我が家の二男は、高校時代には毎年のバレンタインデーやお誕生日には、いつもたくさんの贈り物を抱えて帰ってきていました。
食べきれないほどのお菓子類。 ちょっとした小さな箱なども多く、彼の友だちの多さを物語っています。
でもね、今から10年以上前の幼稚園時代には、担任の先生から、よーーく注意をされていたのですよ。。
二男は幼い頃、私の親や親戚中でも、もっとも扱いにくい子とされていました。とても個性的でこだわりが強かったのです。
私も当時は三人の中でいちばん「コミュニケーション」をとるのに苦労しました。
ただ、今では全くと言っていいほど気になりません。むしろ、誰にでも負けずに何でも言えるほど、コミュニケーション力が高い大人に育ちました(笑)(←ホント、不思議です。。)
子どもってホント変わります。成長します。
先生のコトバはささいなことでも母親にとってはかなりショック
二男は、1月生まれ。小さい時は身体も細く、のんびりマイペースを保っていました。
幼稚園での個人懇談の時に、先生に言われたことは次の通りです。
「同学年の児童と遊ばずに、いつも年下の児童とよく遊んでいるんですよ・・・」
若い先生にダメだしされたようで、私はとてもショックでした。確かに、個性的です(今でも)が、でも、そう言われてイイ気がするわけがありません。
余計なお世話じゃい〜
いい面だって、いっぱいあるんじゃい〜
そう、心の中でつぶやいていましたが、相手は専門家です。悶々とした不安が強く残り、かなり堪えました。子どもをありのままに認めてあげたいと思いながらも、先生のコトバはストレートにグサグサ突き刺さってきました。
自分の子どもにダメ出しされる時、先生との間も親業が役に立つ
子どもの事となると、時に冷静でいられなくなるのが、母親という生き物の辛さなんだな〜
そんなことを実感しました。で、 冷静でいられなかったのは事実なのですが、幸いにも「親業」を学び始めることができました。そのおかげで、その後の対処法がわかりました。
親業では「子どもは間違った行動はしていない」と考えます。これが腑に落ちた時、少しずつ親子関係に変化が起こっていました。
私は、彼の素直で繊細でとっても優しいところは十分に知っているつもりでした。なので「彼は悪くない」というのは、納得。
でも、なにか悶々としたイヤな気持ちは残っていました。
それで、わたしがどうしたか、ですが、これはもう、親業の方程式通りに考えていくしかありません!
親業では、この場合でいうと、モヤモヤして彼の行動を受け入れられないのは私。だから、私の問題と考えます。
その時の私は先生のコトバがずっと胸に突き刺さっていて、ずっと動揺していました。先生の言葉に傷つきながらも、影響を受けていて、子どもを力づくで変えたくなっていた自分を感じました。
そして、そんな自分をどう扱えばいいのか、困っていました。
ココは、状況の整理です。
気になる先生の言動に対して反応したけれど、はたしてそれは事実なのか?起こっていることは何か?を自分なりに検証することにしました。
例えば、
・着替えが遅い
→いつも遅いのか?
→早く着替える必要のある時にも遅いのか?
この結果、早く着替える必要のある時は、さっさと着替えていることがわかりました。つまり、彼は、早く着替える必要がないから、早く着替えないだけでした。
・作品展の絵を描くのが遅い
→早く描きたいけど描けないのか
→そもそも、描きたくないのか
この結果、作品展の絵は、自分の描きたいものではないことがわかりました。
絵画教室など自分の描きたい絵を描く作業は集中してできていました。
これは、能力に問題があるのではなく、環境に問題があるというわたしの見解です(先生には悪いけど)。
もしも、
早く着替えたいのにできない
早く描きたいのに描けない
など、本人の能力が他の子より圧倒的に劣っているのなら、本人も苦しいはずだし、早急に対応しなければなりません。
でも、彼は、自分で選んで、遅く着替えて、遅く描いていました。
子どもに立派な作品展を完成させたい先生にとっては、次男は気になる子どもだったんだろうなと思うけど、でもわたしは、自分の捉え方を変えることで、あんまり気にならなくなりました。
環境が変われば、彼の意志や状況が全く違うことが、わかっているからです。
私に具体的な影響がある?ない?で対応は変わる
冷静に考えていくと、私は彼の行動があまり気にならなくなっていきました。その一番の理由は、私には「具体的な影響がない」ことがわかったからです。
「具体的な影響」がない時には、親業では、考え方が違う、すなわち「価値観が違う」と解釈します。
なんだ〜
考え方の違いやん!
これは、受け入れてあげたいな〜
ここが腑に落ちたので、私の感じ方はガラリと変わりました。
だって、先生や私へ「具体的な影響がない」ことなのにイライラするということは、私の思う「正しい考え方」を強いてるってことですよね。
それは慎重になりたかったのです。
彼の個性は、大切な自己・アイデンティティです。まあ、先生には幼稚園の教育方針というのがあるのかもしれませんし、色々な考え方があって、みんな、子どもの為にと思ってやっているところです。
ただ、私は一番身近にいる母親である私が、彼の個性を潰さないように、成長の過程や可能性を信じて理解してあげたいと思いました。
学校や幼稚園の先生との考え方や教育方針の違いも、よいとか悪いでなく、それぞれの考え方です。
それも「ああ、ちょっと違うな」と自分が解釈していればいいことだと思います。
先生と意見が対立した時に、親がどんな対応をするかは、子どもは見ているので、親が慌てないでいることが、子どもの精神安定には一番だと思います。
相手を非難しないで、いい関係を築いていく
この記事だと、先生を非難しているように見えるかもしれませんが、私が言いたいのはそうではありません。
こういう事実も実際にあることだし、実は結構多くあるから(私以外にもよく似た話はあるので)、もしも、だれか悩んでいるのなら参考になればと思うだけです。
先生と親は立場が違います。
なので「先生のコトバ」は「先生のコトバ」として、感情に流されずにできるだけ正確によみとることを、おすすめしたい。
気になるようだったら、誰かに相談されるのもいいと思います。
きっと、別の捉え方、解釈があるとわかるのではないでしょうか。
親がその場を冷静に対処できると、どんな環境であってもすべてをプラスにできるかなと思います。
ま、今のわたしだったら、先生のコトバもサラ〜と流せていたのかもしれませんけどね。
子育ては、親が人として成長する時間を待ってくれません。
だけど、一番大切にしたいのは、あなたのメンツではなく、子どもの「心が傷つかない事」だと思うのです。
私が全てのお母さんに親業を学んでほしい理由がここにあります。