「親」となり、
子どもが健やかに、たくましく育ってくれればくれるほど、
私は「歓び」と同時に、知らないうちに勝手に膨らんでいる「期待」がある事に気づいた。
子どもに自分のぼんやりとした理想を重ねていたことに気づく時には、必ず、
えー
そんな事言うの?
そんな事やるの?
それを選ぶの?
という、気持ちがある事に気づいた。
「この子は私に反抗的だよな~」と、日頃、あまり「期待していない子ども」が、
「この子は私の事をわかってくれるはず」と、「期待してる子ども」と同じ「行動」をしても、それほど腹が立っていないことに、「行動の四角形」に整理して気づき愕然とした。
同じ息子なのに、
せっかく、〇〇ができるのに~
もっと能力が生かせるのに~
頑張れば、あなたならもっと「上」に行けるよ~
などなど、「期待」が私を、そして息子を苦しめていた。
あれ?
上とか下とか、
評価やジャッジの価値観で見ているのは、わたしなんだよね。。
息子たちは、
そんな勝ち負けの世界に辟易していたのかもしれない。
ん?
イヤイヤ、違う。
思い出そう
私は、子どもに自分の思うように育つよう期待していたのではなく、
子どもが、周りの価値観に引きずられずに、自分で自分の人生を幸せにして生きることを期待していたのだ。
ならば、
もう叶ってるかも(笑)
彼の人生。
彼が運命をコントロールして生きている実感が持てるように、
あなたは自由なんだよと
教えてあげたい。