男の子2人以上いると、気になるのが兄弟げんかです。
その割に、ケンカはほとんどなくなりません。
子どもたちの間にいつも親が仲裁しているとどうなるでしょうか?
いつまでも、彼らの間に入らなくてはいけないことになりますよね。親に言いつけにくるし、ジャッジしても、どちらかが不満を持つことになるし、すると同じような喧嘩が繰り返されてしまうだけなのです。
そのために、親はどうしたらいいか?
「男子の兄弟関係」を親としてどう捉えるのか?傾向と対策(笑)を、ウ~ンと考えてました。
兄弟の仲がどうしたらよくなるか?
兄弟げんかはとても気になりますが、いつも私がけんかの仲裁などしたくない。
私の老後の為にも(笑)、できれば、仲の良い兄弟でいて欲しい。
なので、どうしたら兄弟の間で「仲良くしたい」という気持ちが育つか?いつも本人の中の「兄弟を思いやる心がどう育つのか」という視点で考えていました。
兄弟が本当に仲良くなるためには、兄弟の人間関係を繋ぐ必要があると考えました。具体的には、兄弟げんかは「兄」と「弟」の問題として、親が中に入らないことに徹底することがとても重要だと思いました。
兄ーおかんー弟(兄弟の中に母親が入るパターン)
↓↓↓
兄ー弟(母親が中に入らないパターン)
めざすのは、兄弟それぞれがお互いの立場や違い、良さを尊重し合える、兄弟LOVE愛です(笑)
その1・兄の自尊心を壊さない
では、どうしたら、対等で尊重し合える兄弟関係ができるのでしょうか?
私が心がけていたことは「お兄ちゃんを立てる」ことです。
私は、兄弟は1つの社会のはじまりだと考えました。兄弟の仲で育まれる社会性みたいなのがあるのかなと。
それで、長男の権限をちょっとだけ強くして、彼をいつも立てていました。
ですが「ケンカの度にいつも母親がかばっている弟」のことなんか、誰が面倒を見てやろうと思うでしょうか?なので、長男の内面から生まれる弟への感情を大切にしたいと考えていました。
だから、兄が「弟をかわいがろう」と思えるように、弟たちが「お兄ちゃんってすごいな〜」って思えるように、できるだけ自然に思えるように、仕掛けてました(笑)
例えばお菓子をあげるときも長男に全部預けて「3人で分けてね、、」とか(笑)
こう言うのって、母親のちょっとした心遣いでガラリと変わると思うんです。
そして、こんな風に考えたのです。
もともと、第1子は、両親の愛情を100%一人占めしていました。なので第1子長男にとっては100%が当たり前
ところが、第2子が生まれてからは、それが他人の都合で100%でなくなった
なので、第1子にとっては第2子は、親の愛が 100%→50% に減らされた原因になる
逆に第2子は、親の愛情がはじめから「50%」しかないのだけれど、第2子にとってはその状態が「フツー」でそれしか知らないので、それが全て、すなわち100%
さらに 我が家は第3子が産まれ
生まれながらにして、親の愛は1/3・・なんと33%。親から見ると可哀想ってなるかもしれませんが、でも、彼は、その状況しか知らない
つまり、33%であっても、三男にとってはそれが100%おまけに、長男や二男からも、多少なりとも可愛がってもらえる?
このようによーーく考えてみると 「親は第1子に少し優遇してあげても、大丈夫なのかな?」って思ったんですね。そして「その方が、断然兄弟が仲良しになる!」って思いました。愛情のシャンパンタワーを、長男から徐々に満たしていくイメージです。
これは我が家でのケースですが、私が伝えたいのは 親が考える「平等」「公平」と、子どもが考える「平等」「公平」は違うということです。
兄弟は、発育段階が違いますし個性も全然ちがいます。親の立場も状況も全く違うのです。そして考え方が全く違います。なので「兄弟は平等に扱おう」という考え方は、ナンセンス!!!と言うか、所詮ムリなことなのだと思いました。
その2:ケンカを善悪で裁かない
兄弟げんかが起こると、親はよく「誰が悪いか?」とか 「誰から先に手を挙げたの?」とか「現場検証」を始めて「公平に裁く」をしようとしませんか?
ただ、ここで親が兄弟を「裁く」必要はないのかもしれない(笑)
大人の世界は、「裁く」ことが当たり前です。でも子どもの成長を考えるとき、大切なコトは彼らを「裁く」ことなのでしょうか。そうではなく、相手を思いやる気持ちを「育てる」ことをしたいのではありませんか。
私は、子どもたちに教えたかったのは「何がなんでも喧嘩をしない」ということではありませんでした。それは仕方がない事もあるでしょう。ただ、ケンカをすることではじめて経験できる、後味の悪さは知って欲しいと思いました。
「ああ、悪かったな」
「 あいつにも、言い分があったのかもしれないな」
「ケンカはいやだな」
「どうやったら、仲良くなれるのかな」
ケンカをするということは、きっと彼らに「守るモノ」があったのでしょう。そして、それを守るために「失うモノ」があるはずです。ケンカには、リスクがあるのです。
守るモノと失うモノをどちらも経験したうえで「次はこうしよう・・・」と、本人自身が考え、判断し、自分を律することができる、そんな風に自ら考えるようになってくれたらいいな、と思いました。
大切にしたいのは、子どもに考えさせるということです。
困っているのは、自分の気持ちを抑えきれずにリスクを冒した「子ども」です。この経験を活かしたい!そのためには「代償」を自分で感じることが必要なのかなと思いました。子どもが問題を持っている時は、親が問題を取り上げない事が一番の成長の近道です。
その3:解決策を親に頼らせないで中立を保つ
子どもはとにかく、親の態度に敏感です。 親が「なんとかしてくれる」と思うと、ずっと頼ってきます。でも、親は「何もしてくれない」とわかると、あまり頼ってこなくなります。
もしも、親が今まで喧嘩の仲裁をしてきたのなら、子どもは当然のように、
と言ってくるかもしれませんね。
私はいつも「あなたはお兄ちゃんに叩かれてイヤなのね、、、、」でオワリにしていました(笑)
もし「なんとかしてよ!」と頼まれても「だって、お母さんは現場を観てないから、何とも言えないわ」「それは知らないよ」「ふーーん、」ほとんどの場合、そう言って仲裁を断っていました。動く素振りは見せていません。
その代わり、とにかく気持ちはしっかりと聞いていました。どんな否定的な感情を言い出しても、非難することなく受け止めていました。
聞き方は、親業で習っていました。これをしてあげると、次第に落ち着いてきます。そして、兄弟関係もとても客観的に考えられるようになりましたよ。
こんな子育ては、予想以上に効果があったように感じます。
本当に仲良し兄弟になり、わたしもラクでした♪
兄弟がげんかを繰り返す時には、別の理由が隠れているかも
兄弟げんかがひどくて何度も繰り返されている場合、本当の理由は違うところにあります。それは、ほとんどの家庭では「親のモノサシ」の下で、兄弟が比較・評価されていることです。
兄弟が比較、評価されている時は、本当に仲が悪くなります。
子どもは暗黙のうちに親のものさしを基準にしながら、比較されているので、そこでどっちが優れているか?競争が起こります。
つまり、比較・競争を強いられている環境では自然に「攻撃型」のコミュニケーションパターンを使っていて、その結果ケンカが絶えないということになります。
家庭の中が「親のモノサシ」だけでなく「自分のモノサシ」をそれぞれ持つことができると、家庭内でよくある、勢力争いの喧嘩は起こりません。
子どもや家族全員が対等な存在としていることが許されていると、それぞれが自分のモノサシをもつことができますから、争いはぐっと減ります。
【参考記事】母親のコトバが心を作る!知っておきたい一言の違いと引き算のすすめ
兄弟は社会のはじまり、人間関係のトレーニングのチャンス
兄弟は、社会のはじまり。そして、一緒に育つ「仲間」でもあります。
動物も、幼少期はじゃれあって、喧嘩しあって育つ方が社会性が育つと言われています。私は人間も全く同じだなと感じます。
幼少期の兄弟げんかは、人間関係のトレーニング!
スゴイ声で喧嘩されると、大きなストレスになりますが、兄弟を通じて、人間関係の繋ぎ方を自然に身に付けるように感じます。
そして、親が一人ひとりの子どもに合わせて関わり方をしていると、自然に落ち着いてくるようです。親があれこれ考えなくても、子どもは素晴らしい能力を持っていますので大丈夫。
自分で考えて、策を練ったり、あきらめたりしながら、兄や弟との関わり方を自然に身につけていきます。
こういうことを、家庭で丁寧に経験しておくことは、将来の豊かな人間関係のためにとても大切ではないかな、と思うのです。
【参考記事】兄が弟に嫉妬しないのは、自分が愛されている確信があるからです
以前、あるとても有名でたいへん影響力があって、当然とても稼いでいるであろう?(←これは憶測)、あるカウンセラーが引退するって知った時、ときの事。
その人は、テレビにも出てて、本もたくさん出していて、無茶苦茶強い影響力で人生を大きく変えられた人もたくさんいるんじゃないかなって思うほどの人でした。
やめるんだっ
てちょっとビックリした。
私には一切関係ないのに、なぜかとっ~~~~ても違和感を感じちゃったのよね。。。。
で、
いつものように、なんでそんなにワサワサするだろうって思った。
やめる。
ないな〜
そっか。お母さんは、やめるってないもんね。
他のどんな仕事も、自分の意志でやめることができるのかもしれないけど、
「お母さん」は、やめない。
最近、「卒母」ていうコトバがあるけれど、でも、「母」って一生「母」だからね。
命と共に、受け継がれていくものであり、
だからもう、わたしたちは、「お母さん」をしてるだけで、スゴイことなんだって改めて思いました。
試合当日に寝坊する息子にどうする?
高校生って、まだ一人前の大人でもなく、かといって、子ども扱いもできないし、そして、まだまだ行動はとてつもなく無責任ですよね💦💦
なんで????
ね・ぼ・うですか???
もうね~、寝坊なんて、生活のごくごく基本的なことですよ。
マジメ女子の想像をはるかに超えてくるのは、さすが男子???ありえないことです。
我が家では、な、な、なんと、高校の卓球部に所属していた息子が、試合の当日に寝坊した事がありました!!!
(←試合の当日って、私的にはありえません〜〜)
この、ビックリするような事件が起こった時こそ、実は親が子どもに試される時。
非常事態で頭が真っ白になった時は、実は、母親としての学びが深まる時なんじゃないかと思います
(←今でこそ言える?笑)
ええっやば〜
焦る息子。
「どうしよう〜」
わ〜💦💦
こんな時、どうしたらいいの????
子どもを助けるべきか、助けないべきかで揺れる
夫は、息子に何一つ愚痴を言わずに、試合会場である神戸市の総合体育館(うちから車で1時間強くらい)まで車をすっとばして送っていきました。
私は、ここはもう「余計な一言」は言わないように(←かなり意識してたけど)、息子と夫を送り出しました。
夫の態度のお陰で、私は「何とか試合時間に間に合いますように」と、祈る気持ちでいることができました。
そして間に合ったと連絡をもらい、ホッとしました。
やれやれ・・
この時の夫は、自分が「助ける」か「助けない」かなんて迷わず、「助ける」の一択だったみたい。
どうするかなんて悩まず、自らの意志で愚痴のひとつも言わずに、ただ急いで車を走らせることができるのは、親として見習いたい姿勢でした。
その一方で
など、、もしかしたら思うかもしれませんね。
こういう考え方も確かに一理あると思います。っていうか、以前の私ならそう思っていたと思う。
あなたはどう思いますか?
高校生の「寝坊」に親はどう対処すべきか?
講座をしていると、時々「子どもが寝坊したり朝起きないんですが親としてどうしたらいいですか?」という話はよく出ます。
これは、一つの正解などはなく、その人や子ども、時の状況などによっても変わってくることです。なので、その状況で「どうするか?」を自分や子どもと向き合って自分で「ベストな方法」を選んでいくんですね。
起こすのか?
それで、
「昨日、何時に寝たの?もう、アホヤなあ」
「スマホばっかりやってるから、寝坊するんとちゃうの〜」
「お母さんは知らん」
なんて、責めたり、怒ったり しそうになるんですよね。。
でね、なぜ、責めたり怒ったりしそうになるのか?
というと、そんな時に私が彼らを放ってはおけないからなのです。
このままだと、子どもは困る
かなり困る
どうしよう?
どうしたい?
ああ、私、
子どもを助けてあげたいんだ
そうです。本当は責めたくない。助けてあげたい。そう気づいたわたし。
どうせ 助けてあげるなら、
責めた後で、助けてあげるより、
何も言わずに 助けてあげたい
ホントにね、
寝坊をして、
お父さんに送ってもらって、
悪かったな。
助かったな。
本当にありがとう・・・
まあ、こんな風に都合よく思うとは限りませんが(笑)、でも、子ども自身がそのように心で感じることが、彼らの心を育てる事に繋がると思うのです。
そして、もし、子どもを送っていくことが出来ないときも、子どもを責める必要なんてありませんよね。
その時こそ、何も言わずに「子どもの責任」として自分が報いを受けるんだなと思えばいいこと。
もともと、寝坊した子どもの責任ですから、それだけのことです。
ま、この考え方が自分の中に馴染んでくるまでは、かなりの「揺れ」を経験しましたが、
意識しながら、
経験を重ねることで、
子どもの成長と自分の成長に良い方向に向かっているんだという確信がもて、子育てがどんどんラクになっていったような気がします。
困っているのは誰? 自分はどうする?
親業では 「問題の所有者」という考え方をとても大切にして 親と子を明確に分けることを意識します。
子どもが困っているのを見ると、 親が一緒に困ってしまうことがありますが、 それでは 物理的には助けてあげられるかもしれませんが、子どもの自尊心を傷つけてしまったり、自立心が育たない恐れがあります。
こういう時こそ 冷静に、本当に子どもの成長を促す方法をしたい!
子どもは、 ひとつひとつの人生の経験を学びに変えることができます。転んでもタダでは起きないって 私はスキなんだなあ〜
ところで、うちの夫はこう言う関わり方がスッとできる人です。
もともとの、考え方が私とは全く違うんですね。(ちょっとのろけ(笑))
でも、幼少期に親から怒られて育ったわたしは、夫とは違って子どもを責めるコトバは いっぱ〜い知っていて、もうね、口が覚えてて(笑)、頭より先に、口から出ちゃうレベル。
なので、意識的にコトバの習慣を変えたいと思い、学ぶ選択をしたのです。
だって、もったいないと思うんですね。
子どもに伝えたいのは、
「子どもを責めたいわたし」 ではなく、
「子どもを応援したいわたし」 なんですから。