「買い物の時に子どもが『おやつを買って〜』とせびってくるんです。前に私が、私の事情でおやつを買ってあげた事があるから、それで味をしめて、また言ってくるようになっちゃったんです。どうしたらいいでしょうか?やっぱり買ってあげるべきでしょうか? 先に買ってあげた私が悪いし。 でも、なんだかそれも嫌なんです。」
ある子育てイベントに出展した時に、こんな質問をいただきました。
お母さんは本当に、真面目に子どもに向き合おうとしている様子でした。だからこそ、悩みがいっぱいですね〜
「子どもの「わがまま」は、以前、私が買ってあげたから?」
「こうなったのも、私の責任。」
「でも、それは本当は私の本意ではないんだけどな。。涙」
こんな風に自分の行動に責任を負い、買うか?買わないか? どっちにしたらいいか、迷ってしまうのです。心の中のモヤモヤがいっぱいです。
さて、こんな時どう考えればいいでしょうか?
おやつを買ってあげても買ってあげなくても 生まれる「葛藤」
結論から言うと、この場合、おやつを買っても買わなくても、どちらも子どもにとっての悪影響がある可能性があります。
では、どんな悪影響があるのか考えてみます。
買わなかった時
「以前はおやつを買ってあげたのに、今回は買わないと、それじゃ、親が「一貫性」を欠くことになってしまうんじゃないの?買ったり買わなかったりして、それって、子どもにとって、どうなん?子どもに何と言って説明しらたいいの?」
こんな時、親は「買わない新しい理由」を考えようと、あれこれ考えようとするかもしれません。
そして、子どもは買ってもらえない理由が理解できなかった場合は、なぜ、そうなったのか?納得ができないでしょう。
なので、そのうちに「なんでわからないの?」「もう〜」っと、親がイライラしてしまって、最後には高圧的になるかもしれません。子どもにやり込められた感が残ると、子どもは不満に思うかもしれません。
買った時
「一度、子どもの欲求に従って買ってあげると、これから、ずっと買わなくちゃいけなくなるかもしれない・・ 前回は、確かに買ってあげたけど、ずっとそれをされるのもイヤだし、とても困る。。。 ああ、どうしよう????」
今度は、安易におやつを買ったことでの将来の不安が生れてきます。
子どもは、自分の欲求が通ったので、満足していますが、「また、欲しい時にはいつでもおねだりしよう」と思うかもしれません。
そして、いつも自分の欲求どおりに買ってもらえると、ガマンすることを覚えません。
ここで、一番気になる事は、親が何となく不満気でイライラしていることです。こういう親の態度を子どもは決して見逃しません。
自分の要求が通って、おやつを買ってもらってご機嫌なはずなのに、何となく、面白くありません。なぜって、お母さんがどこか不機嫌だからです。
親がプンプンしていると、子どもは面白くなくなります。そして、親の本心がわからない時、子どもはどうしていいのかわからずに、親の愛をわざと試す行動をしたり、身動きが取れずにビクビクしたりする場合があります。
子育ての正解は、その都度かわる
おやつを買う、買わないで生じる悪影響とは、実はそれぞれに親の「罪悪感」や「うしろめたさ」あるいは「負けた感じ」で、不満や葛藤が起こることの悪影響です。
ここで「じゃあどうすればいいの?」と子育ての「正解」を教えて~と思うかもしれませんね。
でも、その方は、子育てを「正しい」「間違ってる」の二極で考える傾向がないか?考えてみて下さい。
例えば、夫と育児についての意見が食い違っている時など、
私の方が正しいか?
夫の方が正しいか?
と、こんな風に考えてしまっていませんか?
これは、どっちが正しくてどっちが間違っている、〇か✖か、というように、「勝ち負けの関係」になっていると言えると思います。
そして、この「白黒」「勝ち負け思考」では、人間関係の問題を解決するためには限界があります。なぜなら、負けた人は不満が残るからです。
まあ、相手が不満に思っている事がわかっていても、だからといって引き下がると今度はこちらが負けてイヤな想いをすることになりますから、それはできない。
世の中は勝つか負けるか。結局はそんなもんだと思うかもしれませんね。
だけど、この考え方はやっぱり古い(笑)
そして、それこそが人間関係が崩れる元凶となるものです。
勝ち負けで考えない方法で、子育てがシンプルになる
どちらが正しい、どちらが正しくない、という方法では、後味の悪さが残ります。
そして、ここで提案したいのは、あきらめないで、もっと違う方向を目指していこうってことです。子どもの年齢を問わず考える力を見くびらずに、しっかりと対等な存在として扱ってあげる方法です。そうすると子育てはもっとシンプルにできます。
それは、親子が困っている時には、お互いに協力しながら一緒に考えていく方法です。
親子の関係性を盤石なものにして、その上で、お互いの成長を支え合っていくのです。「関係性」がしっかりできていれば、子どもの心は健全に育ちます。
この場合も、単に「買ってあげる」 とか「買ってあげない」 でなくて、「その時にあわせた子どもとの関わり方」 で考えることをおすすめします。
「親がどんな風に自分と関わってくれたか?」という経験から、子どもは「他人との心の通わせ方」を、覚えるんですよね。
で、ここで大切にしたいのは、親としてホンモノの人である、という事です。
例えば、おやつを買ってあげたいなあ、と思うなら、買ってあげたらいいですし、今日はイヤだと思うのなら、「イヤ」と言えばいいです。それでも子どもがおやつを要求してきたら、一緒に話し合います。
「今日はお金がないから」など、気になる事があるなら、それを正直に伝えます。そして、親子で今をどうするかを一緒に考えるんです。
本音で話すことで、子どもが考えますし、「じゃあ、明日まで待つ」「半分だけ」など、どちらも納得のいくいいアイデアが生まることもあるんです。
なので、本当の問題は、子どもとの話しの流れ、展開の方法、もっていきかた、即ち、子どもとの対話をどのようにするか?ということですね。
子育ては、親が子どものことをどんな風に思っているか、子どもの事をどう扱っているかがとても顕著に現れます。
子どもが小さいから、親がいい方法を示してあげなくちゃいけないって思っている方がおられますが、私にしてみると、子どもの力をあなどっているのは、大人の方だと思うのです。
子どもを尊重しようとして甘やかしになっていませんか?
最近、子どもの言いなりになる、子どもを「尊重」しているといいながら、「甘やかし子育て」が多いような気がします。
子どもの欲求を全て叶えてあげるのは、子どもに「自分の欲求をかなえるために、他の人の欲求には配慮しなくてもいい」と、子どもに教えていることになります。
これでは、こどもは親や大人にやってもらって当たり前、他人に純粋な思いやりを持つ人には育たないのではないでしょうか????
「子どもを尊重する」を、はき違えていませんか?
私は、「自分が真っ先に優先されるのが、当たり前」と考える子どもを育てたくはありませんでした。
他人へ配慮できて、他人の喜ぶ顔を見るのが幸せで、でも決して自己犠牲ではなく全ての人を対等に感じることができて、そんな自分を自分で誇れる、本当に自立した、強くて優しい大人に育ってほしかったのです。