「わかっているならなぜ動かないの?」子どもへの気持ちの整理が親の正念場
進学校に通っている息子さんと、関係が悪くなり受講されたCさん。
息子さんは五月雨登校となり、ついに今週は期末テストを受けに行かなかったそうです。せっかく作ったお弁当は手付かずのままに玄関先に放置されています。せめて、台所に持って行ったら、そのぐらいできるでしょ!とも思いますが、でも、いまの問題の本質はそこではありませんね。
子どもがなぜ学校に行かないのか?
その理由がわからないけど、ムリに学校に行かせるわけにもいきませんから、今の状況を受け入れざるを得ません。ですが、本心を問われると心から納得しているわけではないので、親はどうしても不安や怒りを感じてしまうのですね。
子どもの本心がどうなっているのか、親は色んな憶測をしながら、自分の心を整理しようとします。
なんていうのも一理あるかもしれません。
でも、「今、ここでの親としての効果的な関わり方」を考える時、子どもの「今の姿」を見ての、あなた自身のホンモノ感が大事なのです。
子どもだって、本当は学校に行かなくちゃと思っているだろう。行かない自分、行けない自分を良く思っているはずはないと思う。辛いのは彼自身だろう。
でも、じゃあ、わかっているならやれよ!行動に移せよ!と親は思うかもしれません。そう、ただ行動に移すだけの事なのに、そこに手がつかないのはなぜだろう???と、ここがどうしても「理解できない」から、モヤモヤが収まらないのかもしれません。
だって、私たちの世代なら、そんな学校生活での「ピンチ」にどう打開したらいいかなんて、自分なりに工夫してやっていましたからね。
でも、親に反抗的な態度で、無責任な我が子に対して、協力してあげたいのに、それも拒まれているような気がするし、どうしていいのかわからないのかもしれません。
親を避けるような態度だとしたら、それはなぜだろう?
自分の窮地に、最も頼るべき親を避けるなんて、、、、、
その態度が子供じみて、小言を言いたくなってしまいますが、本気で彼らを助けたいと思うのなら、私たちもしっかりと心を決める時だと思います。
親を避けるのだとしたら、それは、なぜでしょう?
ここを考える必要があるのかもしれません。
親は、子どもの本心が「分からない」からツラくなります。でも、わからないのは、子どもは自分とは違う人格をもつ「別の人」だから、それは当然のことなのです。
私も子ども達の思春期の頃には、彼らの考えを理解できずに、苦しい気持ちを抱えたことがありました。結局は子育てとは「自分とは違う世代を受け入れる作業」なんでしょうね。
時代が大きく変わりましたが、子育ての本質はあまり変わっていないのかもしれません。そして、私たちが子どもを理解したいと思うのなら、私たち親が積極的に「子どもの心」へ近づく必要があるのだと思います。
心を考えるということです。「子どもの心」が傷ついているのなら、まずは癒して元気にしたいのですよね。
未熟な子どもに何をしたいのか?もう一度考えよう
少し前になりますが、高校3年生の息子さんの様子が「おかしい」と心配になって、講座にお見えになった方がいました。
進学校に通う息子さんです。それまで、親の言う通りに当たり前に学校に行き、勉強し、親に対して特に激しい抵抗をしてこなかった息子さんだったような印象でした。ですが、高3の春ごろ、発言がちょっと変だなと思う事が多くなってきた様子でした。
お母さんは、知人に紹介されて、親業訓練を受講されました。親のちょっとしたかかわりや、言葉がけの積み重ねが、子どもの心の成長に多くの影響を与えてきたことに対して驚かれながらも、ご自分のやるべき事に尽力されていました。
最近のお母さんはみな、優しい印象です。時代が変化してきたからでしょうか。昭和時代を引きずっている親はいないし、優しいいいお母さんになろうと努力の痕跡も見られます。
子ども想いで優しく譲歩的なお母さんの方が、意外と子育てに苦戦していることに、私自身もやや驚かされているのです。
この辺りが子育ての難しさと言えるかもしれませんね。人間関係とは、ノウハウやテクニックでは育たないところです。
話は戻って、先述の方のケースですが「何で学校に行かないの?」「なぜ行動に移せないの?」と、深いところで持っている疑問や疑念を払しょくしきれない自分を感じるのなら、じゃあ、その時と何が違うのか?子どもはなぜ、動かなくなっているのか?
何が困っているのか?誰が困っているのかを、じっくりと考える時間を持ってもいいかもしれません。
親は、愛するからこそ、子どもの苦しんでいる様子を放っておくことができません。
だからこそ、今、親に何ができるのか?愛の力を信じて、親ができる最良の方法を探していきたいと思うのです。