親の言葉の真意を、子どもが理解できるようになるのは、いつ頃からでしょうか?
コミュニケーションの講師をしている私ですが、もともとはコミュニケーションが不得意でした。親に自分のことを伝えたくても伝えられないし、親の言うこともわからない、そんな時期を長く過ごしていました。
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え?
どういうこと?
親が必死で私に何かを伝えようとしているのだとは思うのですが、頭の中に「?」が飛び交うのです。頭の中がいっぱいになってしまうので、その場で固まってしまう。
とても苦しかったです。今思うと、私の読み解く力と、親の表現する力とが不足していたんでしょうね。
でも、親業を知った時、親はただコミュニケーションが苦手だったんだとわかり、救われた思いでした。私も悪くないけど、親だって悪くなかったんだ。ただ、心が通い合うコミュニケーションを知らなくて、コミュニケーション技能もなかっただけだったのです。
出ていけは出ていけとしか解釈できない
わたしは小学2年生のとき、 家出騒ぎを起こしたことがあります。
夜になっても 宿題ができていなかったことを 父親に叱られ「出て行け〜〜」と言われました。私の家では、学校の宿題は、帰宅後すぐに済ませておくようにと言われていました(でも、やってなかったと思う)
その時は、たまたま父の目の前でノートを出してたら、烈火のごとく叱られて「出ていけ」と言われました。夜の8時ごろだったと思います。
それで、しばらくは玄関の前にいたんですよ。だって、どこも行くとこなんてありませんでしたからね。
しばらくしたら、2歳年上のお姉ちゃんが、ワタシのところに来て「家に入り・・」と促してくれました。でも、私は全く反省していません。そもそもそんなに悪いことをしたという自覚もない。なので、なぜ家を出なくちゃいけなかったのが、ピンときていなかったんですね。
なので、姉に促されるまま家に入ったわたしは、父の何も言いませんでした。(つまり謝らない)
そんな私を父はチラリと見て言いました。「何しに入ってきたんや」と。
私「・・・(無言)」
私が謝らないので、父も面目が立ちませんよね。 なので、もう一度「出ていけ」と、家から出ていくことになりました。
しばらく、玄関の門の前に立っていました。
どうしようかな。
そのうち、寒くなり、近くの公園のヨコにあったお地蔵さんの隅っこに移動することにしました。そこは、子どもが一人くらいは入れるスペースがあって、ここなら風が吹き付けません。
わたしはお地蔵さんのそばでじっとしていました。
何分くらい経ったでしょうか。
しばらくすると、暗がりの中、女の人が懐中電灯を持って歩いているのが見えました。
あっ、お母さんです。
わたしを見つけて「あっ」と言い、「帰ってきなさい」促されるように安心したように私を連れて帰りました。
家に着くと、父がいなくて、車もありませんでした。
しばらくして、車に乗った父が帰ってきました。わたしは、まだ何も言っていないので、また怒られるのかなとドキドキしましたが、父は何も言いませんでした。
驚くほど無口で淡々と動いていた両親でした。
姉が一人で興奮した口調で慌てていたので、私は不思議な気持ちがしました。でも、あんなに怒っていたから「宿題のことはもういいのかな?」とも思いました。
同じ子どもでも能力が違う
何年か前に、姉と当時の話をする機会がありました。その時、姉は家から追い出されそうな妹に「早くお父さんにあやまって〜〜〜」 と、ヤキモキしていたそうです。
「宿題をやらないヤツは、出て行け〜〜」 が 姉には「これからちゃんと宿題をやります、と言え〜〜」と聞こえたそうです。
父の 本心 がわかるらしいのです。
すっご〜〜〜いお姉ちゃん!
さすが
当時のわたしには、「出て行け」 は 「出て行け」 としか 聞こえませんでした。
「出ていけ!と言われているのだから、大変だ、出て行かなくっちゃ〜」と思ったのです。
でも、本当に私が嫌いで「出ていけ!」と言われたとは思っていませんでした。でも、それならどうして「出ていけ!」と言ったのかな、と、それは気になっていました。
父の怒りを浴びながらも「なんでその言い方をするのかな?」「え?お父さんは私を出て行かせたいのかな」なんて、どこか冷静に考えていた2年生の私がいます。そんな私を見ていると、父は歯がゆくてもどかしさや怒りがわいてきたのかもしれませんね。
「何もわかっていない」「コイツには何も響いていないな」と、ムシャクシャしながら思ったんだろうな~
(←今なら、わかる。少しだけ。)
父の想いはどこにあった?
父の行動は、現代ではアウト!な行為なのですが、今なら、その真意も少しはわかる気がします。
父の伝えたかったことは、家庭のルールを守る事だったのだと思います。そして、郷に入っては郷に従え、親の庇護のもとでは親の言うことを聞け、ということもあったかもしれません。
上には従え
ルールは守れ
それは父が生きてきた時代に女性が幸せになるための「価値観」だったのかもしれません。
でも、その表現は一方的でした。怖がらせて、親の支配下におく、というやり方を父はよくやりました。だから私は、 親のやり方から、その真意を読み解くことができませんでした。
恐怖でしかありませんでした。
その後は「恐怖」との戦いの日々でした。いつも父の真意を汲みながら行動するというよりも「鬼の目を盗んで」ばかりでした。
高校生くらいになると、嘘もつくようになりました。でもその嘘をついていることの罪悪感が自分を苦しめました。友達が自由に自分の意志で行動している姿を見て眩しく感じたのを覚えています。
自分の中でいつまでも親を恐れている自分と、親の悪口ばかり言ってて行動できない自分を、ひどく幼く惨めに感じていました。
その後、父に初めてまともに「口答え」したのが、20歳のころかな。会社の先輩と遊びに行くことを反対されたときに「私はお父さんの言うようないい娘になれない」と叫びました。その後、腰を抜かして立てなかったです。
次の日に会社へ父から電話がかかってきました。その時にあっさり許可がでて、拍子抜けしたことを思い出します。父は何でもいちいち反対しましたが、本当は本気度を試したかったのかな?とも思いました。
とても怖い父でしたが、でも、父のお陰で社会に出てから困らなかったことも実は多いのです。
人はぶつかり合う事を経験し、その経験の深さから磨かれて、お互いを理解しあい、コミュニケーションの力や人間力が自然に育まれていくだと思います。
関わる人の数だけ、自然に磨かれていくのが対人能力やコミュニケーション力なんでしょうね。
私のように「言葉通り」にしか受け取れない子どもは、とても多いのではないかと思うのです。
子ども自身がそもそも未熟な存在ですから、はじめから高いコミュニケーション力を求める事も酷ですよね。私もやっとコミュニケーションの本質を少しは理解できるようになってきましたが、かなり時間がかかりました。
核家族の時代になり、子どものコミュニケーション力の乏しさがますます懸念されています。
ですが、コミュニケーション力とは、技能なので適切なトレーニングで「鍛える」ことができますよ。お互いをよく理解するためには、「読解力」と「表現力」という2つのコミュニケーション技能が必要。なので、子どものコミュニケーション力を親が家庭で練習して、鍛えてあげることが出来たら、どんなにいいかと思います。
私は、親の言葉の意味がよくわからなくて、矛盾ばかりに聞こえました。それが気になって気になって、仕方ありませんでした。その時に誰かが「親の言葉は矛盾だらけなんだよ」と一言言ってくれたら、「あ、そんなものか」「それでいいのか」と思えたかもしれません。
子どもが気になるところとは、こういう些細なことだったりするからです。
だけどね、親も実は下手だったりしますよね(笑) 違う価値観を持つ人を受け入れる言い方は、コツがあるので上手くない人が多いです。
そしてコミュニケーションパターンは自然に生まれ育った環境のものが受け継がれていることが多いのです。「なまり」みたいに知らないうちに身に沁みついていることが多いです。
私も、自分の無意識に出てくる言葉が、父の口グセだったり母の思考だったりして、ビックリすることが今でもたくさんあります。
これは結構深刻な問題だと思っています。なぜなら、子どもにとっては意味不明で理解不能なものだと、言葉に隠れた別のメッセージを受け取ってしまう恐れがあるからです。
コミュニケーション力とは、そもそもシンプルなものです。相手の気持ちを読み取る「読解力」と自分の気持ちを伝わるように表現する「表現力」です。
正しくそれらを表現すればいいだけ。技能があれば、気持ちの行き違いは起こりません。
心の通い合う相互理解が叶うコミュニケーションの力をつけて、私は大きく救われました。親子の不毛な争いを避けるために、幼いころの体験や失敗を繰り返さないように、コミュニケーションの力をつけたことが私を救い、自分の子どもの世代へ生かすことができたのです。