などなど、親子の距離感のとり方が分からなくなってしまい、近づいたり離れたりしながら、その度に不安と葛藤を経験し、いつの間にか気持ちがグルグルと無限ループに入ってしまうのかもしれません←もちろん経験アリ
この記事では、親子の線引きをどこからどこまで、いつ引くと良いか?と言う、初心者のお母さんがほぼみんな悩む、かつ、子育ての最大の難題であり永遠の課題である「親子の距離感のとりかた」について考えていきますね。
私が実際に親を30年ほどやってきた経験から考えると、適切な距離感を保つのが難しいと感じたのは、はじめての子どもである第1子の時でした。
それまで子どもどころか動物を育てる経験もなかった私。やることなすことがすべて目に入ってきました。気になって気になって仕方なかったのです。
「あーんもう、大丈夫???」と、黙ってられなくなって、ついつい手を出して「正解」を教えてあげる、そんな毎日の繰り返し(-_-;)。もちろん、子どもが考えて動き出すのを、待てる時は待っていました。でも、私が待てない時は、先回りして行動を示しました。
これは、彼が小学生の時まで続いていたと思います。
はじめての子どもである長男は、私にとっては初心者マーク。今考えても、気持ちの入り方が第2子や第3子とは違っていたように感じます。(長男よ、すまぬ)
これは、後で考えると、その違いがハッキリと浮かび上がり、感覚の違いに自分でもビックリしました。「それは、なぜ?」「どうして感情が違うんだろう?」と考えたこともありました。
ま、第一子は一緒の時間が物理的に長くありますし、親も初心者で緊張していますからね。そのぶん「思い入れ」が強くあり「一心同体」のような感覚になっていたのだろうなと、思います。
いや、もっと正確にいうと、赤ちゃんの時のような「一心同体」の感覚を成長と共に手放すことが難しかったという表現の方がピッタリかな。
それは私としては紛れもない「愛情」でした。
でも、それは自分本位な「愛情」だったのかもしれません。子どもの幸せに責任を負おうとする気持ちが強すぎて、自分の幸せの尺度を押し付けていたということでもあるからです。
なので、違う方法をやろうとする彼を「あ、それは違うよ」「この方がいいよ」と、私の推奨する方法に従わせたくなってしまったのだと思います。
こう書くと、「え、別にいいんじゃない?」「子供を助けてあげて何が悪いの?」「親だから正解を教えてあげるべきなんじゃないの」と、読んでいて違和感を感じる人もいるかもしれません。
そうですね。子どもの幸せに親は責任を持ちますよね。なので、私も一時期は、
- 子どもが困っている時、手を差しのべてあげて、困らないようにしてあげたい
- 子どもが辛い思いをしないようにするのが親のツトメ
- 私が子どものそばについててあげなくちゃ
と考えていたことがあります。
ですが、今ではこの考え方こそ「子育ての落とし穴」「盲点」だと感じます。
なぜなら「子どもの為になんとかしてあげたい」という気持ちの強さが、かえって子どもの心理的な自由や成長を奪ってしまい、彼の依存心を育てることにつながる可能性があるからです。
子どもは親が大好きです。だから親の意図にできるだけ従わねばという気持ちが働きます。ここは、親の方が注意深く接する必要があるところだと思います。
言う事を聞いてくれる子どもは「いい子」ですから、親も嬉しい。なので、子どもの違和感を見逃してしまいがちなのです。
親の良かれと思う行為が、いつの間にか子どもの自立の芽を奪ってしまうことがあるのは事実です。「親から心理的に支配されているような、なぜか親から離れられない子ども」に、そんなつもりはないのにせっせと育てていることがあるとしたら、本当にもったいないと思います!
もちろん、だからと言って、子どもの為に何もやったらダメと言う事ではありません!「子どもが自分とは違う人格を認めながら適切に関わる」ことの難しさこそ、自律の子育ての本質なのです。
とすると、私の態度や接し方はいわゆる「過干渉」になっていましたし、「距離感はゼロ」でしたね(笑)。
自分とは違う人間であるなんて当たり前の事だとわかっているつもりなのに、いざとなると「え?そんなことするの?」「そんなこと考えなくていいのよ」と、自分の枠の中に入れて、思い通りの理想の子どもに当てはめたくなってウズウズしました。
自分とは違う人格であるはずなのに、なんかモヤモヤが止まらなかったのですね。
私の場合、第2子、第3子への心の持ち方を通して、自分の第1子への感じ方を客観的に視ることができました。第2子、第3子がいたからこそ、自分の感じ方の違いに客観的に気づけたことだと思います。
子どもとの距離感が密接過ぎて、離別感が乏しく、なかなかモヤモヤが収まらなかった私。
自律の子育てを実践、検証するうちに、子どもとの「距離感ゼロ」で「母子分離」が出来ていないことが、親子関係が苦しくなる一番の原因だと思い至りました。
でも、ま、「一心同体」の「距離感ゼロ」の感覚とは、母性そのものですよね。母親に100%依存しているからこそ、赤ちゃんは大きくなれるものですから。
だから、「距離感ゼロ」は必要だったこと。。。。
な、の、で、す、が、、、
その後が問題なのです。成長と共に「心理的に離れる」という作業をしていく必要があったのですね。
私はここが超苦手!だったということです。
こういう、親と子が別々の人であるという離別感は、実は頭で考えるよりはるかに難しいことでもあるかもしれません。
育児本などを読んでいても、大人になる為に「母子分離」とは世代を超えた永遠の課題なんだなと、よく感じました。そして昔の人の知恵として、「儀式」をつかっていたのかもしれません。
日本でも「元服」などの儀式を通して、「もうこの子は一人前の人として扱う」と、母親たちは息子への振る舞いや言動を今までとは違うものに律していたんでしょうね。それぐらい、心に一線を引くことは、母親にとっては大事なコトなんだと思います。
今は「元服」などの儀式はありませんから、離別感を持つことが苦手だと感じる人は、意識して、子どもと心理的に「別の人だ」という意識が必要なのかもしれません。
「この子はもう、自分とは違う一人前の人なんだ」と親が意識して、心に一線を引く。
ここは本当に意識していないとつい踏み越えてしまいます(-_-;)
親子の距離感を持てるようになる練習は、親業訓練の中にも含まれています。
行動を客観的に眺めたり、困っているのは誰かを考えたり、主語を明確にしながら対話したりと、その人のペースで自分の内面に落とし込んでいくことができます。
自分に落とし込む作業こそ、大事です。でもそうは言っても、子育ては親の成長を待ってくれませんよね。だからこそ、「親業」が本当に役に立ちました。
そんな中で、私が第1子である長男との間に「あ、なんか丁度良い距離感ができた」と最初に感じたのは、実は彼が小学校5年生の時でした。
親業を取り入れて、5年目(-_-;)
キッカケは、彼の口から所属していたクラブの中での会話を聞いた時です。クラブの中では私が認知していない「家とは違う彼」だったのだと知り、なぜかフッと力が抜けた感覚があったんです。
この子はわたしが思ってるよりずっとしっかりしている
大丈夫なんだあ
その時、私は彼の事をずっと自分の「色メガネ」から眺めていたんだなと気づきました。自分としては良い母親のつもりだったのですが、実は自分の中で勝手に考えすぎて、妄想も膨らんでいて「彼の弱点」ばかりが、気になっていたんですね。
この「思い込み」が外れるのに、5年の月日がかかったことになります。優しい長男は何も言わなかったけど、わたしはずっと分離感が持てず、彼を支配しようとしていたんですね。
初めて「息子を私とは別の人」と感じることができて、すごくラクになったのを覚えています。
私は、それまで長男のことを「一人の人格のある人」として見れずに、「自分の息子」「自分の従属物」みたいに見ていたのかもしれません。
いえ、「一人の人」として見ていたし、見ようとしていたのですが、「私とは別の価値観を持つ」という視点が、わかっているようでわかっていなくて、どこか抜け落ちてのだと思います。
時代と共に変わってきた親子関係はホンモノ?
より良い親子関係で大事なことは、「親密さを損なわずに、個人として尊重されている」ことです。
引っ込んだり攻撃したりしないで、率直で対等な人間関係は、お互いが自立していることが必須条件。
私が、コミュニケーション技能を学び続けることにハマったのは、このバランス感覚を自分なりに習得していく感覚を持てたからです。
それこそは、母親としての成長そのものだったと振り返ります。
昔はよく親子関係のゴタゴタなどを愚痴る世間話の中で、「親離れしなさいね~」とか、「子離れできてないんと違う??」みたいな会話があったような気がします。
でも、今では友達みたいな親子が増えて、親離れ、子離れと言う言葉は今はあまり使わなくなった気がしませんか?
今の子育ては、私たちの時代から「親子関係のあり方」が変わってきているのかもしれませんね。親子間で「いい距離感」が保てているのなら、もちろんOKなのですが、上手くいっているように見えていても、どちらかがガマンしたり苦しい思いをしているのだとしたら、対等な関係とは言えません。
いつも引っ込んで相手に譲ることが当たり前になっていないか?
自分の方が強く出て意見を通すのが当たり前になっていないか?
この人間関係とは、人間の悩みの中で一番大きなものだとも言われています。
人間関係のもっとも大きな影響を与えるのは親子関係です。
一人の人として尊重されつつ、お互いが分かり合える、適度な距離感を保てる関係性や、その心地良さは、親がお手本となって子どもに与えていけると知って欲しいです。
一人の人として見る目線をどう育てるか?
子どもと別の人格であることを認めることは、実際には本当に難しいことです。
それは、子どもと意見の「対立」や「衝突」があることを認めることだからです。
子育ては盲点がたくさんあります。
思い入れが強い分、冷静ではいられませんし、周りに子育てを正しく教えてくれる人もいないのだから、本当に親も苦難です。
近すぎず、遠すぎず、ほど良いバランスをとることは、本当に一番にムズカシイことは確かで、それは、私自身がどこか「依存的」だったことや、人として「自立」していなかったことなど、改めてしみじみと思い至ります。
ほどよい距離感を持てる人とは、人として自立してる人であり、他人と一定の距離を置ける強さがある人なのだと思います。
そして、適切な距離感は、その親子関係によって違います。
私が適切な距離感をまあまあ体得できたのも、「親業」というツールを持ち、常に子どもとぶつかってこれたから。
子育てで最も難しくて、最も大切な親離れ・子離れを、日常生活でできるように、訓練されてしまうからです。
今、たくさんの思春期の親子関係の「こじれ」を適切にほぐしていくお手伝いが出来ているのも、このツールがあるからこそです。
母親の愛情は、時に強すぎて「親子の距離感」を踏み越えて「暴走」してしまうことも、自分の経験からよくわかりました。この「越権行為」が時には必要なこともあるのも否定しませんが、同時に伴う大きなリスクについても理解しておきたいです。
そして、適切な距離感をとっていくためにも、親が方法を学べる機会があると知って欲しいです。
ちなみに、この誰が問題は?は、講座の第一回目で詳しく学びます