子どもの自立・自己規律心が育つ家庭環境をつくる親の学び場
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権力者の排除だけでは不十分。権力に依存しない自立の心を育てるために

権力者の排除だけでは不十分。権力に依存しない自立の心を育てるために

親業の教科書となる本には、著者であるトマスゴードン博士が、子育ての問題の本質的なところについてバシバシと語っている本です。


何度も何度も深い感動を味わえて、自分が戒められ、かつ頑張ろう!と思えるという意味では、超お得なのです。


特に最後の方は「子どもは自分がなれるものになる権利を持っている」と「子どもの絶対的権利」にも触れていて、唸るほどにハンパなく納得するのです~

 

ゴードン博士の、子どもへの関わり方を一言で表した「クレド」も載っています。ご紹介しますね。


子供よー
「私たちが、どちらも相手の欲求に合わせて自分を変えられないとき、そして私たちの間に欲求の対立があるとハッキリしたときには、お互いに権力に訴えて相手を犠牲にしようとせず、一つずつ対立を解決していくことを約束しよう。
わたしはあなたの欲求を尊重する。
しかしまた、わたし自身の欲求をも尊重せねばならない。
したがって、私たちに当然起こる対立の解決をさがす時には、私たちの両方に受け入れられるものをさがすように努力しよう。
そうすれば、あなたの欲求は満足されるし、また私の欲求も満足される
だれも負けず、両方とも勝つのだ。
その結果、あなたは自分の欲求を満足されることを通して、一人の個人として発達し続けられるし、私もそうできる。
そして、私たちの関係は、常に健全なものでありうる。
なぜなら、両方に満足のいくものなのだから。
私たち一人一人は、おのおの自分なりの能力を備えた人間になることができるし、相互信頼と愛情をもって、お互いの関係を持ち続けることができる。」
(「親業」トマスゴードン著 近藤千恵訳 大和書房より)

「親業」でゴードン博士が訴えているのは、子どもに責任感と、自己規律を教えることです。

自分の人生を自分の足で生きることです。

本当の意味でそれが出来た時、人間は本来持っている可能性を十分に発揮することができ、豊かな人生を送ることができるのだと思います。

子どもに関係するすべての大人が、このような約束をして、実行すれば、

世の中の人がみんなが、自分自身を大切にして、
相手も大切にして、
みんな違ってみんないい、が当たり前にできる、本当に豊かな世の中になるだろうなって思います。

そして、その具体的な方法がここにあり、多くの家庭が、この方法で変化しているのです。

じゃあ、なぜ、
そういう改革がまだなかなか成されないのか?不思議に思うことはありませんか?????

私も思っていました。

世の中のものすご~く優秀でエライ人が、必死に子育てについての改革をしようとしているのに、親は子どもの幸せについてホンキで取り組みながら子育てしているはずなのに、

なぜ、子育てのもろもろの問題は減らないのか?

幸せそうで純真な笑顔の子どもが減っているように思うのか?

時代はよくなっているはずなのに、子育ての問題は減るどころか、むしろ増えているような気がするのはなぜ?????

それは、、、

(中略)
結局、今日の大人は昨日の子どもであり、
効果的でない「親業」の産物なのだから。
責任感のある子どもを家庭で育てるための方法を学ぶという、
この試練に立ち向かう、新しい世代の親が必要だ。
そこからなにもかもが始まるに違いない。
そしてそれは、いま、そこで、
あなたの家庭で始められるのだ。
(「親業」トマスゴードン著より 近藤千恵訳 大和書房)

ゲゲゲゲ

 

そう、

まさに。。。。

私たち大人も、ほとんどの人が「タテ社会・権威社会」で育っているから、古い価値観にドップリと浸っていることがあるのかなと思う。


親から受け継いだ、古い価値観や常識を誰もがどこかで引きずりながら生きていることで「思い込み」が存在します。


もちろん、私もそうでした。

そして、

子どもの頃のあんなに嫌だった価値観なのに、

感じた違和感をそのままにしながらも、

自分が育てられたように子どもを育てていることが、多いのではないでしょうか。

だって、それしかしらないし。。。。

 

うんうん、そうなのです。


結局、子どもの頃にあんなに親の態度が「嫌だ」と思っていても、親になる時には、すっかり立場が変わってしまいます。


そして、自分のされた子育ての方法は、その人が何もしなければ、脈々と受け継がれてしまうものです。

「こうあるべき」と言う価値観や、人間関係のバランスのとり方などは、子どもにとっては「親が自然にやっていた方法」が「デフォルト」として沁みわたっています。


誰にも教えられなくても、日本語を習得したレベルで、価値観や人間関係の築き方を学んでいることが、子育ての問題を「複雑」にしているのだと思うのです。


「思い込み」は結構厄介です。

「思い込み」が外れる絶好の機会である、「人間関係の深い関わりやぶつかり合い」が減っている今、人間関係を避けていては、本質的な改善は期待できないのです。

また、親の関わり方がイヤだと不満を持っていて「親のようにならないように」と思っていても、それはそれで「真逆」に触れすぎると上手くいきません。


例えば、「うちの親は過干渉だな。私は気を付けよう」と思いながら子育てをすると、子どもに「干渉」することを減らしすぎてしまいます。自分がイヤだったことはやらない。でも、子どもにとっては自分が望んだものが得られずに「寂しさを感じる」ということがあります。


また、「うちの親は放っておかれて私は寂しかった」と思う人は、我が子に寂しい想いをさせることが怖くて、結果的に子どもへの関わりが密になりすぎてしまう、と言う事が起こります。


一言で言うと、

子育ては塩梅が難しい(笑)

だから、
学ぶのであれば、専門の知識のある人の元で基本から学ばなければ、


ずーーーっと古い人間関係や価値観を深いところで引きずらせてしまったり、「理想」と「現実」の中でうまく気持ちが最悪では繰り返されてしまうものなのだと思うんですよね。

今は、昭和生まれの人が令和の時代の子育てをしているという、まさに価値観の過渡期です。


なので、私たち自身も、価値観の根本的な改革に心がついていけずに「しんどさ」を味わっているかもしれません。

こんな、ホンネと建て前が横行する複雑な人間関係に、純粋で繊細な子どもの心が悲鳴を上げているのだと思う。

こういう状況が今の社会の現実だとしたら、

現実を直視し、知り、学びことで、私たちはまずは家庭環境からタテ社会に負けない人間関係に変えることができると言いたいのです。

この新しい概念と技能で、


多くの人が「力」による支配を行使しないで、勝ち負けやジャッジを捨て、子どもを助けられると確信します。

世の中の大きな力に巻き込まれないで、自分を軸に考え、生きることができる、しなやかで強い子どもの心が育つには、


子どもの心が傷つきやすい頃から、権力を一切使わないで、真に対等な人間関係を体験すること。

これがね、私の活動の源泉なのです。


私たちには、大きな力はありませんが、まずは、自分が学ぶことで、わたし達の周りにいる人との関係をピカピカにすることはできるかもしれない。

夫。子ども。家族。大切な人達。

すると、大切な家族を、不器用な愛情の連鎖に巻き込むリスクを確実に減らせるし、心の回復するスピードを速められる。


タテ社会の中で、権力に巻き込まれずに生きる為には、権力者を排除することと同じくらい、私たちが権力や評価に依存しないことも必要だと思います。

権力の崩壊だけでは、本質的な問題は解決しないのは、権力に依存していることがあるから。

一人一人が真に自立して生きるための自律の訓練は、先ずは親から行うのが急務だと思う。



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