えば、
この言い方にはリスクがあると知っているかどうかという、「知識の差」です。
「これからは対等な関係でいこうね」と言いながら、日常では無意識に「○○してあげようか?」を連発している時、
このズレが、子どもにはチクチク積み重なっていきます。
そしてある日、思いがけない反発として表に出ることがあります。
子どもは“扱われ方”に、とても敏感
子どもは弱い立場で、親に依存して生きています。
だからこそ、
この「目線の違い」を大人が思う以上に、正確に感じ取ります。
「探してあげようか?」
それだけで、立場の差を突きつけられたように感じる子がいる。
……ええ、
これ、完全に私自身の話なんですよね。
じゃあ、どう言えばいい?
ここ、検証してみましょう。
「探そうか?」
「お母さんも探すわ」
「一緒に探す?」
どうでしょう。
同じ行動なのに、伝わるニュアンスが違いませんか?
恩着せがましさが消えると、自尊心は傷つきません。
これが、親業訓練で学ぶ「わたしメッセージ」の力です。
無意識の一言が、関係をつくる
日常会話には、こうした「小さな一言」が山ほどあります。
そして子どもは、生まれてからずっと親の言葉・態度・まなざしの影響を受け続けています。
親が無意識に与えてしまう自尊心を壊すリスクを、最小にできる。
これこそが、親業訓練を学ぶ最大の価値だと私は思っています。
言葉は、選べる
怖いのは、親が良かれと思ってやっていることが、子どもを苦しめ、世界を狭め、縛りつけ、身動きの取れない状態にしてしまう可能性があること。
素直な子どもほど、親の人間関係のクセや、コミュニケーションの矛盾を、そのまま吸収します。
「言っていること」と「やっていること」が違うと、そのズレは必ず滲み出る。
そして子どもの中で、理由のわからない混乱として残るのです。
たとえば、こんな違い
①「話してほしい」
②「気持ちを聞きたい」
同じようで、ちょっと違うのがわかりますか?
すると、ムダに怒ることも、ムダに悩むことも、確実に減っていきますよ。
余談ですが…
スーパーでよく聞く「またお越しくださいませ」
老舗の高級店では「お待ちしています」
……この違い、わかります?(笑)
言葉って、立場と関係性を、正直すぎるほど映しだすんですよね。
親業を広げるよろこび
親業に出会ったとき、「これだ」と直感しました。一つの“正解”がない子育ての世界で、母親たちの悩みを紐解く確かな道具になる。そう確信しましたし、同時に自分自身の理想の子育ても探求できる、と強く惹かれました。二年後、念願のインストラクターとなり、周囲の友人にも「きっと役に立つのに」と思い切って声をかけてみました。ところが、受講には至りません。親業の価値をうまく伝えられない。そんなもどかしさを抱えていた