子どもの自立・自己規律心が育つ家庭環境をつくる親の学び場
  1. 今日のおかん塾
 

今日のおかん塾


2021/08/31
あれこれ考えずに
風邪をひいた時、思い切って仕事や学校を休んで休養をとる方が、体調は早く治ります。

立っているより、ヨコになったほうが、いいそうです。

立っていると、例えば、身長150センチの人だと、その150センチまで血液やその他(なんかわからんないけど)を循環させるためのエネルギーが必要だそうです。

ヨコになって寝ていると、血液の循環させるのは、30センチくらいの高さまでで済むそうで、その分エネルギーが節約できるようです。

眠れなくても、寝ているほうが、いいのは、エネルギーの節約になるから。

その分、エネルギーは身体の補給に使えます。


子どもの身体の調子が悪い時は、ムリしないで身体を休ませる方が、こじらせないし、のちのちのためにもいいことを、多くの母親は、それまでの子育てで体験していると思います。

心の調子も同じです。

子どもの心の調子が悪い時は、ムリしないで心を休ませるほうがこじらせないし、のちのちのためにもいいです。

心は目に見えないし、身体は悪くないように見えるけれど、疲れ切って、かなり疲弊している場合がありますよね。

子どもも同じ。

あれこれ考えずに、シンプルに考えてみるのがいいと思います。




2021/08/31
限界突破、いつするのか?
限界突破(げんかいとっぱ)
己の限界を超えること。

フィクションならともかく現実には、一般人の限界を超越したとしても、人間としての限界を超えることはできない(その段階が新たな「限界」になるので)ので、どちらかというと「思い込みによる限界を気合などで突破する」という感じになる。

よって、おそらく「リミッター解除」をイメージすればだいたい合っていると思われる。ピクシブ百科事典より引用


そうそう、
自分の限界を超えていける子に育ってほしい〜〜〜(←コレ、私の願望だったよ)

で、じゃあ、人はいつ「限界突破」するのかを私なりに考えてみました。

①欲求が満たされて、飽きた時
これは、今まで遊んでいたオモチャとかパズルが易しくなった時、人は自分の実力を磨きたいと次のステージに行きたいと自然に思う。

②本当に危機や困難が迫っていて、自分がやるしかない!と思う時何とかしたい!と喉から手が出るほど掻き立てられるとき
これは、「火事場の馬鹿力」というやつ。危機が迫る時だな。守りたいものがある時もかな。

で、
これを踏まえた上で、親がすることとは、

①子どもが自分の欲求を満たしたい気持ちを抑圧しないこと。これは、自分の能力を低く見積もらせない、あきらめさせないことでもあるな。

②子どもの問題を親が解決しようとしないこと。当事者としての意識をもたせること。これって必須だな。じゃないと、限界を超えるなんて、そんな死にそうなコト、普通はしないよな〜〜

どちらも、プラスの関わりでなく、マイナスの関わり方ですね。

そして、親が何もしなければ、子どもの人生に勝手にそうなる。

子育ても断捨離、引き算の時代。



2021/08/30
「がんばる」から「やりたくなる」へ
がんばってても、がんばってても、

息切れしてしまって、つらくて、「がんばり」が続かないのは、

それは、実は「がんばらされている」からではないかな?

「がんばって○○しなきゃ」と思うのは、「がんばらないとがない」と思っていること。

即ち、自由がないのかも。

人は、ココロが自由でないと、支配されているようで、苦しくなって「拒否反応」を起こしてくれます。

「拒否反応」はココロのサイン。

一番の敵は、「がんばらなくちゃ道がない」と思い込んでいる、その心でね、

これが、厄介だな。

まずは、親が「加担」しないように、がんばらないのを、がんばる(笑)

大丈夫。

人は、ココロが元気になると、かならず何か「やりたくなる」から、その力を信じよう。

赤ちゃんが、だれに教えられなくても、自ら動き、自ら立つように。



2021/08/30
見分ける力
え?また買うの?
同じおもちゃ、持ってるやん

子どもの様子を見ているのに、なにがなんだかわからない時、

それは、見分ける力がないから。

同じように見えるけど、
子どもにとっては違うモノ。

あなたの持っている口紅の、そのビミョーな色合いの違いを、子どもや夫にとってはほとんど見分けられないのと同じ( ノД`)シクシク…

で、
ここを見分けられるようにならなくちゃと思うより、

私にはわからないけれど、子どもにとっては違うモノなんだろうな。と思える私になりたい。

2021/08/28
困った経験が成長の機会になる

せっかく、困っているんだから、それはその人に与えられた成長の機会です。

 

人は困ることがないと、ホンキになりません。

 

子どもは、ホンキになった時はどうすればいいか?必死のパッチで考えます。

 

そして、自分で解決策をひねり出して(笑)、

乗り越えられた時の達成感は格別なのです。

 

 

親が「試練」を与えなくても、

鍛えなくても、

放っておいても、

 

 

子どもの人生には問題が必ず起こります。

 

 

先回りしなくても、
小さな問題があった時、どうすればいいか?を考えても遅くは無いのではないでしょうか。


当事者として問題に出会うとき、
ガタガタと自分の頭を打ちながら、人生は進んでいくのかな。。。。

 

 

子どもの成長の道って、一直線にはいかなくって、

一見遠回りのように見えるけど、

 

そんなもんでいいんじゃないかって、

 

いやいや、ホントはそっちの方が経験が豊かになってるって、

 

 私は、ゴードンメソッドを学ぶうちに、そう思えるように自然になっていったんですね。

 

 



2021/08/27
過干渉がやめられない時
気になって気になって仕方ない
見たら気になるから、見ないようにしたいけど、
どうしても目に入る
口が勝手に動く
ああ〜
また、機嫌が悪くなった、、
だれか〜

こういう時の状態は、もう、

automatic♪




自動的に動いちゃう、、、
制御不能。

それって、今まで「お母さん」としての仕事を一生懸命やってきた証拠でもあるよね。

圧倒的な時間を過ごしてきているし、
だから、勝手に「反応」するんだよね。

この「反応」の仕方を、子どもの成長をうながせるものに変えていけるから、
だからこそ、講座がおすすめなのです(笑)



2021/08/27
気持ちを勝手にきめないで
絶対○○に違いない
いや、そうだわ
あの子の事は母親である私が一番知ってるわ
だって、私がずっと育てて見て来たもの

ナゾの自信(笑)

そうだよね。確かにそうかもしれません。
でも、もしかしたら、違うかもしれない。

なぜなら、子どもはあなたとは「別の人」だから。

想像するけど、決めつけはしない

ここが、相手に寄り添う時のコツなのかな。



2021/08/21
ウソをつく子どもにどう接するか?知らなかった私の大失敗事件

二男がまだとても小さかった時、当時3歳ごろだったと思います。私は彼を怒り過ぎて大失敗をしたことがあります。

二男は「ウソ」 をついたんです。

どんな「ウソ」だったのか、内容は全く覚えていないのですが、当時の私は、彼が平気で「嘘八百」を並べ立てたように感じました。それでビックリして、本当にショック〜でした。

どうしたらいいんだろう??ホントに迷いました。

 

尊敬する夫の父親にもそのことを相談したりしました。義父は「大丈夫。気にしなくてもいいよ」と言ってくれましたが、私はそれではおさまらなかったんですね。


ウソはダメ
ゼッタイにダメ

叱らなくっちゃ
諭さなくっちゃ
ゼッタイにウソをつかない子にしなくっちゃ
そうしないと、彼がウソつき少年呼ばわりされる。。。。

(←妄想がはたらく・・・)


当時の二男は、現実に起こっている「事実」とは「違う(ように感じる)」ことを言うことが時々ありました。


私は、「それって、ウソやん?」としか思えなかったんです。そして、「そんな事実と違うことを平気で口にする息子」が、すご〜く気になっていました。

どうすればいいかを考えあぐねた私は、それでもうーんと考えて、もう絶対にウソをつかないように、こんなことを言うことにしました。


ちょっとキツいけど、

願いをこめて。


「あのね、ウソをつくとね、天国には行けないのよ。地獄に行くの。地獄って、閻魔さんがいる恐ろしいところなのよ。」


子どものこころに深く刻まれる親の説教

で、それを猛烈に後悔することになったのは、二男と三男が遊んでいる時の会話を聞いた時です。


その後日、1ヶ月後くらい経った頃かな?

偶然、会話が耳に入ってきたのです。

次男「あんな、お父さんとお母さんを頼むで」
三男「・・・・」
次男「僕はな、死んだら天国にいかれへんから。」
三男「・・・・」
次男「僕は地獄にいくんや・・」

え?

なに言ってんの??

 

意味がよくわからないくらいショックでした。

次男は、死んでも天国に行かれないそうです。

、、、、って
なんで? なんでそんなこと言うの?
わたしが言った一言?

怒ったことも忘れているわたしなのに、ずっと覚えている次男。

天国に行くために「うそをつかないで」と言いたかったのに、伝わってない んだ。。。

自分の意図は全く伝わっていない。それどころか、私のコトバは二男の小さい胸を痛めていたのかと思うと、本当に可哀想なことをしちゃったとものすごく申し訳なく思いました。

あわててフォローしました。が、どこまで通じているのか。それもあやしいもんですね。。

丁度いい怒り方って、難しいなと実感した出来事でした。   



その後、私は親業訓練と出会いました。


ああ、もっと早く知っていたら、、、
脅さなくても、こういえばいいだけやったやん!

って思いました。


叱り方やしつけで悩む必要は全くないんだと、実感することになります。



あ~
ムダに悩んでいたんだな。。。。

「こんな時、何て言ったらいいの〜」って時に外さないコトバは、ウソをつくのがいいとか、悪いとか、そういうことではありません。

彼の発言が気になったのなら、ただ、それだけ(何と言ったことが「ウソ」だと思ったのか?それすら思い出せませんが)を言えばよかっただけの話しなんですよね。

今となっては、「ウソ」じゃなかったのかな?なんて思うほどです。

彼には彼の目に見える「真実」があったのかもしれません。


幼い彼には、彼から見たこの世界の真実があったはず、、


←なんて思えるようになったなんて、それは私の成長(笑)




母親って若いし、迷うし、経験も少ない。

だけど、子どもの為を思うお母さんの気持ちは若くても経験が浅くても、変わらないとも思うのです。

大切なコトは、その想いがちゃんと伝わってるかな、ということです。

 

なぜなら、親の想いがストレートに伝わるだけで、子どもは自ら考えて自分を成長させていく、人にはそんな可能性が存分に備わっているからです。



そして、今回ご紹介した「失敗」は、親の想いが子どもに伝わっていなかった、ということです。

でも、伝わっていなかったことが知れて、それについては、よかった。

この事実をしらなければ、生涯にわたって、もっと彼を傷つけて、傷つけたことさえ知らなかったのだろうと思うからです。

でも、未熟な人間同士が一緒に生活するのですし、人は人とぶつかる事で成長しますから、「親の影響」を完全になくすることはできませんよね。

ですが、言い方を変えることで、自尊心を壊すリスクを最小にできることは、もっと評価されてもいいんじゃないかと思うのです。




2021/08/21
子育て基準は私が決める!自分らしくいるが親の責任

私は、子どもを授かり、3人目ができてからしばらくはずっとイライラしてて、それが自分でもすごくイヤでした。

 

でも、よく考えてみると、それって自分で自分の首を絞めてたのかも?という事に気づいたのです。

 

自分で「母親のハードル」を上げて、それを「クリア」できない自分にイライラしているのかも?と気づいた時、自分の中での価値感の崩壊が起こって軽くショックでしたが、それならば、ムダな努力はしなくていいんじゃないか?と切り替えて、自分の母親のハードルをとことん下げてみることにしました。

 

つまり、「当たり前にやるよね〜」のレベルを見直したんです。


小学校時代、週末の少年野球に持っていく水筒も、自分でやかんに麦茶を沸かして、自分で入れていくのを「当たり前」にしました。

 

そうすると、たまに私が入れてあげたら、「ありがとう」って言いました。これって、他の家庭では当然のことかもしれませんが(笑)

 

そうなんです。

ママが何でもやってあげたら、やってあげるのが「当たり前」になってしまいます。わたしはそれが嫌だったのです。


だから、私がやらないで、子どもが自分のお茶を淹れていくのを「当たり前」にすると、子どもは自分でやっていきました。自分の事だから自分でやるのは当然。何の疑いも持ちませんでしたよ。


もちろん、状況によりますが、こんな風に接してみると、実は子どもにできることってたくさんありました。


子どもが「できない」または「やらない」こと。

実は親のほうが「やらせていない」ってことが多いんじゃないかな。

子育ては親の線引き次第だと気づく


朝、起こすこと
持ち物のチェック
食事の支度、水筒の準備
などなど、

小さい時には「当たり前」にお世話をしてあげられたことが、成長と共に、負担になっていくことって、ありますね。

 

「いつまで世話を焼かなきゃいけないの〜」

「いい加減、このくらいやってくれたらいいのに」

なんて、小言を言ってしまうことはありませんか?

 

ただ、それらは今までママが”普通”にやってきたことなんですよね。でも、成長と共に状況が変わり、今まで”普通”にできていたことが、急に負担に感じたりするのだと思うのです。


でも、この時子どもは、ママの心境の変化がわかっていません。

で、子どもの立場になると、きっと同じことをしている(あるいはしていない)のに、突然ママの機嫌が悪くなる・・・というわけなんです。


実はこれ、私が実際に子どもだった時に良く感じていた事でした。昨日と同じことをしていても、いきなり親の機嫌が悪くなる。すると、子どもとしては何が何だかわからなくなるのです。

自分が嫌われている?
自分の存在が疎ましく感じているの?なんて、勝手に解釈する。

私は自分の経験から、子どもにそう思わせるのは死んでも避けたい!思いました。

じゃあ、どうするといいか?なのですが、

わたしは、もともと母性が少ない(?)のか、あまり世話を焼けないタイプ。というか、子どもがダラダラしてるのに、自分だけが、セカセカ働いているのは、ゼッタイ無理。

すぐに機嫌がすぐに悪くなるタイプだと気づいたので、そこをサッサと認めて、子どもにしてあげる「親としての当たり前の基準」を下げることにしました。


え〜そんな事も子どもにさせているの???

と、教育評論家に怒られるんじゃないか?と思ったことも何度もありましたが、(←実際に怒られるわけではないのですが、結構、妄想が強いタイプだった"(-""-)"
これに関しては、親業で「子どもの行動を受け入れられなくても大丈夫」「自分の受容のラインを伝えることが大事」と習っていたので、あまり後ろめたく思わずに済みました。

自分のことは、自分でする。

自分で出来ないことはお母さんがしてあげる。

 

極力、何もしない。

 

エヘへ

 

そうしたらね、マラソン大会につかったハチマキのアイロン掛けも、いそいそとやっていたんですよね。

 

その姿を見た時は、少しビックリしましたが、まあ、できるもんです。

 

その時の私がちょっと感じたモヤモヤは「アイロン掛けは親がする」というのも、自分の思い込みと、それをしない「後ろめたさ」だったのだと思います。(←アイロンがけはお母さんがやるよ〜とつい言わないことに必死)


でも、子どもはそんな事気にしていない(笑)

要するに、親が子どもにしてあげる「当たり前」の基準って、親が自由に決められるのだと実感した瞬間でした。


家事やうちの事は「母親がやるもの」にしていて、勝手に不公平感を感じて不機嫌になっていたのは、私自身なのかもしれない。

それならば、「わたしばっかり!!」と家族に言う前に、自分がどうやったら機嫌よくいられるかの「基準」を、ちゃんと示してあげることが、家族の平和に大きくかかわることが腑に落ちたんですね。

 

ココは大きな転機でした。



「母親業」は9時に閉店することにきめる

この、自分の基準で環境を改善していくことの大切さは、自己実現講座の中で学んだことが大きかったのかなと、改めて感じます。親って、「子どもの為に」できるだけのことはしてあげたいと思うモノ。でも、ここがバランスを欠きやすいところでもあるのですね。

私はこの後、自分の「機嫌よくいられる基準」を必死で考えました。いつも不機嫌でイライラ顔だったけど、どうしたら機嫌よくニコニコ顔でいられるのか?です。
  • 朝ごはんは各自で食べる
  • 洗濯は一日一回のみ受け付け
  • 母親業は9時閉店
子ども達が小さかった頃、私の一番のストレスは、ゆっくり寝られない事でした。いつも誰からのヨコに添い寝していました。寝る時間だけでなく、一日中子どもたちと一緒で、いつも子どもの事を考えていました。でも、それって実は一人の時間を大切にしたい私にとってはちょっとしたストレス。ここが解放されるとかなり違う!私は一人の睡眠が必要な人なんだ。と理解して、子どもにも宣言したんです。

だから宿題のチェックや音読などは9時までに持ってくるようにと。(それ以降は受け付けない)

9時以降はどうしたか?というと、ここは心を鬼にしてサラリとNOと告げました。この時、「しょうがないわね、今日だけよ」と「イヤイヤYES」にならないようにしていました。

子どもたちは夫に頼んだり、次の日の朝早くに持ってきたりしたと思います。母親が機嫌が悪くならないことは、意外とムツカシイことでした。でも、それができると子どもは自分で知恵をひねり出すんだなあと、新たな発見がたくさんありました(笑)

で、私も自分で出した基準だから、クリアーしてもらえると、ニコニコせざるを得ない(笑)

その後は、自分で勝手に感じていた「うしろめたさ」も、母親をサボっているようなナゾの「罪悪感」も、引き換えに得た「家族の平和な時間」のお陰でどっかに行ってしまいました(笑)

当の息子たちは、母親に頼らない生活を当たり前に過ごしてきたので、「どこへ行っても自分で生きていける!」と、自分に絶対の自信を持っているようですよ。

めでたし、めでたし(^^♪

自分が楽しくいられるように、自分のコトぐらい、自分で 責任もって 機嫌よくしていたい。


そのためには、自分のハードルや基準はわかっていた方が断然いいのです!

そしてね、自分をご機嫌にできることが、今の私にとっての「大人の定義」になっています。

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