なぜ親は子どもに手を出しすぎてしまうのか?過干渉が起きる心理的理由
子どもとの適切な距離感のとり方については、私も必然的に学ばされたものです。でも、適切な距離感はそれぞれの感じ方でかなり違うようです。
私が適切な距離感を保つのが最も難しいと感じたのは、はじめての子どもである第1子でした。
それまで子どもどころか動物を育てる経験もなかった私。やることなすことがすべて目に入ってきました。気になって気になって仕方なかったのです。
「あーんもう、大丈夫???」と、黙ってられなくなって、ついつい手を出して「正解」を教えてあげる、そんな毎日の繰り返しでした(-_-;)。
もちろん、子どもが考えて動き出すのを、待てる時は待っていました。でも、私が待てない時は、先回りして行動を示しました。
これは、彼が小学生の時まで続きました。
はじめての子どもである長男は、私にとっては母親業初心者マーク。今考えても、気持ちの入り方が第2子や第3子とは違っていたように感じます。(長男よ、すまぬ)
なんでこれほど違っていたのか????
自分なりに検証したこともあります。ま、第一子は一緒の時間が物理的に長くありますし、親も初心者で緊張していますからね。そのぶん「思い入れ」が強くあり「一心同体」のような感覚になっていたのだろうなと、思います。
いや、もっと正確にいうと、赤ちゃんの時のような「一心同体」の感覚を成長と共に手放すことが難しかったという表現の方がピッタリかな。
それは、私としては紛れもない「愛情」でした。
でも、今考えると、自分本位な「愛情」だったのかもしれません。子どもの幸せに責任を負おうとする気持ちが強すぎて、自分の幸せの尺度を押し付けていたからです。
彼のやり方を見て「あ、それは違うよ」「この方がいいよ」と、私の推奨する方法に従わせていましたね。それも善意で(-_-;)。
こう書くと、「え、別にいいんじゃない?」「子供を助けてあげて何が悪いの?」「親だから正解を教えてあげるべきなんじゃないの」と、読んでいて違和感を感じる人もいるかもしれません。
そうですね。子どもの幸せに親は責任を持ちますよね。なので、私も一時期は、
- 子どもが困っている時、手を差しのべてあげて、困らないようにしてあげたい
- 子どもが辛い思いをしないようにするのが親のツトメ
- 私が子どものそばについててあげなくちゃ
と考えていたことがあります。
ですが、今ではこの考え方こそ「子育ての落とし穴」「盲点」だと感じます。
なぜなら「子どもの為になんとかしてあげたい」という気持ちの強さは「過干渉」となり、かえって子どもの心理的な自由や成長を奪ってしまい、彼の依存心を育てることにつながる可能性があるからです。
子どもは親が大好きです。だから親の意図にできるだけ従わねばという気持ちが働きます。ここは、親の方が注意深く接する必要があるところだと思います。
言う事を聞いてくれる子どもは「いい子」ですから、親も嬉しい。なので、子どもの違和感を見逃してしまいがちなのです。
親の良かれと思う行為が、いつの間にか子どもの「自立の芽を奪ってしまう」ことがあるのは事実。「親から心理的に支配されているような、なぜか親から離れられない子ども」にせっせと育てていることがあるとしたら、本当にもったいないと思います!
もちろん、だからと言って、子どもの為に何もやったらダメと言う事ではありません。「子どもが自分とは違う人格を認めながら適切に関わる」ことの難しさこそ、自律の子育ての本質なのです。
とすると、私の態度や接し方はいわゆる「過干渉」で距離感ゼロだったのかもしれません。
自分とは違う人間であるなんて当たり前の事だとわかっているつもりなのに、いざとなると「え?そんなことするの?」「そんなこと考えなくていいのよ」と、自分の枠の中に入れて、思い通りの理想の子どもに当てはめたくなってウズウズしました。
自分とは違う人格であるはずなのに、モヤモヤが止まらなかったのですね。
ま、私の場合はその後、子育てを本格的に学びながら、第2子、第3子への心の持ち方を通して、自分の第1子への感じ方を客観的に視ることができました。ここは、実際に第2子、第3子がいたからこそ、自分の感じ方の違いに客観的に気づけたことだと思います。
親子が近すぎる関係は問題?母子一体化のメリットと落とし穴
子どもとの距離感が密接過ぎて、離別感が乏しく、なかなかモヤモヤが収まらなかった私。
「自律の子育てスタイル」を検証するうちに、子どもとの「距離感ゼロ」で「母子分離」が出来ていないことが、親子関係が苦しくなる一番の原因だと思い至りました。
でも「一心同体」の「距離感ゼロ」の感覚とは、母性そのものですよね。母親に100%依存しているからこそ、赤ちゃんは大きくなれるものですから。
だから、「距離感ゼロ」は子どもを産み、育てるためには必要だったということ。そして、その後は、かならず「子離れ」する作業が必要になるのです。そして、私はその「子離れ」の作業が超苦手!だったのですね。
子離れして、親と子が別々の人であるという「離別感」を持つことは、頭で考えるよりはるかに難しいことでもあるかもしれません。
古い育児本などを読むと、大人になる為の「母子分離」は世代を超えた永遠の課題だと感じます。昔の人の知恵として大人になるための「儀式」があったみたいですね。日本でも「元服」の儀式を通して、「もうこの子は一人前の人として扱う」と、母親たちは息子への振る舞いや言動を今までとは違うものに律していたんでしょうね。
それぐらい、心に一線を引くことは、母親にとっては大事なコトなんだと思います。
今は「元服」などの儀式はありませんから、離別感を持つことが苦手だと感じる人は、意識して、離れる事が必要ですね。
「この子はもう、自分とは違う一人前の人なんだ」と親が意識して、心に一線を引く。
ここは本当に意識していないとつい踏み越えてしまいます(-_-;)
親子の距離感が整うとどうなる?子どもの自立と親の安心をうながす
親子の距離感を持てるようになる練習は、親業訓練の中にも含まれています。
丁寧に、コツコツと、関わり方や言葉を具体的に整える中で、自然に距離感が保たれる設計です。
子どもとの距離感を整えるために、ゴードンメソッドの中で繰り返し「訓練」される5つのステップはこちら
- 子どもの行動を具体的に眺める
- 困っているのは誰かを考える
- 困っている人が問題を解決する機会を取り上げない
- 主語を明確にしながら、適切に対話する
- 援助は“支配”ではなく“伴走”にする
これらは知識ではなく、日常会話の中で練習できる具体的な関わり方です。
これらを順番を追って体験学習するので、その人のペースで自分の内面に落とし込んでいくことができます。
子育ては親の成長を待ってくれませんよね。だからこそ、これら一つ一つの「訓練」が私を助けてくれました。
白状しますが、私が第1子である長男との間に「あ、なんか丁度良い距離感ができた」と最初に感じたのは、実は彼が小学校5年生の時でした。
なんと、親業を学びはじめて、5年目(-_-;)
キッカケは、彼の口から所属していたクラブの中での会話を聞いた時です。クラブの中では私が認知していない「家とは違う彼」だったのだと知りました。その時に、なぜかフッと力が抜けた感覚があったんです。
この子はわたしが思ってるよりずっとしっかりしている
大丈夫なんだあ
その時、私は彼の事をずっと自分の「色メガネ」から眺めていたんだなと気づきました。自分としては良い母親のつもりだったのですが、実は自分の中で勝手に考えすぎて、妄想も膨らんでいて「彼の弱点」ばかりが、気になっていたんですね。
この「思い込み」が外れるのに、5年の月日がかかったことになります。優しい長男は何も言わなかったけど、わたしはずっと彼を支配しようとしていたんですね。
「息子は別の人なんだ」と腹落ちした時、すごくラクになったのを覚えています。同時に、私は、それまで長男のことを「一人の人格のある人」として見れずに、「自分の息子」「自分の従属物」みたいに見ていたのかもしれないと、深く反省しました。
いえ、「一人の人」として見ていたし、見ようとしていたのですが、「私とは別の価値観を持つ」という視点が、わかっているようでわかっていなくて、どこか抜け落ちてのだと思います。
時代と共に変わってきた親子関係はホンモノ?
昭和時代の子育てでは、よく親子関係の愚痴を井戸端会議のような世間話の中で話していました。
「うんうん、そうよね」と一通り気持ちを吐き出した後で、「親離れしなさいね~」とか、「子離れできてないんと違う??」みたいな会話があったような気がします。
井戸端会議では、他人の家の話を聞きながら、自分を顧みる時間。
でも、今では友達みたいな親子が増えて、親離れ、子離れと言う言葉があまり使わなくなった気がします。今の子育ては、私たちが子どもだった頃から「親子関係のあり方」が変わってきているのかもしれませんね。
親子間で「いい距離感」が持てているのなら、私が心配することは何もないのですが、もし、上手く言っているように見えて、どちらかが苦しい思いをしているのだとしたら、親子関係のあり方についても考えていきたいところです。
いつも引っ込んで相手に譲ることが当たり前になっていないか?
自分の方が強く出て意見を通すのが当たり前になっていないか?
人間関係とは、人間の悩みの中で一番大きなものだとも言われています。
人間関係のもっとも大きな影響を与えるのは親子関係です。
一人の人として尊重されつつ、お互いが分かり合える、適度な距離感の心地良さは、親がお手本となって子どもに伝えていきたいものですよね。
一人の人として見る目線をどう育てるか?
子どもと親が別の人格であるを認めることは、母親にとっては本当に難しいことだと思います。
でも、近すぎず、遠すぎず、適度な距離感を保ててると、親子はずっといい関係でいられるし、お互いに理解し、育ちあっていくことができます。
私が、息子が自分とは違うやり方をするのを、すんなり受け入れられなかったのは、私自身がどこか「感情移入」しすぎて「勝手にあれこれ先回り」していたからだと、今更ながらしみじみと思うことなんですよね。
それでは彼の人生なのに、勝手に私の尺度で考えて勝手に解決しようとしていたということ。すなわち「彼の人生の所有権」を無視していた行為かもしれないのです。
彼らが自分の人生を自分の力で納得のいくように歩む権利を妨げないように。
例えば、宿題や友達とのもめ事なども、自分の身に起こった自分の悩みだからこそ、本気で何とかしていこうと思うし、自分の事だから、そのことで責任を取っていこうと思うのです。
これを、親業のゴードン博士は「彼が問題をもつ権利がある」として、「人生の所有権」というコトバで表現しています。自分の問題は自分で解決するのが望ましいし、それをする力を持っていると考えて、親は援助に徹していくんですね。
子どもが自分の問題を自分で解決できることを望むのなら、彼の問題をとりあげない。そのために、親の方から距離感をとってあげることが本当に大切だと思います。
適切な距離感をとれる「心の体力」とは、子どもと自分に一定の距離を置ける心の強さです。これは、実際の場面でプロセスを訓練し、振り返り、言葉を整えていく中で育ちます。
そのために、親が学んでいきたいのです。
ちなみに、この誰が問題は?は、講座の第一回目で詳しく学びます。
親子の距離感についてよくある質問
Q:子どもを放っておくと甘えませんか?
放置と見守りは違います。見守りは責任を子どもに返しながら、援助可能な位置にいる関わり方です。
Q:過干渉かどうかはどう見分けますか?
子どもの課題を親が先回りして解決している場合、過干渉になっている可能性があります。
Q:思春期でも親は関わるべきですか?
関わります。ただし「指示」ではなく「対話」で関わっていきます。