息子が高校生になると、親子関係はかなり変わります。
今までは、何とか言い聞かせて来れたことも「うるさい」「うざい」
でも、勉強しないし、提出物も、課題も出していないみたいだし、日々、不安は募ります。
どうなってんのかしら?
大丈夫?
この場合、子どもの反応が無いのは、言い方のポイントがズレていることが多いんですよ
高校生の息子に伝えるは、本当に難しいけど、やっぱりポイントを押さえると、伝わり方が全然違いますよ〜
この記事では、我が家の長男が高3の時、7月の三者面談で実際にあった話を紹介します。
三者面談で先生からいきなり注意を受ける
長男は、とっても真面目でですが、実は忘れ物が多く、先生からよく注意を受けていたそうです。
で、三者面談の席で、私の目の前で担任の先生にこんな風に言われたのですね。
実はなあ、
新学期早々は、君の事、あまり良く思っていなかったんだよ。
それはね、
君、忘れ物や提出物未納が多いよね。
未提出者リストに、必ず君の名前が入っていただろう。だから、いい加減なヤツだと思っていたよ。
これ、将来 生徒にどうやって教えるつもり?(長男は教育大志望)
提出物を、期日に出さないっていうことは、その人との約束を守らないってことだよ。僕はそう考えてる。
ゲゲゲッ
先生からそんな風に思われていたなんで、私も軽くショックでしたが、 そこは、長男の問題です。長男の問題を取り上げずに、サポートに徹することにしました。
長男は、真面目で努力家です。先生も、今では印象から変わってきたようです。「彼は努力の人ですね」と言ってくださいました。
でも、提出物を出していないことで先生から注意を受けたコトは事実です!
三者面談からの帰り道に、その話をしながら帰ってきました。わたしは、特別な聞き方で丁寧に話を聞くことができます。すると、すこしずつ、問題がクリアになってきました。
提出物を出さないのは理由があった
なぜ、提出物を出さないか?
これは「提出物をやる必要があるのか???」ということにもなりました。
長男の理屈はこうです。
提出物は、「各教科の課題」が多いねん。
それをすると「課題のための勉強」をわざわざ、やらなければならなくなるねん。
なんとビックリ!彼には、課題を提出しない理由がありました。
その時、私は、以前に次男も同じことを言ってたことを思い出していました。
定期テスト前に、「単語帳に単語を5回書く」という課題を出された時、彼は、単語をただ5回「書くという行為」だけ行い、「覚えるという行為」はまた別に行っていたのです。
つまり、彼らにとっては、先生が出した「課題」は、ただの提出用の「課題」なのです。これが定期テスト前の「学習」には結びつかずに、全く別物として取り扱われていたのです。
書く≠覚える
次男にとっても長男にとっても、「課題をこなす」ことと「自分で覚える勉強」は、別モノなんだって知り、私は相当にショックを受けました
ゲゲ・・不効率!
ただ、長男は自分で、学力の得手不得手をつかんでいたようすでした。話し進むと、違う側面が浮かび上がってきました。
本当に取り組むべきものがあり、それに合致している課題は、やっているけど、そうじゃないものに関しては、取り組むモチベーションがあがらない、、、
わざわざ、提出するために勉強をすることに、あまりにも意味が感じられない。動機づけられないし、
それをすると、逆に勉強するのがキライになるような気がして、イヤだ、、、、
なるほど。
長男の内心をそこまで聞くことができ、わたしは、彼の気持ちを理解することができました。だって、勉強って、無理やりさせられそうになると、嫌になってしまいます。
何事も、無理やりさせられることほど、イヤなことはありませんよね〜
自分でできるだけ、そう思わないように(つまり勉強をムリにさせられている感覚をもたないように)自分の中に「余裕」を持たせていたい、と、前に話していたことがあります。
目の前に迫りくる「受験」に対して、主体的にモチベーションを維持し続けたいと自分の気分を尊重するうちに「課題」に手が伸びなかったのかな?
彼の気持ちに思いを馳せましたが、、、、
ま、いずれにしても、長男が自分で折り合いをつけて自分で考えて責任を取ること。
すなわち、彼が自分で解決するべき問題ですね。
全ては彼の中から自己規律力を育てるために
こういう、面倒くさいけど、大切な課題を自分自身と向き合って、キチンと乗り越えていくことこそ、自分の人生を主役で生きるために欠かせない自己規律力を鍛える経験となります。
親が「ガツン」と指導し、たとえ提出物を出したとしても、彼が自分で自分の問題に折り合いをつけていったことにはなりません。
彼の今の気持ちを「理解」して「尊重」することで、自ずと彼自身で向き合い始めるのです。
ここで、わたしも「聞く」を頑張りましたが、担任の先生の言い方も、とても効果的でした。
もしここで、
課題を出しなさい。
学校から出された課題をすると、自ずと実力もつくようになるし、すべては君の為なんだよ
と言ってたら、おそらく長男には響かなったでしょう。
その理由は、ポイントがずれているからです。
ほとんどの親が行っている「説教」はこのケースに該当することが多く、子どもに響きません。それどころか、人間関係そのものを壊すことになってしまう、という、なんともデリケートな問題なのです。
この先生の場合は、
君の事、いい加減なヤツだと思っていたよ。
提出物を期日までに出すことは、約束を守ること。
これは、教師としての資質に関わる、、、
と話されました。
極めて淡々と冷静に。
まさに、親業訓練で言う「コンサルタント」的な関わり方だなあって、唸っていました(笑)
先生も親も一人の人としての向き合う
その後、長男は「面倒くさいけど、やりたくない課題もやる」と言いだして、課題をこなしていました。あれほど課題をしない子どもだったのに、彼の心に響くものがあったようですね。
そして、この先生のことも、とても信頼して尊敬していました。
こんな風に自分のコトバで語る先生や親がもっと増えたら、子どもももっと生きやすいのにな、と思わずにはいられません。
上からコトバでなく、一人の人としてかかわる事が、子どもの心を動かし成長させるのだな、と、いつも体験するたびに実感します。
前提にあるのは、子どもに対する信頼と愛情と、それを、子どもに伝えること。
力や脅しは必要ありません。
親が、親の権力をつかわなければ、いつまでも子どもに影響力を持ち続けられる、ということも、親はあまり知らないことです。
ああ、もったいない!
ちょっとしたコツなのですが、このルールを守る事で、いつまでも、尊敬される親や先生でありつづけられます。そして、子ども達も自分から規律を守っていこうとする心の体力が育っていきます。
ぶつかる事で人としての責任が磨かれる
この後、高3の最後の受験校を決める時にも、彼は先生と対峙する場面がありました。
上からコトバでなく、一人の人としてかかわる事が子どもの心を動かし考える力を伸ばして成長に導いていくのだな、と、私はいつも子どもの変化を目の当たりにするたびに実感します。
子ども自身が自分から規律を守ろうという心が自然に育つと、結果的に親も先生も子どももみんなが成長し、結果的にラクになっていきますよ。