子どもの自立・自己規律心が育つ家庭環境をつくる親の学び場
  1. 今日のおかん塾
 

今日のおかん塾


2022/12/28
イライラする時ってさ
イライラする時、、

例えば誰かに、

こんなにやってあげてるのに、
なんでわかってくれないの?

って思う時は、大抵、自分自身に集中していない時です。

誰かに期待してるときに、
私はイライラしている。

なんで、わかってくれないの?

いらいら。。。。。。


動かない他人にイライラするのではなく、

動かない自分にイライラしているかもしれない。

自分自身に集中しているときは、他の人のことはもう気にならないもんね(笑)

はっはっは(笑)


2022/12/26
凸凹のままでも大丈夫
ゴツゴツのいびつな自分を、
丸くて美しい姿に変えようとするのでなくて、


ゴツゴツのいびつな自分のまま、

その姿のままで、大切な相手と、いい関係をつくるという事。

ゴツゴツのいびつなわたしたち。


ごつごつの凹凸こそが、その人らしさであるし、
その方が、ピタッと合ったときには、シックリくることもあるから。


丸くて美しい姿にしようとしなくても、
凹凸の姿のままで、幸せになろう!

そして、
ゴツゴツをしっかりと見て、お互いがどんな形なのかがわかると、ムダにぶつからずに済むものだから、その努力をする。


人は、
凸凹だけど、しっかりとぶつかることができると、
磨かれていって、そういうとき、ちょっとづつ角が取れていくみたい(笑)


自分で自分を磨くのは大変だから、
他人と交わることで、自然に磨いてもらおう(笑)



2022/12/26
子育ては晴れ時々カミナリで
いつも心は晴天で、
カラリと晴れて、
その方が気持ちがいいかもしれないけれど、

でも、私たちはそんなに晴天ばかりでいられないから、

それならば、晴れのふりをやめて、しっかりカミナリを落とそう。

子どもにとって、一番困るのは、カミナリではなく、ずっとずっと果てしなくつづく「曇り空」だから。

落ちそうで落ちないカミナリは、
緊張が続いて、気持ちまで暗くなり、

「落ちるよ」と言って、落ちないカミナリは、
カミナリに対する警戒心や感性を鈍らせるだけ。

しっかりカミナリを落としても、
子どもは避雷する術をちゃーんと習得するから、それもまた生きる力(笑)

台風一過のきもちよさも、私たちは知っている。


2022/12/26
ドラマを観ての会話より自分の成長を祝う

ある日、ドラマを観ていた時、


出産シーンで、

「お母さんの命が危ない???」そんな緊迫したシーンがありました。


子どもを産むって、自分の命と引き換えにするくらいの大変な仕事。


そして、

一生懸命、呼び戻すお医者さんや看護師さんたち。。


「戻ってこい~~~」


だったっけな。


めでたく、お母さんはあの世(?)から戻ってこられたんですが、それを観ていながら、


「ああ、私って、こんなに呼んでもらえるのかな?」


って、思ってしまいました。


疑問は、すぐに確かめるタイプです。


すぐに夫と二男(当時高3)に聞いてみました。


ジーーーーー(夫の顔をみながら)


「あのさ、私が死にそうになったら、こんなに呼んでもらえるのかな?」


ドラマを観ながら、キョトンとしている(?)夫。


そこには、


・・・(ちょっと、間があって)


「サヨナラ~~」

「バイバイ~」

「ありがとう!」




え~~~(:_;)


それ~~~~??(:_;)(:_;)

(←マサカや~)


でも、二人とも、

ムッチャ笑顔!


まあ、そうだよね~


お別れのコトバ以外に、感謝のコトバがあったのが、せめてもの救いだわ。


まあね、

ムリに引き止められなくても、いいか。


そこで、ビックリしたのが


まったく、淋しくない、わたし。。


彼らの言葉が冗談にしても、あまりにも淋しくなかったので、そのことに、自分で驚いていました。


それで、そのことについて、自分を観察してみました。

(こういう、ちょっとした気持ちの変化から、自分の変化を読み取るのが私の趣味)


もうね、これは、


「お役目は果たした」


という私の中の満足感に浸っていたのかな?って思いました。


母親を必要としていない、

母親がなくても生きていける、


なんて、たくましいんだろう~


うるうる


ああ感動。


こういう子育てをしたいと明確な目標をもっていたので、それは、自分の思い通りになったという満足な気持でもあったんだと思います。


ああ、私は、もう、自分の人生でやりたいことはやったな。


思い残すことは、ないな。。


「さよなら~」


なんて言われると「おいおい!」と突っ込みたくなりますが、それよりも感動の気持ちの方が大きかったんだと思う。



自分の子どもと、

こんな微妙でしゃれになるかならないかスレスレの話しがいつでもできるのは、


お互いに、別の人格であると、認めているからだと思います。


非難されることがないし、


非難されても、ちゃんと言い返せる自信があるから。



彼らは、かなり、大人です。


そして、私も大人になったかな。。。


と思えたことが、きっと嬉しいんだと思う。


共依存の両親に育ち、


親子間の粘着体質にガッチガチに縛られていた私が、ここまであっさり体質になれた。


他人の評価に依らなくても、一人で立っていられるようにサラリと流せるようになれた。


彼らと「対等」になれた気がしました。


それは、

どんな風に思われても、それで、私の価値が下がることがないと思えるようになれたし、


子どもから何を言われても、私は私をいじめなくなったから。


うふ。


がんばった私。


奇跡みたい。


本当に欲しかったものが手に入ったので、次の目標に向かっていかなければいけないのだけれど、


家族の幸せな笑顔以上に、欲しいものが見つからないのが、今の悩み。




2022/12/25
幼稚園に「体操服で行きたくない」と泣き叫ぶ時、本当の理由はそこじゃないかも?

私は男の子を3人育てましたが、それぞれに「むずかしさ」を感じたなと振り返ることがあります。

 

何が「むずかしさ」だったかというと、結局は「意志疎通」が上手くできなかったということです。


子ども達が、幼稚園時代、小学校時代、中学生、高校生と、まあ、色々と葛藤を体験してきました。特に二男はやりにくいと感じました。

一番つらかったのは、2歳から3歳ぐらいにかけて、よくわからないところで「泣く」「わめく」「ぐずる」「イヤだと言う」などいつもメソメソとしていた時です。

 

子どもって、コトバに出すことと、本当の問題がズレていることがあるようなのですが、私には何がそんなにイヤなのか?サッパリわかりませんでした。


当時の私は、コミュニケーション力も乏しく、彼の成長をうながすような「受け止め方」も知らなかったので、途方に暮れておりました。

幼稚園で体操服で行きたくないという子ども

  

我が家の子ども達は私立の3年保育の幼稚園に通っていました。

 

登園したらすぐに制服から体操服に着替えます。ただし、新入園児は着替え時間を短縮するため、4月中は体操服で登園することになっていました。

 

ですが、二男は 「体操服で行きたくない」 と言うのです。2つ年上の年長組の兄のように「制服で登園する」 と言います。

 

これには困りました。

担任の先生が、二男のために、通学ノートに体操服のシールを貼るよう工夫してくれました。私は、先生へ申し訳ない気持ちが溢れてきましたが、二男の気持ちはよくわかりませんでした。

毎朝、「なんで制服はダメなの?」と、メソメソ泣く二男の不満を聞かされ続けて、母親としてどうすればいいかわからず、ヘロヘロになってました。


「いっそ、制服で 通わせようか???
別に悪い事じゃないし。。。」


そんなことも真剣に考えました。

そして、待ちに待った5月のGW明けの「
新入園児も制服での登園が開始される日」。


これで文句はないだろう!と 思いきや、予想に反し、二男の機嫌はよくならなかったんですね。グズグズと、今度は別の理由を言い始めました・・。(どんな理由だったか、もう忘れましたけど。。)


え???

なんで???

よくわからないことは原因探しが始まる


「体操服で行きたくない」と言っていたのは、実は本当の問題ではなかったんだ。。。。

そう思うと「もしかしたら、幼稚園に入れたのは失敗だったのかな」と、私の頭の中では、あれこれと「原因さがし」が始まりました。


1月生まれの 二男は まだ3歳になったばかり。2歳上に兄がいて、1歳10ヶ月下に弟がいます。間に挟まれた彼がぐずるのは、明らかに 愛情不足(?)←つまり、私が悪い?


それとも、ただの甘やかしの生の、根性不足(?)←つまり、彼が悪い?


いつも、グジグジ・メソメソ、泣き顔の情けない二男の顔を見ると、もう何とも言えない情けない気持ちになりました。

「男の子やろっ しっかりせい 」

一発叩いたくなるような衝動を持つと同時に、自分が母親失格であると責められているような、すごい苦しさを抱えました。でも、今更、幼稚園を辞めさすわけにもいきません。

「これでいいのかな?」

不機嫌な二男に、どう対応したらいいのかわからないまま、

「これでいいんだ・・」

自分にいっぱい言い訳しながら、 幼稚園に 通わせていました。


どうしたらいいか?は「その場しのぎ」になる

 

こんな時はたいてい、


幼稚園に行かせる方がいい とか、
幼稚園には行かせない方がいい とか、

親としてどうすればいいのか?って、そんな風に考えがちです。私も
、二男が ”機嫌よく幼稚園に行く” ために、「私が彼に何をしてあげたらいいのか?」それだけに関心がありました。


でも、本当の問題は、それでは解決しないのです。
結局、二男の「幼稚園嫌い」の本当の原因は、制服ではなかったからです。

 

この時に、単に「どうすればいいか」だけで考えると、必ず別のカタチでまた何らかの問題が出てきます。


だけど、じゃあ根本解決のためには一体どうしたらいいのかってことを、私たちはほとんど知らないまま母親になるんじゃないかなと思うのです。

もちろんわたしも、具体的にどうしたらいいのか、全くわかりませんでした。でも、子どものどこか不機嫌だとはわかるので、とても後味が悪いのです。


  1. わからないまま、自分なりに「エイヤー」って、どこかで線引きして決める
  2. だけど、スッキリしない。どうしようもなく苛立つ
  3. そしてそれは、怒りとなり、二男へ向けらる(あんたのせいで、、、、、みたいな気持ち)
  4. イライラ〜。ガミガミ〜

1から4へ延々とくり返し


で、結果的に悪循環が繰り返しになってしまったような気がします。


大切なのは「行動」よりも「ココロ」に注目すること


それから、偶然「親業」に出会いました。

息子たちのココロの根っこを育てる方法を学んでビックリ!ああ、そこなんだ〜と、目からうろこがポロポロとこぼれるようでした。

そこで、

「なんで幼稚園に行きたくないの?」

「なんで体操服じゃダメなの?」

「どうしたら、幼稚園にいくの?」


と言うコトバも、自分なりには彼の心情を汲んで言っていたつもりだったんですが、それらのコトバは一旦やめて、とにかく習った通りに、

「ああ、体操服では行きたくないんだね」


と、丁寧に心をこめて言ってみました。


なぜなら、それらはすべて二男の問題、、、とは正直行きませんでしたが、とにかく「習った通り」にしようと思いました。


初めは、私の言い方は少々ぎこちなかったと思いますが、そこは私よりも100倍純粋で素直な子どもたち。


効果はすぐに出ました。

子ども心の声を、親としてどうやって受け止めてあげるのかがわかると、そこからは、ムッチャラクでした!


それからも、彼らの心を常に満たしてあげている方法をおうちで実践することができたので、
大きな問題が起こらなかったのです(小さな問題はたくさんありますが)


二男への心配な気持ちをどう対処したらいいのか随分悩んだ私でしたけど、二男も私も「ヘンじゃない」とわかり、それだけですごく自信が持てました。


あの時、知らないままではどうなっていたかと思うと、正直怖い。


きっと、二男を理解することができず、かといって自信も持ちきれず、悪い方へ悪い方へ思い込んでいくだけの状態がつづいていたのかもしれません。



親がラクになると子どももラクになる

なぜ、あんなにしんどかったんだろう?

子どもの幼少期のしんどさをふと振り返ってみると、単に「体力的」なしんどさでなく、「精神的」なしんどさの方が多く感じていたような気がします。

それって、私が一生懸命にあれこれと二男の機嫌をとることが、二男の感情を逆なでしていることに自分でもウスウス気づいていたから、その、泥沼に入り込んいく感じが、とってもしんどかったんだと思います。


親って、子どもを幸せにすることに全責任を感じてしまって、そのことでかえって親子関係が縛られてツラくなることがあります。


私の場合は、それまで、いつも情けない表情をして、メソメソ泣いていた、当時3歳の二男でしたが、私が「コトバ」を変えた途端にみるみる元気になり、表情が明るく変わっていきました。


親業を学び出して、むしろ、言いたいことを言うようになったので、時々はカミナリ〜〜みたいにムッチャ怒る事もあって、優しくなくなったんですが(笑)。


母親のコトバって、ものすっごく影響力があるんだなあって、感じました。


おかあさんの為にがんばりたい気持ちを、子どもはみんな持っているんから、ちょっとしたコトバのコツを知ってるだけで、愛のエネルギーで子どもの心を満タンに満たすことができる。

二男がどんどん落ち着いて、自信を付けていったのか目がキラキラ


本当に輝きだして、ビックリしましたよ〜〜

子どもの問題行動は大切なココロのSOSだから

その後、元気に幼稚園に登園するようになった二男ですが、実はもう一度、行き渋る時期がありました。


夏休みが明け、9月に入ったある日、「幼稚園にいきたくない」と言い出したのです。


その時は慌てずに対応することができました。


彼は、体育会の練習が嫌だったようです。残暑の残る9月の園庭での練習がおもしろくなかったのでしょう。通っていた幼稚園は、体育会でピラミッドをつくるような、超体育会系の幼稚園。急に先生の声が厳しくなっていたことも、彼の行き渋りの原因だったようです。

私は、彼の話を丁寧に聞きながら、一日だけ「お休み」をして二人きりでじっくりと過ごすことに決めました。

次の日は二男は黙って通園しました。


「オモシロくない幼稚園」に通う二男の姿を見送りながら、どうすれば、親として子どもの心を強くするための効果的に対処できるか?

私自身が子育ての軸ができたことで、以前よりも穏やかに対応できたからだと思います。

その後も、オロオロとしながらもなんとか悪い方にはならずに、乗り越えてこれたと思っています。

 

 


2022/12/25
子どものような純粋さで
改めて感じることだけど、

本当に頑固なわたし。

「これは、親譲りだなあ」と無意識で感じてしまうけれども、
おっと、親のせいにしてるわたし…(笑)(笑)

いつまでも、誰かのせいにするのはもうやめたいな。かっこ悪いもんね。

そして、
「頑固がよくない」と思っていた私を自分がみつけてあげて、
「成長の機会」にたどり着いたことを喜ぼう!

うお~
のびしろだらけ!

自分で実感した時、初めて訪れる「成長の機会」は、強力なステップとなるから、
そんな自分にワクワクしていればいい。

「問題」と感じるか否かは、その人の感じ方次第だけど、
「問題」と感じたのならば、それはその人にとっての「成長の機会」となるもの。

心底、自分に向き合ったとき、
本当に自由だと感じられるとき、
すべての心の重りを排除できたとき、

子どものような純粋さで、
自分の心の奥の方がじんわりと温かくなっていく様子を思い出すのかなと思う。


2022/12/23
人間関係のこれが大前提〜
人間だから、
機嫌のいい時もあるし、
機嫌の悪い時もある。

だれもが、
毎日を機嫌よく過ごしたいと思っているかもしれないけれど、

機嫌悪くても、大丈夫。

イヤな気分になっても、
感情的になっても、
腹が立っても、
なかなか許せなくても、

それがあなた。

そして、わたし。

対等な人間関係って、
親子でも、

五分と五分
フィフティフィフティ
50:50

無条件で、
まるっと自分のままで、

ここからはじまるんだよ〜〜〜〜〜



2022/12/22
信頼と自己効力感

人は、


大好きな人から、人として尊重され、信頼されていると感じると、


信頼に応えられる自分でいたいと思う気持ちが育つ。


大好きな人と肩を並べられる「対等な自分」でいたいし、

認められると超嬉しい!


借りも作ったままではいたくないし、心苦しく思う。


養育・保護されるべき「弱い存在」ではいたくなくて、

大人として自立できる自分を、好きになる。


自分の問題を自分で解決できることは「自立」への「自信」になる。


人としての誇り。


こういうのを、自尊心って言うのかな?


すべては、相手からの信頼から育つもので、そのベースになるのは親からの信頼なんだと思う。


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