「ちゃんと説明したのに、どうして分かってくれないの?」
「何度も伝えているのに、同じことを繰り返す……」
おかん塾に来られるお母さんたちが、口をそろえて語る違和感です。
言葉は出している。
時間も気持ちも使っている。
子ども本人も「わかってる」と言う。
それなのに、肝心なところが“通っていない”感じがする…。
このズレは、母親ならではの鋭い感覚なのだと思います。決して、愛情が足りないわけではありません。
そして、このズレに気づいたところから、関係改善の第一歩が始まります。
コトバよりも大切な事
私たちはつい、「正しいことを言えば、相手は理解するはず」「これだけ愛情をかけているのだから、想いは届いているはず」と考えがちですよね。
今はSNSや育児書など、子育て情報があふれています。だからこそ、教育熱心で、子どもの将来を真剣に考えて行動しているお母さんほど、“よかれと思って”言葉を重ねてしまう傾向があります。
けれど、子どもにとって本当に大事なのは、「言葉」そのものよりも、
それが実感として感じられるかどうか、なのです。
たとえば、
「あなたのことが大切なのよ」と、どれだけ言葉にして伝えていても、
子どもが
「大切にされていると感じない」のであれば、それはやはり、伝わっていないということになります。
だから、子どもの「ふんふん、わかってる」という返事に、どこか口先だけのような、実感を伴わない違和感が残るのです。
これは、プレゼントを贈る場面にたとえると分かりやすいかもしれません。
自分が「これがいいはず」と思うものを贈るのか、相手が「これが欲しい」と感じているものを贈るのか、そのくらいの違いがあります。
目線の違い、立場の違い、と言ってもいいかもしれませんね。
これこそ、子どもとのコミュニケーションの難しさ、そして子育ての大きな「盲点」だと言ってもいいと思います。
親は何度も何度も「あなたは大切な存在よ」と伝えている。
子どもも、それがウソだとは思っていませんし、頭では「自分は大切にされている」と理解しているのです。
けれど、もし「実感として大切にされていると感じられない」、あるいは「そう思えない状態」が続いたとしたら、どうでしょう。
「大切にされているはずなのに、そう感じられない」
この状態が続くと、子どもは少しずつ「自分の感じ方」を疑うようになります。
子どもによっては、理由の分からない罪悪感を抱くことさえあります。(←経験者)
自分の感覚が信じられなくなると、自分に自信がなくなります。情緒が安定しないまま、表情や反応が、どこかピンとこないものになるのも自然なことです。
湧き上がる感情こそその人のすべて
おかん塾が大切にしているのは、
言葉の表面ではなく、関係性の中で実感として湧き起こる感情に目を向ける視点です。
これ、感受性の高い人は、持ち合わせている感覚と視点だと思いますが、なぜか、失ってしまうんですよね トホホ汗
それは、親が子育てに一生懸命になるほど、知らず知らずのうちに「導く人」「正す人」「管理する人」になってしまうからなのです。
すると、子どもは
“考える主体”になることができず、“評価される対象”のまま過ごし続けます。
この状態で、どれほど丁寧な言葉を選んでも、子どもにとっては親の一方的な言葉に過ぎず、
「伝えているのに、伝わらない」という感覚は消えていかないのです。
伝えるから伝わるに
「伝える」を「伝わる」に変えること。
そのために必要なのは、
頭で理解することよりも、実際にやってみて、感じて、コミュニケーションの反応やしくみを体得すること。
理論として知るのではなく、体感として腑に落ちたときに、親の中で何かがはっきりと変わりはじめます。
百聞は一見に如かず。
この体験があるからこそ、「力を抜いた方が、親子関係が動いていく」という、魔訶不思議な実感を得ていくのですね。
愛が、愛として伝わると、親子の会話が変わり、子どもの行動が、少しずつ変わっていきます。
そのためにまず大切なのは、今感じているコミュニケーションの違和感やズレに、目をそらさず、丁寧に気づくことだと思います。
もし今、「こんなに思っているのに、なぜ伝わらないのだろう」と感じているなら、それは、子どもからの「親に変わって欲しい」のサインをキャッチしている証拠!
感受性の高い子どもの心を育てるのに必要なのは、言葉の量ではなく、タイミングと純粋さ、つまり、親の感性だと思う。
親のホンキの愛が伝わることほど、子どもの心の土台を支えるものはありません。
そんな関係は、特別な親だけのものではありません。
今のやり方や対話を、ほんの少し見直すところから、すべては始まっていくのです。
親業を広げるよろこび
親業に出会ったとき、「これだ」と直感しました。一つの“正解”がない子育ての世界で、母親たちの悩みを紐解く確かな道具になる。そう確信しましたし、同時に自分自身の理想の子育ても探求できる、と強く惹かれました。二年後、念願のインストラクターとなり、周囲の友人にも「きっと役に立つのに」と思い切って声をかけてみました。ところが、受講には至りません。親業の価値をうまく伝えられない。そんなもどかしさを抱えていた