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子育て基準は私が決める!自分らしくいるが親の責任

子育て基準は私が決める!自分らしくいるが親の責任

私は、子どもを授かり、3人目ができてからしばらくはずっとイライラしてて、それが自分でもすごくイヤでした。

 

でも、よく考えてみると、それって自分で自分の首を絞めてたのかも?という事に気づいたのです。

 

自分で「母親のハードル」を上げて、それを「クリア」できない自分にイライラしているのかも?と気づいた時、自分の中での価値感の崩壊が起こって軽くショックでしたが、それならば、ムダな努力はしなくていいんじゃないか?と切り替えて、自分の母親のハードルをとことん下げてみることにしました。

 

つまり、「当たり前にやるよね〜」のレベルを見直したんです。


小学校時代、週末の少年野球に持っていく水筒も、自分でやかんに麦茶を沸かして、自分で入れていくのを「当たり前」にしました。

 

そうすると、たまに私が入れてあげたら、「ありがとう」って言いました。これって、他の家庭では当然のことかもしれませんが(笑)

 

そうなんです。

ママが何でもやってあげたら、やってあげるのが「当たり前」になってしまいます。わたしはそれが嫌だったのです。


だから、私がやらないで、子どもが自分のお茶を淹れていくのを「当たり前」にすると、子どもは自分でやっていきました。自分の事だから自分でやるのは当然。何の疑いも持ちませんでしたよ。


もちろん、状況によりますが、こんな風に接してみると、実は子どもにできることってたくさんありました。


子どもが「できない」または「やらない」こと。

実は親のほうが「やらせていない」ってことが多いんじゃないかな。

子育ては親の線引き次第だと気づく


朝、起こすこと
持ち物のチェック
食事の支度、水筒の準備
などなど、

小さい時には「当たり前」にお世話をしてあげられたことが、成長と共に、負担になっていくことって、ありますね。

 

「いつまで世話を焼かなきゃいけないの〜」

「いい加減、このくらいやってくれたらいいのに」

なんて、小言を言ってしまうことはありませんか?

 

ただ、それらは今までママが”普通”にやってきたことなんですよね。でも、成長と共に状況が変わり、今まで”普通”にできていたことが、急に負担に感じたりするのだと思うのです。


でも、この時子どもは、ママの心境の変化がわかっていません。

で、子どもの立場になると、きっと同じことをしている(あるいはしていない)のに、突然ママの機嫌が悪くなる・・・というわけなんです。


実はこれ、私が実際に子どもだった時に良く感じていた事でした。昨日と同じことをしていても、いきなり親の機嫌が悪くなる。すると、子どもとしては何が何だかわからなくなるのです。

自分が嫌われている?
自分の存在が疎ましく感じているの?なんて、勝手に解釈する。

私は自分の経験から、子どもにそう思わせるのは死んでも避けたい!思いました。

じゃあ、どうするといいか?なのですが、

わたしは、もともと母性が少ない(?)のか、あまり世話を焼けないタイプ。というか、子どもがダラダラしてるのに、自分だけが、セカセカ働いているのは、ゼッタイ無理。

すぐに機嫌がすぐに悪くなるタイプだと気づいたので、そこをサッサと認めて、子どもにしてあげる「親としての当たり前の基準」を下げることにしました。


え〜そんな事も子どもにさせているの???

と、教育評論家に怒られるんじゃないか?と思ったことも何度もありましたが、(←実際に怒られるわけではないのですが、結構、妄想が強いタイプだった"(-""-)"
これに関しては、親業で「子どもの行動を受け入れられなくても大丈夫」「自分の受容のラインを伝えることが大事」と習っていたので、あまり後ろめたく思わずに済みました。

自分のことは、自分でする。

自分で出来ないことはお母さんがしてあげる。

 

極力、何もしない。

 

エヘへ

 

そうしたらね、マラソン大会につかったハチマキのアイロン掛けも、いそいそとやっていたんですよね。

 

その姿を見た時は、少しビックリしましたが、まあ、できるもんです。

 

その時の私がちょっと感じたモヤモヤは「アイロン掛けは親がする」というのも、自分の思い込みと、それをしない「後ろめたさ」だったのだと思います。(←アイロンがけはお母さんがやるよ〜とつい言わないことに必死)


でも、子どもはそんな事気にしていない(笑)

要するに、親が子どもにしてあげる「当たり前」の基準って、親が自由に決められるのだと実感した瞬間でした。


家事やうちの事は「母親がやるもの」にしていて、勝手に不公平感を感じて不機嫌になっていたのは、私自身なのかもしれない。

それならば、「わたしばっかり!!」と家族に言う前に、自分がどうやったら機嫌よくいられるかの「基準」を、ちゃんと示してあげることが、家族の平和に大きくかかわることが腑に落ちたんですね。

 

ココは大きな転機でした。



「母親業」は9時に閉店することにきめる

この、自分の基準で環境を改善していくことの大切さは、自己実現講座の中で学んだことが大きかったのかなと、改めて感じます。親って、「子どもの為に」できるだけのことはしてあげたいと思うモノ。でも、ここがバランスを欠きやすいところでもあるのですね。

私はこの後、自分の「機嫌よくいられる基準」を必死で考えました。いつも不機嫌でイライラ顔だったけど、どうしたら機嫌よくニコニコ顔でいられるのか?です。
  • 朝ごはんは各自で食べる
  • 洗濯は一日一回のみ受け付け
  • 母親業は9時閉店
子ども達が小さかった頃、私の一番のストレスは、ゆっくり寝られない事でした。いつも誰からのヨコに添い寝していました。寝る時間だけでなく、一日中子どもたちと一緒で、いつも子どもの事を考えていました。でも、それって実は一人の時間を大切にしたい私にとってはちょっとしたストレス。ここが解放されるとかなり違う!私は一人の睡眠が必要な人なんだ。と理解して、子どもにも宣言したんです。

だから宿題のチェックや音読などは9時までに持ってくるようにと。(それ以降は受け付けない)

9時以降はどうしたか?というと、ここは心を鬼にしてサラリとNOと告げました。この時、「しょうがないわね、今日だけよ」と「イヤイヤYES」にならないようにしていました。

子どもたちは夫に頼んだり、次の日の朝早くに持ってきたりしたと思います。母親が機嫌が悪くならないことは、意外とムツカシイことでした。でも、それができると子どもは自分で知恵をひねり出すんだなあと、新たな発見がたくさんありました(笑)

で、私も自分で出した基準だから、クリアーしてもらえると、ニコニコせざるを得ない(笑)

その後は、自分で勝手に感じていた「うしろめたさ」も、母親をサボっているようなナゾの「罪悪感」も、引き換えに得た「家族の平和な時間」のお陰でどっかに行ってしまいました(笑)

当の息子たちは、母親に頼らない生活を当たり前に過ごしてきたので、「どこへ行っても自分で生きていける!」と、自分に絶対の自信を持っているようですよ。

めでたし、めでたし(^^♪

自分が楽しくいられるように、自分のコトぐらい、自分で 責任もって 機嫌よくしていたい。


そのためには、自分のハードルや基準はわかっていた方が断然いいのです!

そしてね、自分をご機嫌にできることが、今の私にとっての「大人の定義」になっています。