子育てについての情報サイトでは、子どもの自己肯定感を上げるための親へのアドバイス記事がたくさんありますよね。
私は、それらの記事を読むたびに、とっても気になっている事があります。それは、圧倒的に「褒める」「認める」声掛けを推奨しているのが多いこと。
例えば、学校から帰ってきた子どもが疲れてぐったりしている時にどうすればいいかと言う問いにも、
などの賞賛のコトバがけを勧めています。
ですが、、、
男の子3人育てた私の経験としては(そもそも子どもは苦手だった身としては)、実際には、子育てとは、そんなに甘いものではないと思う(-_-;) 正確には、甘いものではありません「でした」←過去形になってます。
この「褒めコトバ」にはリスクがあると、ゴードン博士は、警鐘を鳴らしています。
1.子どもが自分の力で生きる力はどう育つ?
親に認めてもらう事が目的になると自分で考えて行動しなくなる
良かれと思って、褒めコトバのシャワーを毎日浴びせまくっていました。自分のコトバがけで、子どもの気持ちが爆上がりになるのなら、安いもんだと思っていたし、例え「良く」ならなくても、せめて「悪く」なることはないだろう、と信じていました。
ですが、子どもの成長にとって、思わぬ悪影響がありました。
息子の行動を褒めていると、いつの間にか息子は、自分の行動が親にどの様に思われているかをチェックするようになっていたのです。
ある日、その行動をした後で、いつも「評価」が欲しいと訴えてくるような、まなざしで見るようになっている事に気づいたんです。
愕然としました。
子どもにはそもそも親の承認を求める強い欲求がある
それは、親に評価されるか否か?が彼らの「行動の基準」になってしまい、一番大切な彼ら自身の「内的やる気」をなし崩しにしてしまう事です。
これは、私自身がそうだったから、わかります。
私は、他人から評価されることや、他人からどう思われているかが気になってしまう自分がいました。
ここは、時に本当に苦しくなるところ。
でも、 自分の内的な規律心も育っていないから、自分をコントロールすることもできず、そんな自分に劣等感を覚えました。
身動きとれなくなる時、結果的に生きにくさに苦しむのは子どもです。
あ、これは私がそうだったから言えることです。
親の評価や褒めコトバが、短期的には子どもの行動を変えて(親にとって子育ての役に立って)も、長期的な視点に立つと、子どもの「内的やる気」をなし崩しにしていることは、衝撃の事実でした!
そして、とても納得したことでした。
成績や能力が高くても自己肯定感が低くなる日本の子育ての理由
今、日本では自己肯定感が低い子どもが多いと言われています。
能力は高いのに、自分を肯定できない、としたら、それはとても生きにくいことだと思います。
自信とかともちょっと違う、自己肯定感。
「自分で考えて行動してもいいよ」と親や先生に急に言われても、自分の行動を決めたこともなく、また、失敗したらどうしようという不安も強いので、怖くて一歩も出ない。
そして、一歩も出せないふがいない自分に罪悪感を感じる。これが自分を肯定できない、すなわち自己肯定感が低いという事なのかと思います。
人は、本当は自分の行動を自分で決めて進める人になりたいと思っています。
そんな自分が好きなのです。
でも、親の評価や指示に従って生きてきた彼らは、その能力が十分に育つ機会が与えられていません。
それは、幼いころから、自分で考えて、自分で決めて、自分で責任をとりながら進んでいくという、「自律のための訓練」場数が圧倒的に足りていないからだと思います。
生きにくさの原因の一つは、他人の評価軸で生きていること。
その根っこにあるのは親から知らない間に植え付けられた評価軸であることが多く、(←そのことに気づいていないけど)そのことで生きにくさを抱えている人はとても多いです。
親業をつくったゴードン博士は、この事を60年前からずっと提言し、警鐘を鳴らしています。
人生を主役で生きるための自己の確立
「自分のものさし」すなわち、「自己」「アイデンティティ」が育まれる過程を、見守っていきたい。
そして、子どもに「自律・自立の訓練」をする。それが、私がおかん塾で提案しているこれからの子育てです。
子どもが自分で自分を評価・判断しながら、行動し、その結果を自分で責任をとることができるように。
その為に大切なのは、子ども自身が「自分のものさし」を育て、行動を選択し、責任をとるという「自立して考えるトレーニング」を積むことです。
良い/悪いの判断基準を、「自分の内側」に育てながら、自分の手で自分の人生を生きる経験を重ねることです。
「この、自律心を育てる訓練が、家庭で私ができるんだ!」と思えた時、私は小躍りするほど嬉しくてワクワクしました~
特別なトレーニングなどしなくても、親が適切に関わることで、子どもの自律心や責任感はムリなく自然に育ち、鍛えられるのです。
もちろん、失敗もするでしょう。
2.揺るがぬ自分軸が育つために、親に何ができるのか?
親の評価のモノサシを子どもに押し付けない
私は親からかなり深く影響を受けて育ちました。
結婚してからも「お母さんはきっと〇〇だろうな」「こんなことしてるのバレたらきっと怒るだろうな」など、頭にパッと親の目が浮かんでくる。。。。
本当に情けない話ですが、40代ぐらいまで、こんなありさまでした。長い間、私の思考には良くも悪くも「親」が中心にあった気がします。
コレ、私は親の文句を言いながら、でも本心では顔色を気にしながら、結局のところは親への依存心が強すぎて(つまり嫌われるのがイヤで)自分で自分の行動に責任をとれなくなっていたんですね。
親は子どもにいろんな面で影響を与えすぎています。
生まれてから子どもにとっては「神」のような存在ですからね。
でも、私は自分の「親の顔色を自動的に見てしまう思考」がとてもコンプレックスに思っていました。もちろん危機感がありました。
フツーに考えて、何もしなければ、この連鎖は子どもに受け継がせてしまうだろう。。
私も、子どもへ悪影響を与えるかもしれない。
そんなのはできるだけ防ぎたい。
いや、絶対に防ぎたい
そう強く思い、私の無意識的に持っている「〇〇すべき」という「古い価値観」を子どもに不必要に「刷り込み」しないよう育ててきました。
私の常識や世界観をそのまま子どもに受け継がせないような言い方にすればいいだけでした。
親業の「わたしメッセージ」は本当に便利でした。
これを使うと、親の価値基準、親のモノサシを子どもに押しつけるリスクを減らせたと思います。
「正しい」とか「悪い」とか「評価」の言葉を使わないことは、私の「評価の基準」を子どもに無意識にインストールし刷り込むことを防いで、最小限に抑えてくれました。
母親の価値観に振り回されないために
人は成長すると、だんだん自我が目覚め、自分の考えや価値基準を持ちたいと思うようになります。
無意識的に刷り込まれていた「親の評価基準」に沿えなくなる時、苦しくなり、親とは違う「自分の存在」を強く意識します。それは、自分の中から芽生えてきた「自己」に従って生きたくなるからです。
ここで、葛藤を経験します。
昔の子育ては、これを「反抗期」と言っていたのだと思います。思春期になるころに「自己」が目覚めると、親から与えられた「親の価値観」を脱ぎ捨てて、自分の価値観の確立をしていきます。
ですが、今の子育ては、子どもに大人の目がかけられすぎて、子どもは考えることもしていません。結果的に「親がなんとかしてくれる」という、親への依存性が育っていますよね。
こんな風に考えると、親に反抗することは「心理面ではむしろ、とても健全」だと言えます。なぜなら、自己を確立して表現できているからです。
ですが、中にはそれができずに、ずっと「親の評価基準」に縛られて生きているとしたら、
そんな人は、自分の基準が育ちにくいので、いつも他人の目が気になりますよね(←経験者)。
私も本当にここでつまづきました。。
ゴードンメゾットの言い方をマスターすると、子どもの中に母親の評価の基準や価値の枠組みが入ってしまう「リスク」を減らすことができるし、子どもとの適切な距離感も保てる。
私は、実はこれが親業を学ぶ一番の効果だと思っています!
「お母さんの感じ方だけどさ」と前置きすることで、子どもとの間に一線を画すことができ、結果、子どもは親に縛られず、常に自分でいられる「自由」が与えられます。
自由こそ人としての尊厳
何物にも縛られず「自分が自由である」と言うことは、人としての根源的な尊厳にかかわる事です。
そして、自由が与えられるということは「選択権」があるということ。そして、当然なこととして「選択」をすると、「責任」についても考えるようになります。
子どもは、自分で選んだからこそ、その結果に責任を負おうとします。
これが、生活の中で繰り返されるので、自然に自分を理解して「アイデンティティ」を確立していったのだと思います。
私は、自分の子ども達が「自分が自分であることに、何の疑いもない子ども」として育つ姿を目の当たりにできて、毎日がとても嬉しかったです。
ヤル気も責任感も、とくに教えたことは無いけれど、そんなことは当たり前にできています。
この、わたしメッセージの効果は計り知れないと思っていて、そして、このあまりある「効果」は、長年の積み重ねの成果です。