子どもを褒める子育てが良いと、
常識的になっているようです。
褒めるのが苦手なママにとっては、
「私って、子どもを褒められないなあ~」
と、嘆くこともあるかと思います。
ですが、その必要はまったくありません!
それどころか、
安易なほめ言葉には、リスクがあるのです。
子どもへの関わり方で、”怒る”ということに対しては、否定的ですが、
”褒め言葉”についての危険性を指摘する人はあまりいませんよね。
子育ては”褒める”が基本が当たり前になっていて、
「わたしが子どもの時なんて全然褒められてないよ~。わたしも褒められたかったわあ~」
なんて、
「褒めコトバ」たっぷりな環境に育つ我が子を羨ましく思う事はありませんか?
自分が褒められた経験があまりない親は、
自分の自尊心の低さは親に褒められなかったからだと思っている人が多い気がします。
だから子どもは褒めて育てたいのでしょう。
あ、これ、私だった(笑)
「すごいすごい!」
「エライねえ~」
「良くできたねえ~」
しかし怒ることも褒めることも、子どもを親が思うように操作(?)しようとしている
すなわち、
子どもが自分で考えて行動を変えるのではなく、
他人の意向を気にして行動を変える、
と言う意味では同じ行為なのです。
褒めると叱るが同じ?
・・・
どんなに素晴らしい賞賛も、
子どもは自分が 自分以外のモノになる必要があると感じた時、心理的なリスクを生じます。
人は、自分以外の何者かにさせられそうなとき、
たとえ「賞」であっても、それは一種のコントロールとなり得ます。
それは、親の考える、良い・悪いの「評価軸」をインストールする事になるから。
そして、子どもは「親の評価軸」に沿って生きなければと思うようになります。
そのことは、子ども自身が自分らしく生きるための「自分の評価軸」の成長を阻害します。
すなわち、
他人軸で生きるようになるのです。
他人軸で生きるということは、いつも誰かの評価を得たいと思いながら、他人が作り上げた理想の自分を生きることです。
褒め言葉に隠されたリスクが、子どもの人生にこれほどの影響があると、だれも思ってもいないと思います。
ですが、子どもにとって、親は時別な存在ですから、
親の賞賛のコトバは嬉しすぎて、
親の賞賛を得られるように、頑張ります。
ただ、これは、頑張れば結果が出る時期だけ。
そのうち、結果は出にくくなります。
すると、
親の賞賛が得られる自分でないことに、罪の意識を感じ、
自分に絶望し、親に反発しながら自分に自信を無くしていきます。
素直な子や、親子関係が親密な場合に、子どもを鋳型にはめてしまいがちになるので要注意です。
あからさまに親の「鋳型」を押し付けられた場合の方が、
子どもは反発したり、逃げたりできるかもしれません。
巧妙に仕掛けられた「鋳型」だと、長い月日をかけていつの間にかじわじわと侵食されるように自己を明け渡してしまい、
やる気がなくなったり、依存的な子どもになるリスクが高まります。
子どもの依存性を育てて、
自己規律力・自己評価力を育てていないことを、
ほとんどの親は、子どもが思春期になってから気づきます。
これらは、親は良かれと思ってやっている行為です。
なので、親は子どもの元気が急になくなってしまった時に、どうしてそうなったのかわかりません。
大人は感じないけれど子どもにとっては大きい力を感じる場合があること。
心理的に弱い立場の人、子ども、生徒、患者さんは、力の差がある人からのちょっとした言葉に敏感であることを、親はもっと自分の立場や子どもからとてつもなく愛されていることを自覚する必要があると思います。
たとえば、優秀な兄弟を持つ人など、
兄弟がほめられていたことで、自分の能力が足りないことを非難されていたように感じて、
深く傷ついていることがあります。
たとえ、非難したり罰してるわけではないけれど、
「評価する」ってそういうことです。
これも、ほめ言葉のリスクとなると、ゴードン博士は説いています。
ゴードン博士は、「アメとムチを使った子育てで、責任感や主体性など育たない」と、バッサリです(笑)
でも、びっくりするほど、納得しませんか??
確かに、ほめると、子どもはとても喜びますよね。
そして、親から褒められた行動を、またやろうとします。
それは、親に褒められたいから。
でもそれが続かない、一時的なものになるとしたら、または本人を苦しめるリスクがあるとしたら、
できるだけリスクの少ないほめ方をしたいですよね。
その時、
評価とは?
ほめるとは?
リスクは?
ほめるとか、ほめないとかの問題でなくて、親の力、権力について、様々な視点で考えていくと、自分でその場でどうするのか判断できるので、悩まなくて済みますよ
親になれば、ずっと関わっていくことになる「子どもとの人間関係」だから、原理・原則から学んでいくのがおすすめです。
親だって、子どもをコントロールしたいわけじゃないものね。
もっと違う、リスクの少ない方法があるから、安心してね。
「子どもが部活を辞めたいと言っている」
「やる気が無く塾に行かない」
「毎日毎日、スマホ中毒」
「課題を提出しない」
どうしたらいいんですか?~~~
よくある質問です。
子どものことが、心配で、心配で、
子どもを「傷つけたくない」「傷つくのを見るのがツライ」と思う時、
これもオヤゴコロ。
でもね、
「部活を続けたほうがいい」とか、
「スマホは制限すべき」とか、
「制限する必要はない」とか
「学校にもムリして行かせなくてもいい」とか
子どもへの関わり方の正解を、「ただ一つの答え」など求めると、
それは、問題の先送りをしているだけではないでしょうか?
なぜなら、それは
どうしたらいいか?という
「行かせる、行かせない」
「制限する、制限しない」
「やめさせる、やめさせない」
あれかこれかの、「どちらの解決」なのかの「正解」を求めるだけになってしまうからです。
そして、
「正解」なんて、わからないものですよね。
そもそも、子育ての「正解」はだれが出すのか?と言う話になってきます。
子どもが傷つくことを恐れ、
親が「子どもが可愛そうだから」と、問題を肩代わりしてばかりでいると、
結局、子どもの幸せに親が責任を負う関係がずっと続いていきます。
すると、
子どもの責任感は育たないばかりか、親も子どもから離れることが出来ないまま。
これは、
子どもを愛するが故のオヤゴコロが発端のかかわり方だとは思うのですが、
実際には、
子ども自身の「問題への耐性」というか「真正面から考えてどうすればいいか考える力」を育てる機会を奪っていることになります。
そうなのです。
子育てとは、
子どもが自分の人生を生きる力を育てていくもの。
そして、そのために親としてどう関わっていくかが、親としての課題です。
子どもの責任感を育てるために、
どこまで関わるか?
どこから任せるか?
これは、人それぞれに、見極めポイントが違います。
そして、
血の通った人間を育てるためには、
生半可なことではないと思います。
私たちも、血の通った生身の人間であるし、傷つくことがあるもの。
ですが、無垢な子どもは、親から多大な影響を受けるのは当然のことなので、