子どもの問題は、子どものモノです。
子どもの問題を、
親であるあなたが解決しなくちゃって、そう思わなくても大丈夫です。
子どもを幸せにするのは親のツトメだとは、考えないのです。
そこに責任を感じる必要はありません。
親の問題は、あなたのモノです。
あなたの問題を解決すべき人はあなたです。
あなたしか、自分を大切にできる人はいないのです。
たとえば、
自分の問題を、子どもをつかって子どもに解決させようするとすることがあります。
自分の満足や安心の手段として、子どもを使おうとする場合、たいていは指示、命令、提案、訓戒、説教、おべんちゃら、誘導、などなど、そのようなコトバがたくさん出てきます。
問題は、持っている人が解決するのが望ましいのです。
問題とは、目の前に現れている「事柄」をさすのではなく、
平静心でいられない、感情が高ぶったり落ち込んだり、怒ったり、不安になったり、焦ったり、イライラしたり、バクバクしたり、、、などなど
心理的に不均衡な状態をさします。
同じ「事柄」「事象」が起こっても、その人によって、捉え方が違います。
問題は持っている人が解決するのがのぞましい。
これは、ゴードンメソッドの揺るぎない考えです。
親も子も、
自分の問題を自分で解決できるように、
自分で納得した人生を歩めるように、
創造的に考え、時には折り合いをつける力をつけていくことを目指します。
日々の暮らしの中で、
自分の感情を率直にキャッチして、
自分を認め
自分を理解し、
自分が満足のいくように主体的に関わっていきます
自分を理解し認めることで、他者への理解もすすみます
問題を持っている人が満足できるように、自らの問題を積極的に解決を模索しますが、そのその経験の中で自己理解や他者理解も進みます。
自らの経験こそ、真実の学び。
血となり、肉となっていくのでしょうね。
自分の感情を丁寧に扱い、
自分の問題を解決する経験を重ねることが、
他者へ依存しないで、真に自立した人への「訓練」であり「心の体力」をつけることとなります。
せっかく、困っているんだから、それはその人に与えられた成長のチャンス!
人は困ることがないと、ホンキになりません。
言いかえると、ホンキになった時はどうすればいいか?必死で探しますよね。
そして、自分で解決策をひねり出し(笑)、乗り越えられた時の達成感は格別なのです。
そんなんで大丈夫?って思うかもしれませんね。
大丈夫です。
親が「試練」を与えなくても、鍛えなくても、放っておいても、
また、新たな問題が人生には必ず起こるからです。
そんなこんなで、ガタガタと壁に自分の頭を打ちながら進む。
子どもの成長の道って、一直線にはいかなくって、
そんなもんでいいんじゃないかって、
いやいや、ホントはそっちの方が経験が豊かになってるって、
私は、ゴードンメソッドを学ぶうちに、そう思えるように自然になっていったんですね。
我が子が「いじめ」をしていたら?って考えたことありますか?
まあ、私だって、どうしたらいいのか?わかるわけではないのですが、今まで、自分なりの考え方や判断の仕方は相当に考えてきたつもりです。
その事を少し書いてみますね。
子育てに「正解」はないから、親は迷う・・
例えば、いじめ問題は、悪者が誰か?で考えないことが大切だと思います。
いじめ問題って、当事者が本当にツラくなるのは、「こどもだったらどちらもなりうる可能性がある」という事だと思います。
私も「一歩間違ってたら、うちの子だって、加担したかもしれない。そう思うと、とても他人事とは思えない!」ってよく思っていました。
なので、とにかく大きな事件にならないように、イジメは予防こそ大事だと思います。
ただ、予防し過ぎて何でもかんでも、子どものちょっとした小競り合いも、先に大人が介入して絶ってしまうと、それはそれで問題が起こります。
なぜなら、子どもの解決する力が育っていないからです。
イジメって、やっぱり身近な存在ですから(人には妬みとか嫉妬心とか、いろいろな感情があるからね)、いじめが起こりそうなふっとしたキッカケは子どもの日常には山のようにあるわけです。
そこを、大きないじめ問題にならないように、ということを考えていかないといけないんじゃないかなって思います。
親が子どものすべての問題を肩代わりして解決してしまうと、かえって子どもの問題を解決できる力を育てられません。
イジメのキッカケに巻き込まれないようにするには
いじめを回避できる子どもにどう育てるか?
そう思う時に、大事なコトは、いじめ問題に巻き込まれないように育てる、ということでした。
そのために、気をつけていた事は、被害者、加害者という視点でなくて、
という気持ちで、いつも子どもに接してきました。
そもそも、「イジメ」と「ケンカ」の違いとはなんでしょうか?
小さい子どもっていつも「ケンカ」しますよね。
ケンカもイジメも、初めのキッカケはごくごく些細な事だったりして、どっちがどうとかの大差はないんじゃないかなと思います。
つまり、ケンカでもイジメでもはじまりのキッカケの問題ではなくて、そこから派生する人間関係の「力関係」の積み重ねで、ある「コミュニケーションのパターン」ができてしまったことが問題なんじゃないかな。
そして、イジメたり、イジメられたりするのは、兄弟や子ども同志の「力関係」によっては、いじめる側といじめられる側が、入れ替わることも多いのです。
イジメられる側が、イジメる側になる
イジメる側が、イジメられる側になる
このイジメる側、イジメられる側、のパターンは、兄弟だったら「役割を交替」しながら、大人同志だったら「役割を順送り」で、継承され繰り返されているものなのでしょうか。
私は、親のになった時に、父親のように子どもをイジメる様な叱り方をする親だけにはなるまいと思っていましたが、いざ親になると、しっかりと受け継いでしまっていましたね〜〜( ノД`)シクシク…
そのことに気づいた時、自分で愕然としました。どちらの気持ちも痛いほどわかるし、いじめる側にも、いじめられる側にも、どちらも傷ついています。
なので、この、「力関係」を多く体験してしまうと、知らない間に引き継ぎやすい要素があるのではないかと思います。
力関係のコミュニケーションパターンから抜け出す
こう考えると、いじめをやめさせるには、この「力関係」すなわち「勝ち負けの人間関係」「いじめのパターン」の罠にすっぽりとハマらないで、そこから抜け出すことが大切なのだと思います。
子どもに大人が「いじめをやめなさい!」なんて言っても効果がありませんよね。かえっていじめが陰湿化することは、既存の事実です。
それよりも、どちらも「心を育てる・強くする」ことが大切だと思います
真に対等で、力関係に巻き込まれない「人間関係力」を育てることです。
効果的な予防としての「親業」
わたしが初めて「親業」を知った時、 子育てが上手くいかなくなる原因やそれまで感じていた人間関係の謎が、全て紐解かれるように、スルスルとほどけていきました。
そして、これは、社会的な活動にしなくちゃいけないっと思いました。なぜなら、誰かをイジメたくなるようなストレスが溜まる理由とか、それを親がどうやってあげたらいいのか?具体的なことがすべてわかったからです。
親や社会が良かれと思ってやっていることは、子どもに伝わっていないどころか「逆効果」になっている場合さえある。この事実に気づいてしまうと、一般の子育て論では表面的な「対処療法」に見えてしまいます。
これって、本当に勿体ないし、このために、多くのエネルギーを消耗してしまうのは本当に見ててつらくなるほどなのです。
多くの親は親としてのあり方を教えてもらえないまま
親だって人間だし、親をしながら、失敗をしながら成長していくもの。そして、すべての人にあう方法なんてないのです。
だけど、それ以前の「親としてどうあるか」というところで、逆効果な考え方を植え付けられたまま修正できないでいるのは、本当に残念です。
子どもには、子どもの成長のエネルギーがあります。
子どもの成長したい方向を壊さないように、親の愛情のエネルギーを添えると、親と子が同じ方向にベクトルが向かうし、本当に効果的に子どもを伸ばすことができるのですが、
その向きがわかってないと、たとえ、子どもを思うゆえのことでも、子どもの成長したい方向とは逆向き、逆効果になっている場合が多いのです。
これは、残念ながら、事実です。そうなると、人生において、おおきな代償を払うことになりかねません。
本当の自立・自己規律を願うのなら
教育現場では、子どもに主体性や責任感を育てようとたくさんの大人たちが試みていますよね。
でも、ちょっとだけ、考えてみて欲しいのです。
それは、ある大人の考え方や親や社会のものさしに巧妙に子どもを誘導することになっていないか?
大人から「自立させられる」のは、「自立」でなく「他立」でなす。
本当の自立とは「自らの力で立ちたい」という、内なるエネルギーから湧き上がる欲求だから、それは、周りでコントロールできるものではありません。
ここのところをしっかりとわかっていないと、いつまでたっても子育て施策は、それほど上手くいかないと思います。
もし、根本的な問題が残っているのなら、問題が先送りされるだけかもしれません。
子どもにとって、表面的には自由に見えるけど、本当はそれほど自由でないものであるのなら、その大人の下心(のようなもの)さえ、子どもたちは敏感に読み取っているからです。
こういう、ちょっとした齟齬が、子どもにはとてもストレスになっているのかなと思います。
規律を自分で守る子どもへ
児童虐待
キレる子ども
いじめ
家庭内暴力
引きこもり
不登校
対人関係のストレス
うつ
認知症
これらは、全て繋がっているように見えます。
そして、目指していくのは、子どもをまったく自由にさせるというのではなく、自分で規律をもつように育っていくことです。
自分がスキな自分になりたい!
自分でちゃんとしたい!
自分で規律をもって、他者にもイイ子として受け入れられたい!
この気持ちは、すべての子どもが持っています。
それは赤ちゃんが、誰にも教えられなくても寝返りをし、ハイハイをし、立ち上がり、歩くように、人間がみんな持っている力。
ここを信じなければ人は育ちません。
そして、自分で自分に満足していれば、他の子をイジメる必要もないし、イジメられても言い返したり、スルーしたりできるし、
友達に過度に依存することなく、堂々と対処していけるのだと思います。
「子どもは間違った行動なんかしていない。」
私は、親業を書いたゴードン博士のこのコトバが好きです。
子どもは本当は間違った行動なんかしていない。
悪い行動というのは、親と教師の用語である。まちがった行動というのは、明らかに親が作った価値判断なのである。
まずは、私たち大人が「イジメっこ」「イジメられっ子」「ダメな子」「問題児」そんな目線で子どもに接するをまずやめて、
ことを訓練してみませんか?
家庭こそ自分の頭で考える最高の訓練の場
子どもの為の訓練は、わざわざお金を出して、誰かに訓練をしてもらはなくてもいいんです。
その機会は日常に溢れています。
子どもが自分の頭で主体的に考えて、自己コントロール力が育つために、最も効果があがる最高の教育環境は家庭だと思います。
親は、毎日たくさんのコトバを子どもに浴びせていて、その一つ一つをこどもはすべて受け取っていますから、親のコトバを変えることの効果は絶大です!
価値観が変わるこれからの時代に、別次元の社会でも対応できるよう子育ても変えていきましょう!
先行きがわからない時代だからこそ、自分の頭で考える力を育てておきたい。
もちろん、私たち自身も自分の頭で考えていきたい。
そのための、共に育ちあう家庭環境づくりと、親の日常の言葉の影響力について提案していきたいです。
あなたのコトバを変えることは、あなたが思う以上に「子ども自身の生きる力」を育てる上でとても効果的なことなのです。
たった、10分。
されど、10分。
相手の心に焦点を当てる奇跡の時間。
穏やかに話しをする姿が、
少し、高揚してくるのは、
そうそう!そうなのよ〜
それが私が言いたかったこと!
ああ、わかってもらった〜〜
っていう気持ちを味わうから。
最後まで、自分の話を遮られずに、共感的に聞いてもらえる経験を、ほとんどの親がしていないのではないだろうか?