今日は、1月7日。冬休みも、そろそろ終わりでしょうか。
うちは息子が3人だったのですが、毎回、長期休みの最後の一日は宿題に大忙しでした。
いわゆる「おしりに火がついた状態」になってました。
冬休みには「書初め」の宿題がありました。彼らは、いつも夜中にやってましたから、私は墨で汚されないかとドキドキ。
でもね、画仙紙だけ準備しながら、後は放置(←夜中に画仙紙を買いに、ジャパンまで行った経験から、とりあえず準備)
すると、少しずつですがマシになってはいたんですね。
この、ちょっとの「マシ」を観察しながら、私は口出しを最小限に徹していたんですね。だって、もし、「おしりに火がついている」状態なのに、「火がついている」ことに「気づいていない」としたら、
おしりに火がついているコトが分かること
自分のおしりに火がついている状態であることは、子ども自身で「認識」していてほしいもの。←ココ大事
そうでなければ、私はずっと彼らのおしりをたたき続けなければなりません(-_-;)
それは絶対にイヤだなあ~
な、の、で、
子ども達が冬休みの宿題に追われて、焦って、おしりがボウボウしそうな様子を見ていても、
とにかく見守り体制を貫いて、
「問題の所有権」を取り上げない作戦に徹していたんですね。
自分で自分の問題を解決できる子どもへ
私は、
「親業」を学びはじめてから、子どもの”不安の先取り”をしなくなりました。
常にその場その場で対応、勝負、対話したのです。
これは、
ココを知ったから。
この視点を知り「災害を想像して、未然に防ごう」なんてことは、子どもには、難しいことだと知りました。
そもそも、災害の怖さが分かっていない。
すべて、遭遇してから、経験値が積み上がっていくというモノですね。大人もそうかもしれません。病気になって初めて健康の有難さが骨身に沁みる、というもんです。
痛い目に遭って「ああ~やっぱりあの時、○○しておけば良かった~」と、初めてわかる、
経験こそ学びだ!(←これを自分に言い聞かせていましたよ)
親はなぜ言いたくなるのか?
親は人生の中で、災害に実際にあって、痛い目に遭った経験の後悔から、子どもに伝えたくなるんですよね。
どんなに、嫌われても、言ってしまうわけですよね。子どもが可愛いですから。幸せに責任を負おうとします。
でも、どんなに親が力説しても、子どもには届かないこともある。
そして逆効果になる事さえあります。
人は”痛さ”を知るから、「あれは、もうゴメンや~」「もう、コリゴリ~」と、実感するわけです。
そこで、やっと”防ごう”という”気もち”が起こってくる。
「あれは、もうゴメンや~」「もう、コリゴリ~」と、自分で気づくと、もう忘れません
男子なんて、ホントに学びません(-_-;)←実感
だからね、「経験だけが宝」なんです。(←ちなみに、男子はヤバいと気づくのもかなり遅くて、3回くらい経験してからです)
で、
問題や事件、失敗は、子どもが小さいうちに、経験させておく方が、ずっ~~~~~と楽だったなと、
親を28年ですがやってきて、そう思います。
ですが、子どもを見守り、問題を預けておくことは、本当にとても忍耐のいること。
正直、シンドイ時もありました。(っていうか、シンドイ時ばかり‥これも経験)
だからこそ、
優しさと厳しさのバランスを自分で保つために、対話力があるといいかなと思います。
火傷をした時にしっかりと手当できる親になる
経験させることは、時に火傷するかもしれませんね。
でも、大丈夫。だって、そのために、親がすぐ近くにいるんですもんね。
子どもが成長してからは、問題はさらに大きくなります。
一番怖いのは、大火傷を負っているのに、親が何も助けてあげられないことですね。
そして、この”痛さ”は、
問題の種類や内容は変わっても、
誰もが、人生のどこかのタイミングで味わうようになっている気がします。
【参考記事】夏休みも大詰めなのに宿題が終わらない!イライラするその時の我が家のリアル