「フツーの子ども」がしてることをなぜできないの?
子どもの癇癪の強さが気になってしまう時に、なぜそれほど気になるのでしょうか。
私はいつも「男子の扱い」で鍛えられる中で、自分の中のモヤモヤや違和感を分析してきました。
で、結論から言うと、それは、他の子どもとの「違い」からだと思い至ったのです。
今、大切なコトがあるのに、
今、すべきなコトがあるのに、
他の子はしてるのに、 「フツーの子」はそれが理解できるはずなのに、 なんでそれがわからないの(泣)?????
うちの子は変?
コトバが通じない腹立たしさと、虚しさが交錯して、はやくに結論づけてしまいたくなることはありませんか?
そんな時、親は、
何度も何度も繰り返して責め続けてしまう罪悪感、
最愛の我が子を傷つけてしまっている自己嫌悪感、
個性的な我が子を人並みに育て上げることの責任のあまりの重さ、
などに、押しつぶされそうで、不安で、逃げ出したくなる衝動を感じている場合もあるかもしれません。
発達が気に場合ほど大切になる家庭環境づくり
実は、私的には、発達障がいやグレーゾーンであるかないかは、それほど大事でないと思っています。
どんな子どもでも「発達障がい??」なんてことはたくさんあって、あればキリがないからです。
そして、子どもなのだから、未熟なところや劣るところがあったり、他人よりも自分を優先してしまうのも「当たり前」ですよね。
大切なのは、診断することでないはずです。
それよりも大切なのは、「未熟さ」をどうカバーするか?
つまり、子どもの成長と発達をうながす環境づくりです。
同じ事柄を今までとは違う角度から見たり考えたり、他人への思いやりの思考が本人の中から発達するように、「どうやって子どもに接するか」のほうが、100倍大事だと思います。
そのために、親がするべきコトは「お互いが理解しあえるコミュニケーション技能の訓練」です。
「コミュニケーション技能」というのは、物事を子ども自身が理解し納得できるように、親の想いが「伝わる技能」のことです。
実は、親が抱えるイライラは、 子どもに「伝わらないもどかしさ」なのかもしれません。
伝わらない
わかってもらえない
フツーに他の子ができる事ができない!
理解できないところで、やたらとこだわる
価値観がまるで違う
住んでいる世代も違う
異星人と話しているような感覚
←こんな風に思うことはないですか???
そして、感じ方や反応が、他の子とはなんか違うなと思うとき
→この子はちょっと違うの???
→発達障がい???
・・・というように考えてしまうのだと思うのです。。。
つまりすべては「伝わらないこと」から始まるのではないかと思うのです。
確かに、発達障がいは早期の発見で適切なサポートが受けられることは確かです。だけど、実際にはグレーゾーンの範疇という事も多いのです。
そして、発達障がいと診断が出ても出なくても、グレーゾーンの範疇と言われても、専門家の手厚いサポートが受けれても受けられなくても、家庭での親の関わりが子どもの発達に大きな影響を与えますよね。
個性が強い子どもの個性を潰さないように必要な社会性を教えるためにも、すべては「伝わる技能」から始まるのです。
すべての人が未完全であり個性があるのだから
私は、子どもはすべて「発達障がい」であり、そして私自身も「発達中」だと思っています。
完全な人間などいないからです。なので、そういう意味で全ての人が「発達の過程にいる」と思うのです。
親は神さまではありません。
人は皆、それぞれがより良くなっていこうと成長を続けるものだと思います。
だれもが、どこか「いびつ」な存在です。それは、個性というのかもしれません。
そもそも、個性が強いとか薄いとがか言うのは、すべてその人の感じ方や周りの環境、比較による問題だと思うのです。
マジョリティも、マイノリティも、属している集団によって変わるもの。
つまり、その人の周りにいる人がどんな特性をもっているか?に左右されているだけ、という事です。
子育てのめざす方向が完璧や理想になると、子育ては苦しくなる
親は子どもに「完璧」を求めがちです。以前の私も、つい、自分にも子どもにも完璧を求める傾向がありました。
何でもこなせる、スーパー人間に育てる事が、子育ての目的と思っていました。
そうすると、子育ての目的はいつまでも、達成しませんし、どんなに頑張っても届かない「不完全感」に苦しむことになりました。
ここに気づいたので、子育ての目的をシフトすることにしたのです。
完璧な人なんていないのだから、個性を活かし、周りの人に助けてもらえるような人間関係に強い体質づくりを強化しよう!
そして、その為に親ができることとして、
正確に、過不足なく想いを伝える。
自分の想いを伝えることができる子を育てる
このワザを磨く方向を目指したのです!!!
障害のない人からある人への上から目線でなく、 同じ欠点のある対等な人間として、困っている時に助け合える関係。
言いかえると、完璧な人としての円満な人格を目指すのではく、
その人の凸凹はそのままでいいじゃないか、
どこがどう凸凹しているのかを、伝えあう能力を鍛える!
というものです。
でもね、考えてみると凸凹のある方が、人ってしっかりと結びつくのですよね。
そして、コッチの方がHAPPYだと思うのですよん
私は、自分の3人の息子の子育ての経験からも、発達の特性・個性・バラツキは、日々の経験の深さで十分に補うことができると考えています。
自分とは違う人がいて、自分とは違う感じ方をしている人がいる事を、毎日のやりとりの中で知ることになります。
子どもは自分とは違う感じ方をする人がいる事を自然に理解します。それは、他者を理解するためにもとても大切な要素となります。
本当に人の成長は長い目でみることが大事だなあと思うのです。
発達が気になるからこそコミュニケーションの訓練を!
癇癪を起している子は、自分の気持ちをわかってくれないという思いが強く、また、自分を伝えるコミュニケーションが苦手な子が多いと言われています。
決して思いやりがないとか、人と交わることが嫌い、というのではないと思います。
母親がその子が持つ「当たり前」を正確に理解してあげると、コミュニケーションの苦手意識は解消できます。
個性やこだわりが強いからこそ、相手に自分を理解してもらう努力は欠かせませんよん
コミュニケーションスキルを身に付けて、発達の特性を、認め合い、素晴らしい個性として活かしあうことができると、特性はすばらしい武器になります。
なので、本当の問題は、
すべてのものを、一つのものさしの上でランキングして、優劣を競い合う世の中の風潮だと感じています。
すぐに結果を求めてしまったり、目の前にある「評価」が気になったり、気にすることを強いられるような風潮に、こころがざわつく。。
私がお母さんに子育てを勉強することをおすすめするのは、私自身が「評価的視点」にがんじがらめになっていたからです。
そして、その事が子どもの心の成長に及ぼす悪影響と、母親の悪影響をできるだけ回避する方法を知っているからです。
先生のコトバはささいなことでも母親にとってはかなりショック
二男は、1月生まれ。小さい時は身体も細く、のんびりマイペースを保っていました。
幼稚園での個人懇談の時に、先生に言われたことは次の通りです。
「同学年の児童と遊ばずに、いつも年下の児童とよく遊んでいるんですよ・・・」
若い先生にダメだしされたようで、私はとてもショックでした。確かに、個性的です(今でも)が、でも、そう言われてイイ気がするわけがありません。
余計なお世話じゃい〜
いい面だって、いっぱいあるんじゃい〜
そう、心の中でつぶやいていましたが、相手は専門家です。悶々とした不安が強く残り、かなり堪えました。子どもをありのままに認めてあげたいと思いながらも、先生のコトバはストレートにグサグサ突き刺さってきました。
自分の子どもにダメ出しされる時、先生との間も親業が役に立つ
子どもの事となると、時に冷静でいられなくなるのが、母親という生き物の辛さなんだな〜
そんなことを実感しました。で、 冷静でいられなかったのは事実なのですが、幸いにも「親業」を学び始めることができました。そのおかげで、その後の対処法がわかりました。
親業では「子どもは間違った行動はしていない」と考えます。これが腑に落ちた時、少しずつ親子関係に変化が起こっていました。
私は、彼の素直で繊細でとっても優しいところは十分に知っているつもりでした。なので「彼は悪くない」というのは、納得。
でも、なにか悶々としたイヤな気持ちは残っていました。
それで、わたしがどうしたか、ですが、これはもう、親業の方程式通りに考えていくしかありません!
親業では、この場合でいうと、モヤモヤして彼の行動を受け入れられないのは私。だから、私の問題と考えます。
その時の私は先生のコトバがずっと胸に突き刺さっていて、ずっと動揺していました。先生の言葉に傷つきながらも、影響を受けていて、子どもを力づくで変えたくなっていた自分を感じました。
そして、そんな自分をどう扱えばいいのか、困っていました。
ココは、状況の整理です。
気になる先生の言動に対して反応したけれど、はたしてそれは事実なのか?起こっていることは何か?を自分なりに検証することにしました。
例えば、
・着替えが遅い
→いつも遅いのか?
→早く着替える必要のある時にも遅いのか?
この結果、早く着替える必要のある時は、さっさと着替えていることがわかりました。つまり、彼は、早く着替える必要がないから、早く着替えないだけでした。
・作品展の絵を描くのが遅い
→早く描きたいけど描けないのか
→そもそも、描きたくないのか
この結果、作品展の絵は、自分の描きたいものではないことがわかりました。
絵画教室など自分の描きたい絵を描く作業は集中してできていました。
これは、能力に問題があるのではなく、環境に問題があるというわたしの見解です(先生には悪いけど)。
もしも、
早く着替えたいのにできない
早く描きたいのに描けない
など、本人の能力が他の子より圧倒的に劣っているのなら、本人も苦しいはずだし、早急に対応しなければなりません。
でも、彼は、自分で選んで、遅く着替えて、遅く描いていました。
子どもに立派な作品展を完成させたい先生にとっては、次男は気になる子どもだったんだろうなと思うけど、でもわたしは、自分の捉え方を変えることで、あんまり気にならなくなりました。
環境が変われば、彼の意志や状況が全く違うことが、わかっているからです。
私に具体的な影響がある?ない?で対応は変わる
冷静に考えていくと、私は彼の行動があまり気にならなくなっていきました。その一番の理由は、私には「具体的な影響がない」ことがわかったからです。
「具体的な影響」がない時には、親業では、考え方が違う、すなわち「価値観が違う」と解釈します。
なんだ〜
考え方の違いやん!
これは、受け入れてあげたいな〜
ここが腑に落ちたので、私の感じ方はガラリと変わりました。
だって、先生や私へ「具体的な影響がない」ことなのにイライラするということは、私の思う「正しい考え方」を強いてるってことですよね。
それは慎重になりたかったのです。
彼の個性は、大切な自己・アイデンティティです。まあ、先生には幼稚園の教育方針というのがあるのかもしれませんし、色々な考え方があって、みんな、子どもの為にと思ってやっているところです。
ただ、私は一番身近にいる母親である私が、彼の個性を潰さないように、成長の過程や可能性を信じて理解してあげたいと思いました。
学校や幼稚園の先生との考え方や教育方針の違いも、よいとか悪いでなく、それぞれの考え方です。
それも「ああ、ちょっと違うな」と自分が解釈していればいいことだと思います。
先生と意見が対立した時に、親がどんな対応をするかは、子どもは見ているので、親が慌てないでいることが、子どもの精神安定には一番だと思います。
相手を非難しないで、いい関係を築いていく
この記事だと、先生を非難しているように見えるかもしれませんが、私が言いたいのはそうではありません。
こういう事実も実際にあることだし、実は結構多くあるから(私以外にもよく似た話はあるので)、もしも、だれか悩んでいるのなら参考になればと思うだけです。
先生と親は立場が違います。
なので「先生のコトバ」は「先生のコトバ」として、感情に流されずにできるだけ正確によみとることを、おすすめしたい。
気になるようだったら、誰かに相談されるのもいいと思います。
きっと、別の捉え方、解釈があるとわかるのではないでしょうか。
親がその場を冷静に対処できると、どんな環境であってもすべてをプラスにできるかなと思います。
ま、今のわたしだったら、先生のコトバもサラ〜と流せていたのかもしれませんけどね。
子育ては、親が人として成長する時間を待ってくれません。
だけど、一番大切にしたいのは、あなたのメンツではなく、子どもの「心が傷つかない事」だと思うのです。
私が全てのお母さんに親業を学んでほしい理由がここにあります。